英国競馬1964(6)
1964年の英国クラシックは全て紹介しましたが、その他の大レースをいくつか簡単に回顧しておきましょう。
先ずは2000ギニー馬ボールドリック Baldric Ⅱ の項でも取り上げたエクリプス・ステークスから。
この年が71回目となったエクリプス・ステークス、実はその歴史の中で完全な馬齢重量戦で行われたのはこの年が初めてでした。それまでは高額賞金のレースに勝っていた馬にはペナルティー(7ポンド)が課せられていたのですが、1964年からこの規定は外され、真の意味でのチャンピオン・レースとして位置づけられたのでした。こうした動きが、6年後に導入される「パターン・レース」システムの基礎になったのです。その意味でも重要な改変だったと言えるでしょう。
11頭が出走しましたが、アイルランドから挑戦してきた前年のセントレジャー馬ラグサ Ragusa が6対4の本命に支持され、人気通り2000ギニー馬ボールドリックを破って楽勝。2年連続でプレンダーガスト師にエクリプス優勝をもたらします(前年はカルキス Khalkis )。
ラグサについては前年のクラシック回顧で詳しく紹介していますから、そちらをご覧ください。
ラグサは続いてキング・ジョージⅥ世アンド・クィーン・エリザベス・ステークスにも出走すると思われていましたが、意外にも回避。結局イギリス最大のクラシック距離で行われる馬齢重量戦は4頭立てになっていまいました。
これも既にダービー馬サンタ・クロース Santa Clause の項で紹介したように、文句なく勝つであろうと思われたサンタ・クロースが2着に敗退。フランスから遠征してきた4歳馬ナスラム Nasram Ⅱ が制する所となります。この結果がこの年のダービー馬の評価を下げることになりますが、 hard と発表された当日のアスコットの馬場が原因であったことはほぼ明らかで、これがセントレジャーにも影響したことは既に解説した通り。
ナスラムはボールドリックの項で詳しく書いたように、アメリカのハウエル・ジャクソン夫妻が生産した馬で、このシーズンは僅か1勝のみ。オーナーである夫人は、ボールドリックの2勝(ギニーとチャンピオン・ステークス)と、このナスラムの1勝の僅か3勝だけで、1964年のリーディング・オーナー(オーナーは獲得賞金で順位が決まります)に輝いたのでした。
次にマイラー部門を見ていきましょう。50年前は長距離に比してマイラーは現在ほど重要視されておらず、クラシック以外の重賞レースの賞金は遥かに廉いものでした。ですから今日と同じ意味合いでマイラーを語ることは出来ません。
そんな中でも1964年のチャンピオン・マイラーに選ばれたのは、3歳馬のローン・ロケット Roan Rocket 。シーズン初戦のロッキンジ・ステークスこそ4着でしたが、その後ロイヤル・アスコットのセント・ジェームス・パレス・ステークス、グローリアス・グッドウッドのサセックス・ステークスと何れも楽勝し、自他ともに認めるマイル王に輝きました。
走ったのはこの3戦のみでしたが、何れも現在ではGⅠに格付けされているレース。チャンピオン・マイラーが走ったということで、レース自体の格も挙がったと見て良いでしょう。サセックスではデリング=ドゥー Derring-Do 、バラストロード Balustrade 、1000ギニー馬プールパルレー Pourparler など同期のクラシック好走馬たちを退けています。
一方スプリンター部門は、マイラー以上に当時は話題とはなりませんでした。この年は加えてドングリの背比べ、傑出した短距離馬は出現していません。
結局この年のベスト・スプリンターに選ばれたのは、ヨークのナンソープ・ステークスを制したアルスレー・ドン Althrey Don という3歳馬。勝鞍はこれ一鞍だけでしたが、そのレース内容が圧巻だったこと、他に目立った内容の短距離レースが無かったことが選出の要因です。面白いことに、ローン・ロケットもアルスレー・ドンも芦毛馬でした。
英国の競馬はこの辺りで締めとしますが、1頭取り上げなければならない馬がいましたね。それは去年のダービーで詳しく取り上げたフランスの強豪レルコ Relko 。
去年の最強馬レルコは、英国競馬1963(3)でも簡単に紹介したように、4歳時にも3戦。フランスのガネー賞に勝ってエプサムのダービー開催に再度遠征し、コロネーション・カップで前年のエクリプス・ステークス馬カルキスを接戦の末に破ります。
更にサン=クルー大賞典にも勝って今期3戦3勝として惜しまれつつ引退。種牡馬としての成績も去年の記事に紹介しました。
最後に、50年前の日本の競馬についても触れておきましょう。
50年前のスポーツ界というと、我が国のテレビなどでは東京オリンピックが開催された年という話題一色ですが、競馬ファンとしてはシンザンが三冠を達成したことを遥かに懐かしく思い出します。小生は高校生でしたが、オリンピックにはほとんど興味もなく、授業中でもシンザンが菊花賞に勝てるかの方にずっと気を取られていたものでした。シンザンの三冠は1941年のセントライト以来の快挙で、実に23年振りのことでもありました。
またこの年は牝馬でも二冠馬が誕生。それがカネケヤキで、クラシックのレヴェルがどの程度だったのかは別として、2頭によるクラシック独占も話題でしたね。
私は馬券を買える年齢ではありませんでしたが、この年に初めて機械式の馬券販売機が導入されたのもニュースになりました。それまでは窓口のおばちゃんたちが手売りしていたもの。機械式販売が巧く行けば、今後は更に普及に努めていきたいという日本中央競馬会の見解も示されました。昔日の感があるトピックです。
秋にマニラで行われたアジア競馬会議の一環で行われた国際レースで、日本の境勝太郎騎手がエアウインドという馬に乗って見事に勝利したのもこの年のこと。
もちろん競馬会もオリンピックに協賛し、馬事公苑などで様々なイヴェントを行っていました。残念ながら古いことで、細かいことまでは覚えていません。
フジテレビにはシンザンの他にも当時の貴重なフィルム(未だビデオは無かったと記憶します)が残っているはず。オリンピックばかりじゃなく、こちらも紹介して頂けないでしょうか。
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