京都市交響楽団・第555回定期演奏会

不在の間に溜まっていた日記と格闘し、漸くここまで来ました。先週の日曜日、3月25日に京都コンサートホールの大ホールで行われた京都市交響楽団の第555回定期演奏会です。
去年も京響の3月定期に出掛けましたが、このところ3月は京都というのが私共の生活スタイルになってしまいました。何もなければ来年も同じパターンになるでしょう。
ワンデイ京都で日帰りも可能ですが、折角京都に来たのですからプチ観光も兼ねて。今回は日曜の朝早く東京を発ち、午前中は市内散策。午後2時半開始の演奏会を聴き、その日は京都泊まり。翌日の午前も気の向くままに古都を歩き、午後の新幹線で帰宅という大雑把なスケジュールです。

今回の宿は烏丸御池。特に外国人に一番人気のホテルにしました。勝手知ったる烏丸線で三つ目の烏丸御池下車。取り敢えず荷物をフロントに預け、直ぐ近くの六角堂に参拝します。聖徳太子創建、いけばな発祥地でもある六角堂には枝垂桜もありますが、花はまだまだの季節でした。
ここからブラブラと錦市場を冷やかします。今は荷物になるので買い物は我慢、京都の聖俗を共に体験しました。
河原町に出、鴨川を渡って祇園。日曜の午後とは言え大混雑。それもそのはず、ここはJRAの馬券売り場ウインズあっての賑いであることに気が付きます。この日はGⅠの高松宮杯があって、行き交う人の頭の中はカレンチャン、サンカルロ、はてまたマジンプロスパーなどという名前で一杯なんでしょう。

ここをすり抜けると、今回の目的の一つである建仁寺に辿り着きます。この辺りの機微は書きません。家内がブログに載せるでしょうから、写真を見たい人は自分で勝手に検索してください。
ということで時刻は丁度昼刻。目に留まった食堂で小腹を満たし、大目的の北山に向かいます。
烏丸御池の駅でパラパラと雨が落ちてきましたが、北山に着くと通り雨が過ぎた後。強い春の陽射しが照りつけていましたが、地面は水溜りが出来るほどに濡れています。去年もそうでしたが、この時期の京都は天気が変わり易く、冬と春とが鬩ぎ合っているのでしょう。

ホールの前には当日券を求める長い列が出来ていました。今回は恒例のプレトークの他にゲネプロの公開もあり、熱心なファンは丸一日京響デイだったようです。ゲネプロの様子は京響の公式ブログにも紹介されていますが、終了後に広上淳一とファンとの対話も実現したようですね。

プレトークは指揮者の他に二人のコンサートマスター、渡邊穣氏と泉原隆志氏が登場。今回の曲目に関する思い出などが語られました。
3月定期はプログラムのメインとなる作品が2曲。広上によれば、ビフテキの後でメインディッシュが出るようなものと譬えられます。バルトークは泉原コンマスにとっては初チャレンジ、渡邊コンマスも新日フィル(恐らく小澤征爾の棒)以来の演奏だそうな。広上氏はバルトークに怒鳴られたジンマンのエピソードを紹介していました(以前に日フィルのマエストロサロンで披露したあの逸話です)。
ブラームス/シェーンベルクについては、広上氏のウルトラ・セブン説が笑えましたね。ブラームスの音楽をシェーンベルクがアレンジすると、時に高いビルの高さになったり、一転して人体に入り込めるほど小さくなる、という。どうもこの人の例え話は奇想天外でついて行けないところがあります。う~ん、ウルトラセブンねぇ~。

ということでコンサートが始まります。改めて以下のプログラム。

バルトーク/管弦楽のための協奏曲
     ~休憩~
ブラームス/ピアノ四重奏曲第1番(シェーンベルクによる管弦楽編曲版)
 指揮/広上淳一
 コンサートマスター/渡邊穣、泉原隆志

二人のコンマスは、表に渡邉、裏に泉原が座ります。二人が同時に座るのは私は初めて見たと思いますが、このスタイルも時々行われているようです。チェロの頭はもちろん上村昇氏。

演奏は、“京響は、この1,2年の間に、まるで別人のような進化を遂げたオーケストラに変貌”したというマエストロの言葉に違わぬ素晴らしいもの。何より楽員が心から音楽を奏でる喜びを溢れさせている姿に感動しました。
2曲とも楽譜係がスコアと指揮棒を準備するのですが、広上は一切棒に手を伸ばすことなく、すべて両の手だけで指揮します。これを見て思い出したのはロシアの名匠ゲルギエフ。彼も指揮棒を持ったり持たなかったりしますが、手兵のマリインスキーとの演奏の際は指揮棒を使いません。気心が知れた仲間の間では、却って指揮棒は邪魔になるのでしょう。
恐らく広上も同じで、「手兵」京響との意思疎通に指揮棒は不要なのかもしれません。時には両手を祈るように組み、要所では空手チョップを繰り出し、音楽を掬い上げるようにオケを自在にコントロールして行くのでした。

バルトークは音楽の流れが真に自然。プレトークでも話題になりましたが、作曲当時は現代音楽だった新曲も今や懐かしささえ感じさせる名曲に変貌。正に古典としてのバルトークを堪能しました。

バルトーク演奏がダブル・エー(AA)とすれば、ブラームス/シェーンベルク演奏はトリプル・エー(AAA)と更に上を行く仕上がり。
比較的大人しい第1・2楽章を端正に纏め、第3楽章中間部辺りから広上独特の指揮スタイルが炸裂、フィナーレでは華麗な音絵巻とパッションに満ちたハンガリアン・スタイルが会場を圧倒します。
特に最後のヒートアップにはホール全体が唖然。出演者に大入り袋が配られたほど満席の聴衆から盛大な歓声が贈られました。

割れんばかりの拍手を制し、マエストロがファゴット奏者・山本一宏氏の卒団を紹介。同僚から大きな花束が三つも贈られます。
山本氏は元首席として在籍39年。マエストロによれば「京響の生き字引」的存在。感激の涙で顔をくしゃくしゃにした山本氏の挨拶。
“広上さんが来てから京響で演奏するのが楽しくなりました。それまでの方が楽しくなかったというワケじゃありませんが(笑)、ホントに広上さんとの音楽は楽しいんです。幸せです”

彼が最後に客席に語りかけた言葉以上に、現在の京都市交響楽団を代弁している表現は無いでしょう。つい数年前までは「職員」だったオケのプレイヤーも。、現在は胸を張って「団員」と称します。
広上が京響に齎したものは、演奏する喜びと、共に音楽する楽しさ。要するにプレイヤーと言う職人軍団に高いモチベーションを注入したことに尽きるでしょう。
前回マエストロと京響のラフマニノフに接したアメリカの某評論家が感嘆、世界のオーケストラが求めているのは「ヒロカミ」だと豪語したのは有名な話。
ほんとうに得難い名匠。今、世界で最も幸せなオーケストラは京都市交響楽団でしょうね。もし広上がブラームス/シェーンベルクを取り上げるなら、それが世界の何処であっても聴きに行くべし。それだけの価値がある名演でした。

演奏会を終えて、これも慣例となっているレセプションがあります。この日卒団を迎えた山本氏を中心にしたファゴット四重奏によるプレゼント。プロコフィエフ作品と作者不詳の「遠い道」が喝采を浴びていました。

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