東京フィル・第835回定期演奏会

東フィルの7月サントリー定期、初めて聴くレブエルタスのセンセマヤを楽しみにして出掛けたのですが、素晴らしい才能との出会いに思わぬ一驚を喫した演奏会でした。

レブエルタス/センセマヤ
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲
     ~休憩~
ベルリオーズ/幻想交響曲
 指揮/クリスチャン・ヴァスケス Christian Vasquez
 ヴァイオリン/前橋汀子
 コンサートマスター/高木高志

今回が初登場となるヴァスケス(東フィルでは「バスケス」と表記していますが、スペルが「V」で始まるのでこうしました)は、1984年生まれと言いますから未だ28歳か29歳。年齢からすれば指揮者としてはヒヨコでしょうが、これが中々の逸材。彼の話はあとで詳しく触れるとして、先ず前半の感想を書いておきましょう。

最初にも書いたようにレブエルタスを初体験できる貴重なチャンス、スコア持参で出掛けました。
実は小生がクラシック音楽を聴き始めた最初の頃、ニューヨークでバーンタインがヤング・ピープルズ・コンサートという啓蒙的な演奏会シリーズを繰り広げていました。いくつかあったテーマの中に「南米の音楽」という一項があったと記憶します。
バーンスタインとニューヨーク・フィルとの膨大な数の録音にもこの趣旨に沿った1枚があり、レブエルタスのセンセマヤもそこに含まれていた作品です。他はチャヴェツ(シンフォニア・インディア)、グァルニエリ、ヴィラ=ロボス(ブラジル風バッハ第5番)などで、この1枚には聴いた当初から強烈に惹き付けられたものでした。

こうした形で日本に南米のクラシック音楽が紹介された当時、楽譜は現在ほど高価なものでもなく、学生の身の小生でもふらふらと入ったヤマハでセンセマヤのスコアを見付け、前後の見境も無く購入したものでした。シャーマー版、当時の値札は4ドル。もちろん固定相場制時代でしたからそれなりのお値段でしたでしょうが、学食の昼飯を何度か抜けば手が出た範囲でしょう。
ということでスコアも見、LPも擦り切れるまで聴きましたが、生演奏に接する機会だけは恵まれませんでした。やがて時代はCDに代わり、音盤コレクションには余り熱心でなかったせいもあって今や手元には1枚の音源も無い状態。東フィルが取り上げると知って、棚の奥から埃塗れになっていたスコアを取り出した次第です。

スコアには演奏時間7分と明記された小品ですが、全曲を貫いているのは7拍子。前半は8分の7拍子が延々と続きます。その7拍子も4分の2拍子+8分の3と記され、オノマトペア風に記せば、「ヅン・チャ・ヅン・チャ・ヅン・チャッ・チャッ」とでもしておきましょうか。
中間点のクライマックスで8分の9拍子が登場しますが、これも3拍子×3ではなく、4分の3+8分の3。更に痛快なのが、練習番号26から33まで執拗に繰り返される8分の7拍子と16分の7拍子の交替。つまり倍速の7拍子が出てくるのですが、ここはもうリズムを取るのが難しいレヴェル。
そこで聴く方はどうするかと言うと、16分の7には7つのシラブルで構成される日本語を充てる。私の場合は赤坂見附「アカサカミツケ」と決めていますから、「ヅン・チャ・ヅン・チャ・ヅン・チャッ・チャッ」「アカサカミツケ」とお経の文句のように唱えて行けばリズムにバッチリ乗れるのですよ。

ということで、真に楽しいセンセマヤでありました。蛇もビックリですな。

前半のメインは、音楽的には180度転換したブラームスの名作。ソリストの前橋は、この日の指揮者と同年代の孫がいてもおかしくない位の大ヴェテラン。実は彼女、先だって久し振りに横浜でベートーヴェンの協奏曲に接し、認識を新たにしたばかりでした。
ヨーゼフ・シゲティを連想させるような一音一音を噛みしめながら進む音楽、一音も曖昧な所を残さない演奏には、彼女の作品に立ち向かう真摯な姿勢が映し出されます。
伴奏するオーケストラも14型の大きなもの。決して音量の大きな方ではない前橋、煌びやかな技巧で圧倒するわけでもない彼女がフル編成のオケを相手に正面から受けて立つ姿にこそ、彼女の真骨頂を見るべき、いや聴くべきと言わねばなりません。襟を正して聴くべきブラームス。

カデンツァとして弾いたヨーゼフ・ヨアヒム作、アンコールに取り上げたバッハの無伴奏パルティータ第3番の「ガヴォット」、共に彼女のスタイルを様式云々で批判するのは中りません。協奏曲のカデンツァ、無伴奏のソロ作品はヴァイオリンそのものを楽しむべきであり、前橋汀子の芸術を聴く時間なのですから。
第1楽章が終わった時、何人かが軽く拍手を贈りましたが、東フィル定期会員の耳の確かさにも感心させられます。こういう場面では拍手があって当然でしょう。
思い出したのは、英国の大ヴェテラン、イダ・ヘンデル。前橋は、日本版のヘンデルだと思いました。

最後はヴァスケスの天賦の才に酔う時間。

初来日のヴァスケスは、ヴェネズエラのカラカス生まれ。彼の地の音楽教育システム「エル・システマ」の出身とのこと。というと飛ぶ鳥を落とす勢いのドゥダメルを連想しますが、正にそれに次ぐ逸材でしょう。
但し、プログラムの解説(山田真一)によるとドゥダメルとヴァスケスでは二つの点で大きく異なる由。即ち、一つはドゥダメルがコンクールに優勝してから抜擢されたのに対し、ヴァスケスはその演奏のみで北欧のスタヴァンゲル響の指揮者に招聘されたこと。もう一つはドゥダメルが民族楽派や近代作品で名を挙げたのに対し、ヴァスケスはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどウィーン古典派を丹念に勉強してきた基礎が豊富であること。
今回は幻想交響曲という喝采を受け易い作品での登場でしたが、私の耳には単なる派手な演出を一切廃した、作品そのものの真価に正面から挑んでの成果と聴こえました。ドゥダメルをナマで聴いたことが無いので軽々に比較は出来ませんが、私にはヴァスケスの方により将来性の大きさを感じます。

協奏曲以外は暗譜での指揮。その動きは適切で無駄な動きは全く無く、恐らくプレイヤーも自然に指揮者の意向、やりたいことが伝わってくるのではないでしょうか。上記の様にハッタリや外連味は皆無。それでいて音楽は作曲されたばかりのように新鮮に響き、淀みを知りません。スケールの大きさも特筆モノ。
細部を記憶のために残しておくと、第1楽章も第4楽章も繰り返しを実行。第2楽章のワルツはコルネットのパッセージを含んだ版を使用していました。またオーボエ、怒りの日の鐘も指定通り舞台裏から。

東フィルはとんでもない才能と巡り合ったものです。この邂逅を大切にし、何らかのポストを用意して絆を一層強くしていくべきでしょう。今度は古典派の作品でヴァスケスの真価を聴きたい、と強く思いました。
私にとっては広上以来となる一目惚れになったかも。そう言えば音楽性と言い、風貌と言い、二人には共通点があるようにも感じられます。

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