2012クラシック馬のプロフィール(4)

引き続きフランス・ギニー馬の血統紹介、今回は仏2000ギニーで穴を開けたルカイヤン Lucayan です。人気通りダバーシム Dabirsim が勝ってくれれば血統調べも楽でしたが、この馬には手古摺りました。

ルカイヤン(2002年生まれ、鹿毛)は父タートル・ボウル Turtle Bowl 、母ラ・ヴルタヴァ La Vltava 、母の父グランド・ロッジ Grand Lodge という血統。この血統も最初に父について紹介する必要があるでしょう。
タートル・ボウルと聞いて、ああ、あの馬か、と思い当たる人は余程の海外競馬ツウ。多くの人は初めて耳にする馬名かも知れません。

タートル・ボウルの父はダイヒム・ダイアモンド Dyhim Diamond 。その父はナイト・シフト Night Shift で、更に父がノーザン・ダンサー Northern Dancer です。ここまでくれば知らない人のいない堂々たるノーザン・ダンサー系。
多くの人がピンと来ないのは、現役時代フランソワ・ロホー師が管理する、フランス・ローカル競馬から出世した馬だからでもありましょう。地方競馬で勝ち進み、仏2000ギニーに挑戦するもシャマーダル Shamardal の8着。続くジョンシェール賞(GⅢ)でG戦に初勝利を挙げ、連戦で臨んだジャン・プラ賞(GⅠ)で大金星。この勝利がタートル・ボウルに種馬としての道を拓いたと言えるでしょう。
4歳シーズンもローカルからスタート(2勝)し、イスパハン賞2着、イギリスに遠征してクィーン・アン・ステークスが3着、ジャック・ル・マロワ賞も3着、現役最後となったムーラン・ド・ロンシャン賞8着。GⅠに4戦続けて挑戦し、そこそこの成績を残しました。

1年休んで2008年から種牡馬として供用、初年度産駒は43頭と少ないながらクラシック馬ルカイヤンを出しました。更に英2000ギニーで2着に食い込んだフレンチ・フィフティーン French Fifteen もタートル・ボウル産駒。この馬は2歳時にクリテリウム・インターナショナルを制しており、タートル・ボウル産駒は既にGⅠ馬2頭が2勝。俄かに脚光を浴びる存在になったと言えましょう。

タートル・ボウルは以上にして、本題の牝系に入ります。
先ず母ラ・ヴルタヴァ(2000年鹿毛)。「モルダウ河」という意味の同馬は、現役時代が22戦2勝。これも地方競馬のパンタル厩舎に所属していました。フランスの地方競馬は資料が乏しく、勝鞍の詳細は調べが付きませんでした。来年のレースホースを待つしかないでしょう。

従って詳しい繁殖成績も不詳ですが、ルカンヤンの3つ上に当たるカールフ・モースト Karluv Most (2006年、鹿毛、牡馬、父デラ・フランチェスカ Della Francesca)がスペインでスペイン・セントレジャー(GⅠ、2800メートル)とマドリッド大賞典(GⅠ、2500メートル)に勝ち、彼の国のクラシック馬になっているそうです。
つまりルカイヤンは母にとって2頭目のクラシック勝馬。カールフ・モーストの父デラ・フランチェスカはダンジク Danzig 産駒で、愛2000ギニー3着して10ハロンのGⅢ(ガリニュール・ステークス)に勝った馬。配合を考えれば、ルカイヤンがダービー距離でも問題ないと思われます。陣営では仏ダービー(2100メートル)をパスしてマイル路線を歩む旨の意思表示を示していますが、馬自身の性格がマイラー・タイプなのかも知れません。

2代母ラヴァンダ Lavanda (1993年、鹿毛、父ソヴィエト・スター Soviet Star)は1戦のみで未勝利。レッド・カー競馬場の2歳新馬戦(6ハロン)にデットーリ騎乗で1番人気に支持されましたが、4着に終わっています。
彼女の繁殖成績も詳しいデータが他に入りませんでしたが、イエペス Yepes (2005年、鹿毛、牡馬、父キャッチャー・イン・ザ・ライ Catcher In The Rye)という馬がやはりスペインで走り、現地のステークスなど4勝したという記録があるようです。ここまではスペインと縁の深い牝系。

3代母のワン・ライフ One Life (1985年、黒鹿毛、父レミグラン Lemigrant)は未出走。この馬がフランスに渡り、ルカンヤン直接の牝系の礎となったようですね。

ここでの注目は、ワン・ライフの娘キュンティア(1995年、青鹿毛、父ダルシャーン Darshaan)が日本に外国産競走馬として輸入され、京都の渡月橋ステークス(1600メートル)など2勝、阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ)で2着(勝馬はアインブライド)していることです。
キュンティアの娘オディール(2005年、脚毛、牝馬、父クロフネ)が2歳時にファンタジー・ステークス(GⅢ)を制し、桜花賞(12着)、オークス(5着)にまで駒を進めたのは4年前のこと。

ところでワン・ライフの別の娘、キュンティアの半姉に当たるノー・リハーサル No Rehearsal (1989年、鹿毛、父バイヤモン Baillamont)がキュンティアの父でもあるダルシャーンと配合して産まれたのがジェラニ Jelani (1999年、鹿毛、牡馬)。この馬はダービーに出走して4着(勝馬はハイ・シャパラル High Chaparral)に食い込んで周囲を驚かせた後、ヘイドックのリステッド戦(1マイル半)に勝ってステイヤーとしての能力を証明しています。キュンティアとは極めて近い配合を持っており、今後キュンティアから伸びていくファミリーにも注目する必要がありそうですね。

そして愈々4代母の登場。それが彼のパサドーブレ Pasadoble (1979年、鹿毛、父プルーヴ・アウト Prove Out)なのですね。パサドーブレと聞いてピンと来ない人はモグリ、とまでは言いませんが、この凄い牝馬について細部まで取り上げるのは大変なスペースを必要とします。
出来るだけ簡潔に纏めれば、パサドーブレは名馬ミエスク Miesque (1984年、鹿毛、父ヌレエフ Nureyev)の母。ミエスクと言えば英仏1000ギニーの他にBCマイル2連覇など英仏米でチャンピオンに選ばれた80年代を代表する名競走馬。
ミエスクが凄いのは、競走馬として第一級だっただけでなく、繁殖牝馬としてもフランス2冠牝馬のイースト・オブ・ザ・ムーン East of the Moon (1991年、黒鹿毛、父プライヴェイト・アカウント Private Account)や仏2000ギニーを制して種牡馬としても一大王国を作りつつあるキングマンボ Kingmambo (1990年、鹿毛、父ミスター・プロスペクター Mr. Prospector)を出したことでしょう。

ここで息抜きに一つ面白いエピソードを紹介すると、ミエスクはパサドーブレの初仔。子育てに慣れない母は娘を邪険に扱ったのだそうです。ミエスクの若駒時代に他の馬を怖がるところがあったのは、母の仕打ちが影響した由。名馬ミエスクが2歳時にはブリンカーを装着して競馬に臨んだのには、そんな経緯があったからでした。牡馬を相手に活躍したのは、若き日の経験が何物にも負けない根性を育てたのかも知れません。

5代母サンタ・クィラ Santa Quilla (1970年、黒鹿毛、父サンクタス Sanctus)は、ブルックリン・ハンデに勝ったシルヴァー・スープリーム Silver Supreme (1978年、脚毛、牡馬、父アル・ハッタブ Al Hattab)の母。

更には仏牝馬2冠と凱旋門賞でいずれも2着の名牝コンテッス・ド・ロワール Comtesse de Loir 、アメリカでコーチング・クラブ・アメリカン・オークスを制したネクスト・ムーヴ Next Move (1947年、黒鹿毛、父ブル・リー Bull Lea)などもこの牝系の出身です。

これ以上活躍馬を列記してもキリがありません。所謂クラシック血統と呼ばれるものがあるとすれば、ルカイヤンを産んだファミリーも間違いなくその一つに加えられるでしょう。

ファミリー・ナンバーは、20。比較的最近になって勢力を伸ばしてきている血脈です。

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