東京都響・第760回定期演奏会

久し振りに上野文化会館で管弦楽の演奏会を聴いてきました。都響の定期演奏会。

実は都響を聴くのは久し振り、文化会館でオケのコンサートを聴くのも何年振りでしょうか。私もかなり以前は都響の定期会員で、若杉弘時代には足繁く上野に通ったものでした。
当時は未だマーラーに夢中な時期で、ピノちゃん(若杉氏の愛称、ピノキオが起源ですね)の指揮で初めて聴いたマーラー作品も多かったと思います。

ところがある時期から何ともマーラー臭が鼻を衝くように感じられ、次第にメトロポリタン・オケは遠い存在になっていきました。若杉以降も都響はマーラー指揮者が続き、個人的にはマーラーばかり演っているオケという印象が強かったのです。
そのマーラー、今でも「プリンシパル・コンダクター」の元で全曲シリーズなどが盛んなようですが、私が注目したのは今回の指揮者、ヤクブ・フルシャ。
彼については友人から「中々良い指揮者だよ」という評判を聞いていましたが、今回のプログラムには仰天。これは行かずばならんでしょう。夢にまで見たアスラエルが聴けるのですから。

ということで1回券をゲット、予習を重ねて本番に向かいました。何ともニクいプログラムは以下のもの。

ドヴォルザーク/弦楽のための夜想曲ロ長調 作品40
マルティヌー/オーボエと小オーケストラのための協奏曲
     ~休憩~
スーク/交響曲第2番ハ短調 作品27「アスラエル」
 指揮/ヤクブ・フルシャ
 オーボエ/広田智之
 コンサートマスター/四方恭子
 フォアシュピーラー/矢部達哉

もちろん前半も素晴らしい体験でしたが、先ずは後半のレポートから。

大作曲家スークについては、日本では余り知られていませんね。私の記憶では、孫で同姓同名のヴァイオリニスト、ヨゼフ・スークが来日公演で四つの小品(作品17)や、チェコ・フィルと幻想曲(作品24)を紹介してくれた程度でしょうか。あとは弦楽セレナーデが時々取り上げられた位のもの。むしろ演奏家、ボヘミア弦楽四重奏団のセカンドとして名が知られていましたっけ。
個人的なスーク体験は、CD初期にノイマン/チェコ・フィルがターリッヒ以来久し振りにアスラエルを録音したのが切っ掛けで、この新盤を聴いてスークの虜になったものでした。
確かターリッヒの初録音は日本ではLP未発売だったはずで、これも後にCD化されましたし、スコアがヘフリッヒ社から再販されるに及んで、私の「アスラエルをナマで聴きたい」願望が一層募ります。
実は仙台フィルが定期で取り上げる機会がありましたが、その時は東京で重要なコンサートがあってバッティング。止む無く遠征を断念するという経緯もありました。

ほぼ諦めかけていた時、フルシャ/都響の英断。先ずは弱冠32歳の若手、ヤクブ・フルシャに感謝せねばならないでしょう。オケに付いても同じ。こうした知られざる作品を演奏するには集客不安が付きものですが、敢えて実現に踏み切った事務局も讃えましょう。
昨日は外来オケの公演が二つもあって形勢不利だったにも拘わらず、客席は補助席が出るほど。2階席以上は判りませんが、少なくとも私がゲットした1階席は隅から隅までほとんど埋め尽くされていました。先ずこのことに驚きます。都響が好調という噂は聞いていましたが、これほどの人気とは・・・。何か手品でもあるのでしょうか。営業のノウハウも知りたいところ。

肝心の演奏も立派なもので、単に知られていない名曲を紹介する以上の見事な出来栄えでした。恐らくオーケストラとしても初体験のアスラエル、これはやはりフルシャのこの曲に対する思い入れが尋常ではなかったことの証明でしょう。前半と違って暗譜で振っていたことも、それを裏付けていました。

私感では、スークの「アスラエル」交響曲は、クラシック・ファンなら一度はナマで接すべき名曲。30歳の若書きとは言え、師であり義理の父でもあるドヴォルザークと、愛妻オティルカ(ドヴォルザークの娘)の相次ぐ死に打ちのめされながらも、自身の二人への想いを籠めた追悼曲。
当初4楽章構成だったものが、オティルカの死に接して5楽章に拡大。前半の3楽章はドヴォルザークに、後半2楽章はオティルカに捧げられています。
各楽章共に完全終止しますが、前半の三つの楽章、更に後半の二つの楽章にもアタッカの指示があります。前半と後半の間、即ち第3楽章と第4楽章の間は「長い休止」を取るようにと、マーラー的な書き込みも。フルシャはこの指定を忠実に守っていました。こうした個所は音盤などでは判らない点で、その意味でもナマの演奏に接することが極めて重要だと思慮します。

この大作は単にスークの個人的なメッセージに留まらず、チェコでは哀悼や追悼を伴う機会には欠かせない作品となり、彼の地では第2の国歌的な位置を占めるのだとか。後世への影響も深く、例えば作曲家ウルマンは、その歌劇の一曲にアスラエルから引用しているほど。日本でほとんど演奏されないのは、楽壇の不思議の一つと言えるかもしれません。

引用と言えば、この交響曲の第2楽章にはドヴォルザークのレクイエムからの引用があります。この楽章は葬送行進曲で、終始トランペットとフルートが「レ♭」の音を弱く響かせるのが聴きどころ。このレ♭からドヴォルザーク主題(キリエ・エレイソンのテーマ)が産まれ、楽章中に4回登場します。
ところでレ♭は、ドイツ語で言えば「Des」。Des は「death」に通ずる、というのは私の勝手な解釈ですが、アスラエル交響曲を理解する上では良い切っ掛けになるのじゃないでしょうか。

全曲を通して登場する「死の動機」が、第5楽章の最後で昇天を表現するかの如く清澄な響きに昇華し、ハ短調とハ長調を交互に奏でるツァラトゥストラ的な集結は真に感動的でした。

前半の2曲目に演奏されたマルティヌーの協奏曲は、モーツァルト、R.シュトラウスと並んで三大オーボエ協奏曲の一つに挙げられる佳曲ですが、私はナマ初体験。
プログラム・ノートによれば、今回の演奏は2008年に出版された新版楽譜によるとのこと。旧版ではカットされていた第3楽章の第2カデンツァが復活されたのだそうです。この知見も私には初めてのことで、演奏会に出掛けて良かった、と思いましたね。

因みに8種類ほどの音盤をチェックしてみましたが、確かに古い録音ではカデンツァは一回のみ。最近の新しいレコーディングでは弦合奏の短いパッセージを挟み、より技巧的なカデンツァが吹かれることも確認できました。
カデンツァのカットは、この作品の依頼者であり初演者でもあるイジー・ダンツィプディクが施したのだそうですが、ダンツィプディク自身の録音では、短いながらも第2カデンツァが出てくるのが面白い所。この辺りの機微は、到底私の知るところではありません。

ソロを吹いた広田は、かつて日本フィルの首席だった名手。以前は毎月のように聴いていましたが、今回久し振りにその美音に接することが出来ました。相変わらず巧い!
広田自身のインタヴュー記事によると、マルティヌー作品にもドヴォルザークからの引用がある由。改めて確認してみると、第2楽章でオーボエが最初のパッセージを吹いた後、チェロに一度だけ登場する「レ-ミ-ド-レ」がそれでしょう。
フルシャの希望もあり、広田はソリストを務めたあと、アスラエル交響曲でもトップを吹いていました。ドヴォルザーク→マルティヌー→スークと続く内的な関連を組み込んだプログラム。これだけを見てもフルシャが相当な人物であることが想像出来るではありませんか。

冒頭のドヴォルザークも珍品の部類でしょうが、今回のプログラムには無くてはならぬ作曲家。作品のスコアには演奏時間7分と指定がありますが、フルシャはほぼ7分ピタリで演奏していました。最適のテンポ設定だったと言えるでしょう。

2010年から都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任したヤクブ・フルシャ、来期もスーク作品のみによるプログラム、マルティヌーのみの定期からカベラーチ作品の紹介までと多彩。
チェコの指揮者と言えばスメタナとドヴォルザーク、ヤナチェックを少しというのがこれまでの定番でしたが、フルシャの積極的な姿勢には目が離せません。いずれはスークの大作「人生の実り」(ライブニング)が聴ける日が来るかも。追っ駆けに繋がりそうな一夜でした。

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