英国競馬1964(2)

前回に引き続き、1964年のクラシック・シーン。今回は2000ギニーの翌日に行われた1000ギニーを振り返っていきましょう。先ずは2000ギニーに倣ってフリー・ハンデの上位から。

2歳馬全体の第5位、牝馬でトップに評価されたのは、9ストーン2ポンドのメソポタミア Mesopotamia でした。前年のロイヤル・アスコットでチェシャム・ステークスに勝ちましたが、彼女の場合は続くハイペリオン・ステークスでタラハッシーの2着したことが高い評価を得た要因です。2000ギニーで紹介したように、タラハッシーはフリー・ハンデのトップでした。
アイルランド調教のメソポタミアは1000ギニーには当初から出走の予定は無く、むしろオークスに向かう意向を明らかにしていました。

続いてはクリミア Cremea Ⅱ の9ストーンが続きます。モールコム・ステークスとチーヴリー・パーク・ステークスを制して2歳牝馬としては事実上チャンピオンに君臨した存在と言えましょう。
第3位はやはりアイルランド調教馬のプールパルレー Pourparler 。8ストーン13ポンドの評価で、ナショナル・ステークスとラウザー・ステークスを制していました。

2月に入って各ブックメーカーが発表したオッズでは、1番人気がクリミアの6対1。7対1で2番人気を与えられたレリダ Lerida はフリー・ハンデ4番手評価(8ストーン10ポンド)の馬で、2歳時は3戦し、ロイヤル・アスコットのクィーン・メアリー・ステークスなど2勝していました。3番人気がプールパルレーの10対1。

牡馬のトライアル戦線同様、最初に注目されたのはケンプトン1000ギニー・トライアル。ここにはアイルランドからプールパルレーが参戦し、1番人気に支持されていました、ゴール前では楽勝かと思われましたが、伏兵グウェン Gwen に脚を掬われます。本命に騎乗したブーグール騎手が馬に負担を掛けないように馬を抑えたのですが、最後方に待機していたグウェンがインコースぎりぎりを衝き、恰も出し抜けを喰らわせたような形でゴール直前にプールパルレーを捉えたのでした。
明らかに騎手の判断ミスでしたが、寧ろ敗れて強しと評価されたプールパルレーは、ギニーのオッズ10対1は変わらず。勝ったグウェンにはレース後12対1のオッズが提示されます。

続いてニューマーケット・クレイヴァン開催のネル・グィン・ステークスはアルボラーダ Alborada が勝ちましたが、結果的にこの馬はギニーには出走しません。
またニューバリー競馬場のフレッド・ダーリング・ステークスにはこの時点で2番人気だったレリダ Lerida が出走して注目されましたが、全くの凡走に終わり、ギニー戦線から脱落して行きます。勝馬エラ・マリタ Ela Marita にはクラシック登録がなく、このトライアルはギニーの人気にはほとんど影響していません。

一方、1番人気に評価されていたクリミアは直接ギニーへ向かう旨の発表があり、期待より不安を残したまま本番を迎えることになります。
そこで注目されたのが海外勢の動向。フランスのトライアルとなるアンプルーダンス賞(1400メートル)を勝ったのはフランソワ・マテ厩舎のテクサニータ Texanita で、陣営は直ぐにニューマーケット遠征を表明。この時点でクリミアに替って1番人気のオッズ5対1が付けられました。ただし彼女は短距離馬テクサーナ Texana の全妹ということで血統的に距離不安を抱えており、危ない本命と見る向きが多かったのも事実でしょう。

続いて飛び込んできたのは、3月29日に行われたエレナ賞(イタリア1000ギニー)を制したブロンジーナ Bronzina Ⅱ が参戦表明したこと。イタリアからの遠征はかなり希なケースですが、ネアルコやリボーを輩出したチームの挑戦とあって一定の評価を獲得したのは当然でしょう。

以上の前哨戦を経て4月30日にニューマーケットに登場したのは18頭。馬場は前日の2000ギニーよりは若干乾いた程度で、公式発表は good 。
人気はテクサニータが100対30で本命、11対2のプールパルレーが2番人気で続き、3番人気には100対9でグウェンとブロンジーナが並んでいました。当初本命視されていたクリミアは最終的には100対8にオッズを落とし、並んでの5番人気。

パドックで煩かったのが、3番人気の一角グウェン。この日は本来のパートナーであるS.スミス騎手が先のエプサムで落馬負傷したため、ピーター・ロビンソンに乗り替わり。ところがパドックでジョッキーが跨ると、グウェンはこれを振り落そうとロデオ状態に陥ってしまいます。これはスタートまで続き、結局スターターの判断で本来の3番スタートからスタンドから最も遠い地点での発走に変更となりました。
2000ギニーでも勝馬ボールドリックが特別に外発走となったことを紹介しましたが、グウェンの場合も結果大外スタートから2着に食い込むことになりましたので、この年のギニーには奇妙な共通点があったことになります。

ということで先に触れたとおり、1000ギニーも馬群が二つに分かれる展開。前半はスタンド側に進路を取ったクリミアが先頭に立っていましたが、これを追走する馬がいなかったのがクリミアの不運。結局は単独で走ることになり、次第にスタンドから遠いグループの先行争いから遅れ始めます。
一方外のグループは、3頭のハナ争いをプールパルレーが追走し、グウェンはケンプトンのトライアル再現を目論んでこれをマークする流れ。最後の登り、満を持していたブーグール騎手が仕掛けると、プールパルレーは鋭い脚で先頭に立ちます。これを見てロビンソン騎手のグウェンも追い上げに入りましたが、トライアルの時とは違ってプールパルレーの脚色は最後まで衰えず、結局は1馬身差で戴冠。2着グウェンから1馬身半後方の3着争いは熾烈で、長い写真判定の結果、プティット・ジーナ Petite Gina とロイヤル・ダンスーズ Royal Danseuse の同着と発表されました。ここまでは全てスタンドから遠いコースを走ったグループ。
スタンド側を選んだ(選ばざるを得なかった)グループでは、最初から最後までグループの先頭に立っていたクリミアの5着が最高。もし彼女に競り掛ける馬がいたなら、反対側とはもっと際どい勝負になっていたではないかと思われる結果でした。本命テクサニータはスタンド側の2番手を進んでいましたが、最後はスタミナ不足を露呈して着外(当時は12着以下は全て一纏めにして着外が公式記録です)に沈んでいます。イタリアから参戦したブロンジーナは8着。

既に紹介した通り、プールパルレーはアイルランドのカラー近郊でパディー(パトリック)・ブレンダーガスト師が調教している馬。師にとって英国のクラシックは1960年のマーシャル Martial (2000ギニー)、1963年のノーブレス Nobless (オークス)とラグサ Ragusa (セントレジャー)に続く4勝目。事後から見た記録となりますが、これが最後の英クラシック制覇でした。
騎乗したガーネット・ブーグール騎手 G. Bougoure は、トライアルのミスを見事に本番で取り返しての優勝。これが唯一の英国クラシック制覇でもあります。余り詳しい経歴は残っていませんが、1960年にアイルランドでリーディング・ジョッキーのタイトルを獲得しているようです。

生産者はアイルランドのピーター・フィッツジェラルドという方で、イヤリング・セールでオーナーとなるベアトリス・グラナール夫人が購入、ブレンダーガスト厩舎に預けられます。グラナール夫人は生年不詳の老婦人で、この時は90歳を超えていたはずでした。アメリカの富豪で高名な銀行マンだったオグデン・ミルズ氏の娘で、40歳近くなって当時英国王エドワード7世の経理責任者だった第8代グラナール侯と結婚。父が彼女に残した遺産(250万ポンド以上だったとか)を元手に、フランスで第17代ダービー卿と組んで馬主生活を満喫したとあります。
パリが生活の拠点だったようですが、馬主としてはイギリスでの方が成功し、プールパルレーの姉で1000ギニーでは惜しくも2着だった(2012年の回顧参照)ディスプレイ Display 、後に紹介することになるこの年のセントレジャー2着馬バッティ Patti 、2歳チャンピオンのボールド・ラット Bold Lad などが彼女の勝負服で走りました。フランスでは戦前、パリ大賞典をカピエロ Cappiello で、仏オークスをアン・フロイデ En Freude で制したこともあります。
往時は美貌とチャーミングな振る舞いで人々を魅了したとのこと。英クラシック制覇はプールパルレーが唯一で、1972年に100歳に届こうかという生涯を閉じました。1973年のBBA(ブラッドストック・ブリーダーズ・アニュアル・レヴュー)にビル・カーリング氏が短い追悼文を寄稿していますので、資料が手に入る方は是非お読みください。

プールパルレーは2歳時は5戦、上記の様にイギリスでナショナル・ステークスとラウザー・ステークスに勝ち、フランス遠征ではロベール・パパン賞で3着に入りました。
3歳初戦としてアイルランドのバリードイル競馬場(現在は存在しません)の7ハロン戦で4着、そのあと英国でトライアル2着し、シーズン3走目でクラシック制覇。クラシックに続いてロイヤル・アスコットのコロネーション・ステークスにも遠征しましたが、負担重量差もあって3着に敗れ、続くサセックス・ステークスではローン・ロケット Roan Rocket の5着に敗れて現役を終えます。結局3歳時は1000ギニーが唯一の勝鞍でした。

繁殖に上がったプールパルレーは、残念ながら特記すべき産駒には恵まれていません。しかし母レヴュー Review の娘では、上記姉ディスプレイの他に半妹フリート Fleet がやはり1000ギニーを制しており、クラシック姉妹として歴史に名を残しました。
近年は若干退潮気味とは言え、このファミリー(4-p)からは未だ未だGⅠ級の馬が出てくる可能性が残されていると見て良いでしょう。

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