サルビアホール クァルテット・シリーズ第27回

昨日は今年の弦楽四重奏聴き染め、鶴見のサルビアホール例会を聴いてきました。期待のミロQ、プログラムは以下のもの。

ハイドン/弦楽四重奏曲第53(67)番ニ長調作品64-5「ひばり」
グラス/弦楽四重奏曲第5番
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2」

恐らく彼らは三度目の来日だと思いますが、私が聴くのは今回が2回目。セカンドが入れ替わってからは初めてです。
私の記憶では、以前晴海の第一生命ホールで行われていた(おっと、今でも続いているか。でも性質は全く変わってしまいました)SQWの第一回を飾ったのがミロQだったはず。残念ながら当時は当方の情報不足で聴き逃し、後で大変悔しい思いをしたものです。
で、私のミロ初体験は2005年のベートーヴェン作品18全曲演奏会。その頃は未だ現役の勤め人で、開演時間が早かったため早退して勝どきに向かったものでした。二度の休憩を挟んでの全曲演奏会、現在は普通に行われるスタイルですが当時は珍しかったもの。細部は忘れましたが、実に清新なベートーヴェンに感動した記憶が残っています。

今回舞台に登場したメンバーを見て、やはり時の経過を感ぜざるを得ません。随分と大人、いやオジサンになったなという印象。前回はセカンドが山本智子さんという日本人(日系?)でしたが、かなりお腹が大きく、出産を機に今回のメンバーと交替したと認識しています。因みに旦那はファーストのダニエルですね。
ということで現在のメンバーは、ファーストがダニエル・チン、セカンドが新メンバーのウィリアム・フェドケンホイヤー、ヴィオラをジョン・ラージェス、チェロはジョシュア・ジンデルの面々。詳しくはこちらのホームページを↓

http://www.miroquartet.com/

アメリカの新鋭クァルテットですが、私の中ではパシフィカと並ぶ両横綱という位置付け。今回も見事なアンサンブルを披露してくれました。前回はベートーヴェンだけでしたから、鶴見ではそれ以外の作曲家を聴けたのが大きな収穫。特にグラスは大発見です。

冒頭のハイドン、有名な「ひばり」ですが、冒頭から演奏の喜びに満ちたもの。丁寧に繰り返しを全て実行して行くのはベートーヴェンと同じアプローチです。
特に第2楽章「アダージョ・カンタービレ」を表現上の頂点に置き、フィナーレ楽章の最後に登場する ff を技巧上のクライマックスに据える立体的効果が鮮やかでした。こういう演奏ならハイドンはいつまでも新しい。

続いて初体験のフィリップ・グラス。演奏の前にヴィオラのジョンが英語で簡潔に紹介。5楽章から成るけれど全体は続けて演奏され、冒頭に提示される「クエスチョン」に対する「アンサー」を探していく音楽との解釈。これが全体を理解するのに大いに役立ちました。なるほどそういうコンセプトなのか。
グラスのクァルテットでは「三島」と題された第3番を聴いたことがありますが、今回の第5はグラスの弦楽四重奏では最も新しいもの。ジョンの解説の通り、5つの楽章(?)で構成されます。
極めて短い第1楽章が、ジョンの言う「問いかけ」。ゆったりした第2楽章、テンポを上げる第3楽章と続き、緩急緩の三部形式と思われる第4楽章に。この中間部でチェロがエスプレッシーヴォで歌う下降旋律が、全体では唯一目立つ抒情的な部分でしょうか。
最後の楽章は変幻自在。特に ff で7拍子のユニゾンがジェットコースターのように上向下降を繰り返すパッセージは圧巻。2小節の全休符の後、冒頭の「問いかけ」が再現します。音楽は fff で何度もアルベルティ・バスのような音形を繰り返し、三度「問いかけ」に収斂。最後は全員の弱音ピチカートを繰り返し、何かを暗示するように終結を迎えるのでした。

実際にナマで接してみると、この作品は極めて内省的な印象を与えます。グラス自身は嫌っているという「ミニマル音楽」という類型的な区分には到底収まらないクァルテットだと感じました。グラスの5番は今年の秋にエクセルシオも演奏する予定ですから、更に作品に対する愛着が深まりそう。私のライブラリーにまた大切な一ページが加わりました。

ところでスコアの序文によると、グラスの父親はレコード店の親父だったそうで、店で売れないレコードを家で子供たちに聴かせていた由。それがベートーヴェンの弦楽四重奏曲、シューベルトのピアノ・ソナタ、ショスタコーヴィチの交響曲だったそうな。日本でもアメリカでも一般的嗜好は同じと見えます。
ですからベートーヴェンのクァルテットは、フィリップにとっては音楽事始めだったはず。いわゆる名曲以前に耳に馴染んでいたのでしょう。グラスの次にベートーヴェンを演奏するのは、意外かも知れませんが真に自然な流れと言えましょう。

ラズモ第2、これはラズモフスキー3曲の中では最も内省的な作品で、「問いかけ」と「答え」という意味でもグラス作品に共通した要素があると感じました。
ミロも当然そのことは意識しているのでしょう、第2楽章を作品の中心に置いた内面的な演奏が際立っていました。第4楽章の解放感と圧倒的なパワーにより、演奏に立体的な感動を与えていたことは当然でしょう。

前回の来日では作品18に拘っていたミロ、CDに詳しい知人の話では、彼らは自分たちの年齢がベートーヴェンが作曲した年齢になった時にその作品を公式に録音するポリシーなのだとか。正に前回は作品18の年齢でしたが、今回は作品59を書いたベートーヴェンと同じ年代。つい先日ラズモフスキー全曲CDも発売されたばかりです(当日の展示即売はありませんでしたが、幸いにNMLで全て聴くことが出来ます)。
そのラズモ全曲演奏会は、2月1日に日本デビューの地であった晴海で披露される予定。もちろん小欄も楽しみに出掛ける算段です。
(そのあとはびわ湖に登場、ここでは我がエクセルシオとも共演。因みにエクは6月にはパシフィカとの共演も組まれており、ミロ・エク・パシフィカの三つ巴は現在のクァルテット地図には欠かせない風景ですネ)

鶴見でのアンコールは、同じベートーヴェンでも作品130からカヴァティーナ。これはファーストのダニエルが思いを籠めて紹介しました。その演奏も個人的な思い入れがあるのでしょうか、ダニエルはほとんど泣いていたように見えました。奏者を眼前に出来るサルビアホールならではの体験。
カヴァティーナは、同ホールのSQS第2回でミロのライヴァルでもあるパシフィカもアンコールした作品。今年はそのパシフィカも、再度サルヴィアでハイドン/シュニトケ/ベートーヴェン(そう、あの130全曲)を披露します。音楽ファン必聴のプログラムでしょ。

アンコールを聴きながら、ミロが後期作品群を録音するまでは当方も死ぬ訳には行かぬ、と強く思った次第。

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