読売日響・第538回定期演奏会
読響の6月定期は、これ1曲。渾身のレクイエムを聴いてきました。この大作を聴くのは久し振りのことでした。出演者は以下の面々。
ヴェルディ/レクイエム
指揮/パオロ・カリニャーニ
ソプラノ/並河寿美
メゾ・ソプラノ/清水華澄
テノール/岡田尚之
バス/妻屋秀和
合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/三澤洋史)
コンサートマスター/小森谷巧
フォアシュピーラー/伝田正秀
私がこの前ヴェルレク(ヴェルディ/レクイエムの略)をナマで聴いたのは7年前の京都でしたが、その前のジェルメッティ/日フィルは14年も前の2000年のこと。それ以前は定期に限らず様々な演奏に接してきました。
去年はヴェルディの生誕200年にも拘わらずチャンスに恵まれませんでしたから、今回のカリニャーニを大いに楽しみに出掛けます。
プログラムを開いて感じたのは、歌手陣がすっかり新しくなったことです。私が良く聴いていた当時は定番の歌手たちが揃っていて、彼ら彼女らの歌い振りが身に付いていました。10年以上が経過すれば世代交代が進むのは当然、その意味でも新鮮な顔ぶれに期待と不安も交錯します。ま、ここはイタリア人指揮者のカリニャーニに期待して・・・。
そのカリニャーニ、期待に違わぬ素晴らしい演奏を展開してくれました。期待以上だったかも知れません。
かつてジェルメッティは、ヴェルディが指定したオフィクレードが無いことを悔しがり、オケにチンバッソを用意するように命じたものでした。マエストロ・サロンでジェルメッティが指摘したのは、よく代用されるチューバの音色に「品が無い」と断定。その理由を披露してくれました。
今回カリニャーニは普通にチューバを使っていたようですが、若いマエストロにはそうした拘りは無いようです。ディエス・イレのバンダにしても、合唱団の横、P席で吹かせるスタイル。ホール中央や後方に置くような「仕掛け」はありませんでした。
ただトランペットは真に豪華で、本体は田島主席が担当しましたが、バンダには長谷川主席(下手)と日フィルの看板オットーを並べて3横綱揃い踏み。これは圧巻でしたね。さすが読響。
更に流石だったのは合唱団で、読響御用達しの新国立のプロ団体。よくあるアマチュアや学生の混成チームとは数段もの開きがあるレヴェルのパワーを見せ付けてくれました。各パートともほぼ25名程度でしたから100人チョッと。P席は未だ充分余裕がある人数でも、ホールを一杯にする声量に圧倒されます。
歌手陣はテノールを除いては現在日本人では最高のレヴェルでしょう。特に感心したのはソプラノで、ピュアで透き通った声質に加えて音量も劣る様な事は無く、合唱と並んでこの日のMVPだったと思います。
並河氏は、飯守泰次郎がシティ・フィルで指揮した「青ひげ公」のユディットで初めて接したソプラノ。その時にも素晴らしい歌い手だと思いましたが、今回は一層存在感を増した印象。ヴェルディだけでなくワーグナー(ブリュンヒルデ)にも実績があるようで、次は是非舞台姿に接したいものです。
余り触れたくはありませんが敢えて指摘すれば、この夜のテノールは不調だったようで、肝心のディエス・イレの第7部「Ingemico」、オッフェルトリオの「Hostias」でも息切れするような場面もあって、これが演奏全体の瑕疵になっていたことは否めますまい。全体的にまだこのパートを完全に自分のものにしていないような印象で、彼には将来のリヴェンジを期待したいところ。声の美しさと輝きは充分に光るものがあります。
最終部のリベラ・メ。怒りの日が戻ってくると、ソプラノは舞台全面から後方に位置を移し、「Requiem」の再現では合唱団のソプラノと声を合せます。この回想を連想させる場面では、ソロ歌手を座って歌わせる演出にも接したことがありますが、今回はイタリアの伝統なのでしょうか、カリニャーニのアイディアなのでしょうか、鮮やかな効果を挙げていたと感じます。私の比較的舞台に近い席では効果満点でしたが、ホール後方や2階席ではどのように聴こえたのでしょう。
ここを聴いていてハッと気が付いたことがあります。大作の中でも最も感動的な場面、そこは tutta forza で「Domine, Domine, Libera, Libera me」と絶叫し、第400小節のクライマックスに至る部分で、合唱のソプラノと同じパートを歌っていたソプラノ・ソロが一人旋律を駆け上がり、頂点のハイCに到達してから祈りを終える構成。
ここがマーラーの復活交響曲の終楽章でもソックリに再現されるのです。もちろん旋律も設定も全く異なりますが、合唱に混じっていたソプラノ・ソロがただ一人離れてソロ・パートを歌っていく、という構図。
もちろんマーラーがヴェルディをパクった訳ではありませんよ。しかし指揮者、特に歌劇場の音楽監督だったマーラーがヴェルディを知らなかったはずはなく、自身が指揮したか否かは知りませんが、レクイエム(1874年5月初演)は熟知していたでしょう。無意識のうちに、あるいは意識してこの手法を第2交響曲(1888年から作曲)に取り入れたとしても不思議じゃありません。両者には15年ほどの開きしかないのですから。
そんなことも妄想してしまうソプラノの風景でした。
最後に、演奏が終了してからかなり長い間の沈黙がありました。この演奏が、奇しくも前日に亡くなった読響第4代常任指揮者ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス氏に捧げられたからでもあります。
ブルゴス時代の読響は、私は単発で何度か接しただけでしたが、中でもファリャの「はかなき人生」の舞台上演が忘れられません。前半のハイドンのお粗末な演奏に比べ、ファリャの何と活き活きしていたことか。確かステージ前面のスペースを利用してフラメンコ舞踏団が特別出演、私がこのファリャの名作をナマで聴けたのはこれが唯一の機会でした。
マエストロのご冥福をお祈りいたします。
オッタビアーノが出ていたとは気付きませんでした。どうりで、あのバンダはきれいでした。