日本フィル・第657回東京定期演奏会

日本フィルは秋開始のシーズン制を採用しているので、1月の東京定期が前半の締めとなります。このあとは恒例の九州ツアーを挟み、3月からはシーズン後半へ。
前半の締めは、今年の4月から名門・大阪フィルの首席指揮者に就任する井上道義。珍しくサン=サーンス作品に得意のショスタコーヴィチというプログラムを披露しました。選曲の意図は何処にあるのでしょうか。

サン=サーンス/糸杉と月桂樹~「月桂樹」
ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲第1番
     ~休憩~
サン=サーンス/交響曲第3番
 指揮/井上道義
 チェロ/タチアナ・ヴァシリエヴァ
 オルガン/大平健介
 コンサートマスター/江口有香
 ソロ・チェロ/菊池知也

コンサートの最初と最後に置かれたサン=サーンス作品は、共にオルガンのソロを伴ったオーケストラ作品という点でも共通しています。第3交響曲は些か聴き古した感もある名作ですが、最初の「月桂樹」は初めて接した作品。
プログラムによると、1998年に日本フィルが渡邊一正の指揮で日本初演した由。オケのメンバーに聞いてみましたが、余り印象には残っていないとのことで、機会音楽の宿命も感じられました。
今回は「糸杉」は演奏されませんでしたが、こちらはオルガン・ソロ曲。後半に初めて大編成のオーケストラが参加するという構成です。

題名は植物図鑑を音楽にした訳ではなく、タイトルの糸杉にも月桂樹にも隠された意味がありますね。演奏されませんでしたが、糸杉はキリストを磔刑にした十字架を切り出した樹木で、キリスト世界では暗に「死」を意味します。一方の月桂樹はマラソンの優勝者が冠にするように、「栄光」の意味。
曲は第一次世界大戦で連合国側が勝利したのを祝し、アルジェリア滞在中に作曲したもの。オステンデ・カジノで初演された時はサン=サーンス自身がオルガンを弾き(指揮は依頼者のレオン・ジュハン)、パリでの再演はサン=サーンスが指揮し、ユージン・ギグーのソロ、どちらも大喝采で迎えられたのだそうです。当時のフランス大統領レーモン・ポアンカレに献呈されました。

弦の弱音トレモロで始まり、トランペットがファンファーレ風の断片を吹いて次第に祝勝気分を高揚させていくもの。オルガンは時に木管と和し、あるときは金管に呼応。最後は3本のトランペットの3連音に、オルガンと管弦楽の全奏が賑々しく凱歌をぶち上げます。
なるほど一度聴けはそれだけのような機会作品ですが、オルガンを弾いた大平健介(おおひら・けんすけ)という若手には感心しました。ストップ(音色を変える装置)の使い方が卓越しているのでしょう、サントリー・ホールのオルガンから極めて多彩な音色を引き出します。オーボエやトランペットと聴き紛う音色が見事にオケに融け合い、この大オルガンがこれほど多彩な楽器であったのかと改めて感心しました。
大平は私は多分初めて聴いた人かと思いますが、思わぬ大発見です。サン=サーンスはもちろんオルガンの名手だったわけで、立派なオルガンで聴いてこその音楽だと感じた次第。(文化会館時代は電子オルガンで代行していましたっけ)

2曲目はガラリと編成が室内楽的になるショスタコーヴィチ。日本にも馴染深いヴァシリエヴァの得意とするショスタコーヴィチを満喫しました。2001年にロストロポーヴィチ・コンクールで優勝したタチアナ、6歳からチェロを始めたというから驚きです。
そもそも日本人では6歳からチェロに齧りつくのは体力的に無理でしょ。彼女が如何に大柄であるかが(あったか、も)判ります。見た目にもお腹が大きいようで(7月が出産予定とか)、フワッとした衣装で登場、その体躯は更に大きく見えました(失礼!)。
ほとんど弾きっぱなしのショスタコーヴィチ1番、タチアナに掛かるとチェロというよりヴァイオリンを軽々と弾いているよう。そのテクニックと豊かな音楽性に圧倒されます。ホルンのソロを受持つ丸山勉も相変わらずの妙技、作品をキリリと引き締めていました。

ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番と井上道義というと、何年か前のある事件を思い出してしまいます。私は当時から初日の会員でしたから事故があったという二日目は聴いていませんでしたが、今回のプログラムを見て“リベンジか!”と思ったのも無理はないでしょう。
少なくとも今回の初日は無事に通過。二日目も巧く行くことを祈りましょう。道義ダンスは見ていて楽しいのですが、変拍子で危なっかしくなるのだけは止めて欲しいですね。オッと、これも最早名人芸の領域か。

ミッチ―に促されるようにタチアナが弾いたアンコールは、バッハのイの一番たる無伴奏1番のプレリュード。ショスタコーヴィチの協奏曲と言えば、2か月ほど前に京都で第2番をエンリコ・ディンドの名演で聴きましたが、そのときディンドは6番からサラバンドをアンコールしてくれました。今回は1番、ショスタコーヴィチとバッハは取り合わせとしてもグッドですね。(タチアナにはバッハ全曲の録音もあるそうな)

最後は定番の第3交響曲。井上のサン=サーンスは初体験だと思いますが、日フィルの明るい音色を良く活かした演奏だったと思います。というより、もっと重い音色のオケなら、恐らく井上はサン=サーンスを選ばなかったでしょう。
私感ですが、このシンフォニーは知と情のバランスが大事で、どちらが欠けても具合が悪いものです。その点からも中々聴き応えのあるサン=サーンスだったと言えましょうか。

今回特に感じたのは、この曲が捧げられたリストとの関連。解説では循環主題について紹介されていましたが、サン=サーンスはそれをリスト風に扱った所に特色があると思います。
一種の変奏でしょうが、ベートーヴェンやブラームスの様にテンポ、拍子、調などの音楽的な変奏ではなく、恰もコスプレを次々に取り換えていくタイプの変奏。同じ主題でも衣裳を取り換えることによって表情が変化して行く。
特にその想いを強くするのは、例えば第1楽章第2部の第1・第2ヴァイオリンの絡み合い(練習記号Sから)や、第2楽章第2部冒頭の4手ピアノの絡み合い(同じく練習記号Sから)など。ここをリストのファウスト交響曲や交響詩「前奏曲」の扱いと聴き比べてごらんなさい。サン=サーンスがこの曲をリストに捧げた理由が判るような気がします。意識してリスト風に仕上げたのかも知れません。

最後に今回の選曲について。
聴き進む内にフと感じたのですが、余り指摘されないことながらサン=サーンスはユダヤ系のフランス人ですね。そしてショスタコーヴィチはユダヤ人ではないにしても、ユダヤ主義に惹かれていた人。第1チェロ協奏曲も、冒頭の4音進行にはユダヤ的なものを感じてしまいます。

また今回の3曲は、多楽章でも大きく「2部」で構成されている点でも共通しています。冒頭作品は第2部しか演奏されませんでしたが、協奏曲は第1楽章=第1部、第2~第4楽章=第2部と捉える事が出来ます。第3交響曲は敢えて書く必要も無いでしょう。
単にオルガン付きの管弦楽作品の間にソリストの得意とする協奏曲を挟んだだけの選曲、という見方が真実かも知れませんが、深読みをしたくなる誘惑をも内包したプロとも言えそう。ショスタコーヴィチが入ると、何故か裏を探りたくなる。だから演奏会通いは面白いんですよネ。

なお今定期では、今年1月7日に急逝したコントラバス奏者・松本茂氏の定位置に楽器と遺影を据え、演奏会に参加する形で氏を偲びました。ご冥福をお祈りいたします。

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