英国競馬1964(5)
1964年の英国クラシック、最後はセントレジャーです。現在は長距離クラシックは嫌われる傾向が強く、ダービー馬すら最初からローテーションには組まないケースが目立ちますが、半世紀前は未だ長距離クラシックの権威は健在で、当然ながらダービー馬サンタ・クロースの動向に注目が集まりました。
ダービーの紹介でも触れたように、サンタ・クロースの評価は行ったり来たり。エプサムでは評価を下げたものの、愛セントレジャーをほぼキャンターで圧勝して再び高評価を勝ち得ていました。しかしそのあとのキング・ジョージ敗退で再び評価を下げたサンタ・クロース、愛ダービーで退けた馬たちのその後により、アイルランドのクラシック評価にも見直しの風潮が生まれてしまいます。
即ち、愛ダービーの2着争いでほぼ一戦だった5頭のうち、ライオンハーテッド Lionhearted (2着)とクレート Crete (4着)が共に次走ゴードン・ステークスで敗退。5着した牝馬オール・セイヴド All Saved も牝馬同士の愛オークスでは4着に終わりました。愛ダービー入着組で面目を保ったのは、末脚が最も目立った3着のサンシーカー Sunseeker で、ニューバリーのオックスフォードシャー・ステークス(約13ハロン)に勝ってセントレジャーに向かいます。
セントレジャーの1週前、それでもサンタ・クロースは2対1の本命に支持されていましたが、厩舎情報では調教が思わしくないとの噂。5日前になって陣営から取り消す可能性が示唆されます。調教師の兄の発言では、ドンカスター競馬場の馬場が硬く、ダービー馬を走らせるにはリスクが高いとのことでした。
これにはドンカスターの馬場管理責任者が反発、少雨の夏が続いたのは確かだが、コースは連日のように散水を行って馬場を柔らかい状態に保つ努力を重ねている経緯を公表しています。しかし真実はどうあれ、結局サンタ・クロースはセントレジャー出走を断念してしまいました。(代わりに凱旋門賞に出走したことは既に紹介済み)
ここからはセントレジャーに向けた各地のトライアルを辿って行きましょう。先ずはグローリアス・グッドウッドで行われたゴードン・ステークス。ここには上記の様に愛ダービー入着馬に加え、ダービー参戦馬も参加し、優勝はダービー10着のスイート・モス Sweet Moss 。
しかしスイート・モス陣営は、このレースの前にセントレジャーは同厩のアイ・タイタン I Titan に任せる旨を表明していました。アイ・タイタンはロイヤル・アスコットの長距離戦クィーンズ・ヴァースに勝った馬で、そのあとレッドカー競馬場のゴールド・タンカード(セントレジャーと同じ距離のトライアル)にも勝って連勝で本番に臨むことになります。
8月のヨーク競馬場で行われるグレート・ヴォルティジュール・ステークスはレジャーへの最も信頼できるトライアルとして定評があり、アルサイド Alcide 、セント・パディー St. Paddy 、ヘザーセット Heathersett 、ラグサ Ragusa など、ここ6年でも4頭の勝馬がクラシックも制覇しています。そして1964年の勝馬は、ダービー2着馬のインディアナ Indiana 。接戦ながら、ファイティング・チャーリー Fighting Charlie を頭差で退けていました。
またフランス勢では唯1頭、パリ大賞典を制したホワイト・ラベル White Label Ⅱ が参戦を表明。パリでは遠征したインディアナを半馬身差で破っており、同じ長距離での善戦が期待されます。
その他トライアルを連勝しながらダービー本番で凡走したオンシディウム Oncidium は、厩舎環境を変えて気性の悪さを解消すべしと判断したオーナーの意向により、これまでのジャック・ワフ厩舎からジョージ・トッド厩舎に転厩、ダービーから直接セントレジャーに向かうことになりました。
この年は牝馬の方が牡馬より上との評価もあり、例年より多い3頭の牝馬がセントレジャーに参戦することになります。オークスで極端な外ラチを2着に追い込んだウインドミル・ガール Windmill Girl 、そのオークスで1番人気に支持されたパッティ Patti と、同じく2番人気だったボーフロントです。
ウインドミル・ガールはロイヤル・アスコットでリブルスデール・ステークスを楽勝、愛オークス3着も含めてオークスがフロックでは無かったことを実証していました。オークスでは4着に敗れたパッティも、ロンシャンのマユレ賞3着を経て愛オークスでは勝馬とは首差の2着。ヨークのガルトレス・ステークスに勝って漸く未勝利を脱し、その勢いでセントレジャーに向かいました。
更にボーフロントはオークス後は1戦。ヨークシャー・オークスでホームワード・バウント Homeward Bound にこそ敗れはしたものの、愛オークス馬アンカスタ Ancasta に先着しての2着。アンカスタから逆算しても、ウインドミル・ガール、パッティとは互角の評価と見做されました。
こうして迎えた9月9日。ドンカスター競馬場の馬場、サンタ・クロース陣営との遣り取りが話題にはなりましたが、公式には good to firm 。稍重でもやや硬い方と言う決してパンパンの馬場にはなりませんでした。やはりコース管理者の散水努力が報われたのでしょう。出走馬は全部で15頭。
最終的に1番人気(5対1)には2頭が並び、陣営の評が高かったアイ・タイタンとフランスのホワイト・ラベル。11対2の2番人気にもサンシーカーとオンシディウムが並び、5番目に10対1でウインドミル・ガールの順。パッティは100対8の6番人気、インディアナは100対7の7番人気です。
スタートすると人気の無い馬たちが先頭に立ち、有力馬ではアイ・タイタンが3番手、これを追ってパッティ、ボーフロント、インディアナ、ウインドミル・ガールが一団。ホワイト・ラベルは(結果的に)付いていけないのか後方に控えます。
残り6ハロン地点で、突如ピゴット騎乗のアイ・タイタンが一気にスパートして先頭に立ち、レースは急展開。これを見習い騎手が乗ったウインドミル・ガールが追って直線に入ると、直線コースに黒犬が飛び出してくるハプニング。事故に繋がるのではと関係者を慌てさせましたが、犬は無事に脱出して大事は避けられました。(私は見ていたわけではなく、BBAの年鑑レポートの転載です、念のため)
仕掛けが早過ぎたか、アイ・タイタンとウインドミル・ガールはここで一杯、ゴール前2ハロンでインディアナが先頭に立ちます。これに襲い掛かったのが、コースを内から外に出したウイリアムソン騎乗のパッティ。牝馬の末脚が勝るように見えましたが、インディアナも最後の力を振り絞って抜かせず、結局は頭差で最後のクラシックを制しました。4馬身差の3着争いも熾烈、ジリジリと追い上げたソデリニ Soderini (イボア・ハンデ勝馬、45対1)が、力尽きたアイ・タイタンを頭差交わして3着に飛び込みました。以下オンシディウム5着、ホワイト・ラベル6着、ウインドミル・ガール7着、サンシーカー8着、ボーフロントは9着。
後日談ながら、4着のアイ・タイタンはこの年の12月に自らの馬房で負傷し、そのまま安楽死となります。オーナーの期待も大きく、セントレジャーでは強引なレースにも拘わらず4着に頑張ったバリモス産駒。種牡馬としての期待も大きかっただけに、その早逝が悔やまれました。
インディアナを調教したのは、1911年生まれのジャック・ワッツ師。祖父の代からの調教師一家に育った人で、長く父の元でアシスタントを務め、戦時中は従軍。更に親類筋の調教師にも付いて研鑽を積み、自身の名で開業したのは1950年、39歳の時でした。
続いて1955年にはダービー卿からプライヴェートの調教師の依頼を受け、卿が契約を終了した1964年になって初めて公の調教師となったばかりでした。因みに9着のボーフロントもワッツ師の調教馬でした。
騎乗したジェレミー・リンドレ―は、去年の当シリーズでも簡単に紹介したように、1963年のオンリー・フォア・ライフ Only For Life に続く英クラシック2勝目。
またオーナーは、鉱山業で成功したアメリカの大富豪チャールズ・エンゲルハード氏。元々はドイツ移民でしたが、ビジネスだけでなく競馬の世界でも成功し、後に三冠馬ニジンスキー Nijinsky のオーナーとなったことで日本でも知られているでしょう。インディアナは、氏にとって最初の英国クラシック優勝でもありました。
エンクロージャーでは夫人同伴で勝馬の手綱を取ったエンゲルハード氏ですが、インディアナを実際に見たのはこれが初めてだったそうな。このシーズン、エンゲルハード氏はダブル・ジャンプ Double Jump でジムクラック・ステークスに勝ち、オーナーに課せられたジムクラック・スピーチで英国競馬の素晴らしさを礼賛したのは当然でしょう。
アイルランドでF・タットヒル氏が生産したインディアナは、ベルモント・ステークスに勝ったケイヴァン Cavan の半弟でもありました。小柄だったため、ニューマーケットのイヤリング・セールでエンゲルハード氏が落札したのは3000ギニー。2歳時は2戦のみで、2戦目のクラレンス・ハウス・ステークスでの2着が目を惹く程度でした。
3歳初戦は既に紹介したように、ロイヤル・ステークスでオンシディウムの2着。続くチェスター・ヴァーズに勝ちましたが、リングフィールドのダービー・トライアルでは又してもオンシディウムに大敗を喫します。ところがダービーではオンシディウムに先着して2着に好走。そのあとは既に紹介しているように、パリ大賞典、グレート・ヴォルティジュール・ステークス、セントレジャーと大きく成長したと言えるでしょう。
4歳も現役に留まったインディアナでしたが、前年の激走が影響したのか本来の出来には戻らず、弱敵相手にオーモンド・ステークスこそ勝ったものの、ヨークシャー・カップ、キングジョージなど3連敗。そのまま種牡馬として引退します。
英国での供用は僅かに1年、1966年には日本に輸出され、わが国でクラシック種牡馬として成功したのはご存知の通り。代表馬としては2冠馬タケホープ、天皇賞馬ベルワイドを挙げておきましょう。父に似て長距離重賞で活躍した馬が多いのも、サヤジラオ Sayajirao (ダービーとセントレジャーの二冠馬)の血を引くサイアー・ラインの特徴です。
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