クァルテット・エクセルシオ第23回東京定期演奏会

梅雨の真っ只中ですが、薄日の射す日曜日の午後、上野の文化会館小ホールで恒例のエク定期を聴いてきました。チョッと風邪気味、体調が今一つなので席取りの長い列には並びません。
で、中央ブロックの真ん中より後ろに座りましたが、此処の方が全体のバランスが纏まって聴こえてくるみたい。席取りの苦労もしなくて済みますから、これからはこの手ですな。

モーツァルト/弦楽四重奏曲第10番ハ長調K.170
メンデルスゾーン/弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品44-1
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調「ラズモフスキー第3番」作品59-3
 クァルテット・エクセルシオ

今回の定期も奥沢・試演会を経ての本番です。この火曜日(あした)には札幌定期でも披露されるプログラム、札幌は5年目(第5回)の定期になる計算ですね。今頃の札幌は一番良い季節なんだろうなぁ~。

ところで先週火曜日の試演会は大変でした。折から台風4号が接近中。行きは雨が降り出したばかりで傘も開かなかったのですが、帰りはそれこそ土砂降り。私共は危険を察知して車で出かけたのですが、駐車場まで戻る間にずぶ濡れになりましたヨ。
自由が丘から歩いた方、さぞ大変でしたろう。そんな中でも札幌、名古屋、甲賀から態々遠征された諸氏には頭が下がります。エクは良い聴き手を持って幸せだと思いました。

お試しが終わった後の酒話会では、専らここ一月ほど続けているセカンドとヴィオラの演奏位置入れ替わりが話題になっていましたっけ。メンバーがより演奏し易くするため、とかセカンドをもっと引き立てるため、とか理由はいろいろあるようですが、聴く側の意見も様々だったようです。
私自身は、実はその違いは余り良くは判りませんでしたね。いずれにしても団として様々なチャレンジを試みることは大事なこと。チョッとしたことが切っ掛けになって新たな作品への視点が見出せるということもありましょう。

接近する台風を気遣ってか奥沢ではかなりテンポ・アップ(特にベートーヴェン)の印象でしたが、上野での本番は遥かにゆったりした印象を持ちました。特に冒頭のモーツァルト。中でも第3楽章。

エク定期のプログラム誌は、毎回各曲に対するメンバー個々のコメントが載せられているのがパターンとして定着していますが、これが中々に含蓄があるのですネ。
で、モーツァルトは、“第2楽章が好き”(吉田) とか“第1楽章には天才や幸せを感じる”(大友) という意見があるようですが、私は個人的には第3楽章が気に入りました。いかにもモーツァルトらしいト長調のメロディーが第1ヴァイオリンで歌われますが、後半ではヴィオラが、次いで第2ヴァイオリンがテーマを受持ち、第1ヴァイオリンに返していく。このパート間の移動は、確かに昨日の配置が効果を上げているように感じられました。

前回も感じたことですが、エク定期のモーツァルト初期シリーズは単なる前座じゃありません。良く聴いてみると一つ一つが実にチャーミング。
またエクのモーツァルト語は、回を重ねる度に流暢さを増してきています。大友氏が“ボンボンであっても、やっぱりボンとボンは違う” と哲学的な暗示をしていますが、要するにフレーズも伴奏も、音の意味は一つ一つ違うということなのでしょう。
例えば第1楽章は主題と4つの変奏曲で構成され最後に主題が繰り返されますが、主題と変奏の間、変奏と変奏との間のエクの呼吸が絶妙で、正にモーツァルト語による会話になっているのですね。これは理屈ではなく、体が覚えてしまわなければ出てこない種類の「間」なのだと思います。大友の言う「ボンボン」でしょうか。

ところで解説によれば、170にはハイドンの作品2-6の引用(変奏主題)があるとのこと。見比べてみましたが、確かに雰囲気は良く似ていますね。同じ4分の2拍子、付点リズムの扱い、主題後半が下降音形で始まることなど。
しかし引用と言うほどのパクリとは思えません。誰の説かは知りませんが、音楽学者の詮索が如何に微に入り、細をうがっているかに改めて感心してしまいました。
それにしてもモーツァルト主題の構造、前半が8小節なのに対し、後半は9小節というのが面白いですね。後半で何気に入るほぼ1小節のパウゼが、モーツァルト独自の個性なんでしょうか。

もう一つ余計なことに触れると、今回の演奏は Wolfgang Rehm 校訂のベーレンライター版。手持ちの譜面は旧全集抜き刷りのカーマス版で、両版には違いが散見されます。ロンドーには3か所の繰り返し記号があるようですが、カーマスには1か所しかありません。第3楽章3小節目の3連音も音高に違いがありました。

ということで初期作品シリーズはあと3曲。これからも注意深く聴くべきだし、全部終わった暁には、別の形で再演してくれることに期待しましょう。個人的には最初の作品やミラノ四重奏の前半を聴いていないので・・・。

続いてはメンデルスゾーン。これはエクとしても新しいレパートリーなのだそうです。

今回取り上げた3人。モーツァルトが死んだとき、ベートーヴェンは21歳でしたし、ベートーヴェンが亡くなった時メンデルスゾーンは18歳ということになります。要するに時間的には凝縮されているのですが、この時代の作品スタイルの変化は極めて大きいというのも聴き所かと思いました。
エクによれば、“コンチェルトのつもりで弾く”(西野) とか“いちばん最初に命を賭ける”(吉田) “セカンドもね”(山田) と言うように、新レパートリーの開拓に向けた意欲が漲ったもので、彼らの新境地を楽しみました。

メンデルスゾーンでも、第3楽章に今回の配置が効果を上げていると感じます。ヴィオラとチェロのピチカートに乗ってファーストとセカンドが別々の動きでテーマを形作るのですが、所謂対抗型の並びによってお互いのラインが明瞭に聴こえてくるのが興味深い点でしょう。
第2楽章メヌエットのトリオ部の美しいファーストの流れは如何にもメンデルスゾーン。これが単なる三部形式ではなく、最後にトリオが再び顔を出すのもメンデルスゾーンの新しさでしょう。

メインは又してもラズモ3番。“またラズモだって思ってませんか、って逆に私たちが皆さんに質問したいくらい。でも、まだまだです”(吉田)と彼等自身が認めているように、ベートーヴェンはここまでやったらお仕舞、ということにはなりません。“これはもう、しょうがないんです。”(大友)ということ。

今回も単なるフィナーレの速さ競争にはならず、それに先立つ楽章に突き詰めるべきことを見出す感じの演奏。“第2楽章のチェロのピチカートは、回を増す毎に深まってる”(山田)というコメントに納得の定期でした。

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1件の返信

  1. まとめtyaiました【クァルテット・エクセルシオ第23回東京定期演奏会】

    梅雨の真っ只中ですが、薄日の射す日曜日の午後、上野の文化会館小ホールで恒例のエク定期を聴いてきました。チョッと風邪気味、体調が今一つなので席取りの長い列には並びません。…

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