日本フィル・第662回東京定期演奏会

7月11日の金曜日、首都圏は台風の接近情報に振り回された感がありましたが、予定されていた日本フィルの東京定期初日が無事に開催されたので出掛けてきました。
今回はこの時期の台風としては極めて大型、実際日本各地にも少なからぬ被害が生じましたが、東京23区は予想ほどには荒れなかったようです。

今回の台風は「ノグリー」という名称が付けられていましたが、今でも接近する台風には名前があるということも改めて知りましたね。新聞テレビでは紹介されませんが何故なんでしょう。
嵐で思い出したのは、7月定期の指揮者・広上淳一のこと。彼が日フィルの正指揮者に就任、暫くしてスタートしたマエストロ・サロンなど、広上が登場する機会には天気が荒れることが極めて多かったものです。
当時マエストロ・サロンの会場受付でもその話題になり、事務局が“何たって嵐を呼ぶ男、ですからねェ~”などと談笑していたことを懐かしく思い出しました。

7月定期のプログラムは以下のもの。何とも面白く、好奇心をそそられる選曲じゃありませんか。

モンテヴェルディ/歌劇「オルフェオ」~トッカータ
デュティユー/コレスポンダンス
ベルリオーズ/序曲「海賊」
     ~休憩~
プッチーニ/交響的奇想曲
プッチーニ/歌劇「マノン・レスコー」~第3幕への間奏曲
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「プルチネッラ」
 指揮/広上淳一
 ソプラノ/谷村由美子
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/千葉清加
 ソロ・チェロ/菊地知也

最近は若手指揮者、特に下野竜也、山田和樹の両君が捻りに捻ったプログラムを作るので、先輩として負けてはいられぬ、とでも思ったのでしょうか。オレならこうする、という見本を示したのかも知れません。
今回の曲目は、予定が発表された1年以上前から大注目でしたし、自分なりに謎解きにも挑戦してきました。その真価を聴くコンサートでもあります、台風が来ようが何が降ろうが出掛けなければなりますまい。

当日の曲目解説(小沼純一氏)によれば、「劇場音楽」そして「イタリアとフランス」を廻るタイムトラベル! ということ。その通りですが、他にも様々な仕掛けが施されているように感じられます。

冒頭はモンテヴェルディ。恐らく現代の「管弦楽演奏会」で取り上げられる作品としては、ほとんど最古の部類に属するでしょう。オルフェオが初演されたのは1607年で、事実上「序曲」に当たるトッカータは、このコンサート全体への「序曲」として選ばれたものと思慮します。
もちろんモンテヴェルディ当時の楽器はほとんど存在しないので、現在の楽器で演奏出来るようにアレンジしての演奏。楽曲そのものは30秒ほどですから、アレンジによって多少長くするのが定番です。
今回はアメリカの指揮者で教育者でもあるモーリス・ペレスによる編曲版の由。最初は木管と弦、二度目は金管を中心に、最後にオーケストラ全員で高らかにファンファーレを奏でるというスタイルで、同じフレーズを編成を変えて3度通すという版でした。

拍手が起きますが、指揮者も楽員もそのままで次の作品、ソプラノ・ソロの登場を待ちます。

デュティユーのコレスポンダンスは、去年亡くなった作曲者の晩年、2003年(87歳)の作品。モンテヴェルディから一気に400年の時空を飛び越えます。コレスポンダンス Correspondances とは「往復書簡」の意味で、ボードレールの「万物照応」という象徴主義理論にも通ずるとのこと。
ベルリン・フィルの委嘱によって作曲され、初演(2003年9月5日)で歌ったドーン・アップショウと指揮者サー・サイモン・ラトルに捧げられました。スコアにはその後の20回以上の演奏履歴が掲載されており、マズア、オラモ、サロネン、ヤノフスキ、ロストロポーヴィチ、ゲルギエフなど錚々たるマエストロたちによって演奏されてきました。今回その長いリストに広上/谷村の名前が記されることになります。
独唱の谷村氏はパリ留学の経験を持ち、デュティユーとも猶興館があったソプラノ。今回の歌唱はオーソリティーと言えるでしょう。私は日フィル横浜で、今回と同じ広上指揮でオーヴェルニュの歌に接した記憶があります。

作品は6つの楽章?から成り、リルケの詩編(第1曲と第5曲)、インドの詩人ムケルジーの詩編(第2曲)、ソルジェニツィンがロストロポーヴィチ夫妻に宛てた手紙(第4曲)、画家ゴッホが弟テオに宛てた手紙(第6曲)がテキストとして使われます。第3曲は歌の無い、珍しくもチューバ・ソロが活躍する短い間奏曲。珍しくアコーディオンが使われるのも聴きどころでしょう。
デュティユーならではの透明で精緻な響きが美しい作品ですが、何と言っても第4曲と第6曲が中核。ソルジェニツィンの手紙では、最後にムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」が引用されます。ボリスの死後の場面で、聖なる愚者が口ずさむ「ロシアの不幸」を歌うメロディー。何かの暗示を感じ取ってしまうのは私だけでしょうか。

またゴッホの手紙の中間部、ソプラノが木管の持続音に乗って歌詞の無い「Ah」で歌い始める美しい旋律線は、作曲者自身が1978年に書いた「音色・空間・運動」の冒頭部からの引用。引用された作品に詳しい聴き手は少ないと思いますが、コレスポンダンスの該当箇所の「ソ・ミ・レ・ファ・ド」は音色・空間・運動の冒頭に2番フルートが吹くモチーフで、それに続いて1番フルートが応召する「ド・ファ・レ・ミ・ソ」の逆行形でもあるという凝り様。
さらに加えれば、「音色・空間・運動」はデュティユーがゴッホの名画「星月夜」からインスピレーションを得て書いた作品で、同曲は初演者であるロストロポーヴィチ(第4曲の主人公)に捧げられているということも決して無関係ではないでしょう。
もう一つ私の興味を誘ったのは、「音色・空間・運動」がロストロポーヴィチと共に「シャルル・ミュンシュへの想い出」にも捧げられているということ。我々の世代でミュンシュと言えば、ベルリオーズでしょ。デュティユーに続いて演奏されたのが序曲「海賊」であるとすれば、広上マエストロの狙いはこんな所にも、と見るのは考え過ぎでしょうか。

そのベルリオーズの何ともヴィヴィッドだったことか。これぞミュンシュで馴染んできたベルリオーズ、広上節炸裂のベルリオーズでした!!

後半はイタリアに舞台が移ります。と言っても若きプッチーニの知られざる佳曲から。交響的奇想曲はかつて京都市響の東京公演でも広上が披露した一品で、ボエームやエドガーの一節も顔を出す思わずニンマリしてしまう作品。
広上の棒で聴くと、天下の名曲として響いてくるよう。

次のマノン・レスコーも、イタリア人作曲家の手になるものながらフランスからアメリカと時空を移動するオペラ。締め付けられるような甘いメロディーを、いつも以上にダンシングな広上の棒が謳い上げます。

最後はバロック期イタリアの作曲家ペルゴレージの音楽を、ロシアの現代作曲家ストラヴィンスキーがバレエに仕立てた「プルチネッラ」から、単独でも良く取り上げられる組曲版で。
マノン・レスコー間奏曲の冒頭で弾いた弦楽合奏のメンバーが、そのままストラヴィンスキーでも弦楽五重奏でも指揮台を取り囲みます。扇谷・神尾あずさ・小池拓・菊地・高山智仁の5人。

広上は何年か前にもリヒャルト・シュトラウスの「町人貴族」をコンサートの最後に据え、態々小編成の作品をメインに取り上げたことがありましたが、こういうフェイントは彼の最も得意とするところ。音量ではなく、音楽性で勝負する辺りは広上の面目躍如でしょう。
真鍋フルート、杉原オーボエ、鈴木ファゴット、丸山ホルン、オットーのトランペット、藤原トロンボーンの名手を並べ、プログラム全体が「管弦楽のための協奏曲」の風貌を帯びるコンサートを華やかに締め括りました。

ブルックナー、マーラーの両ブームが起こって以降、とかくオーケストラの演奏会は重厚長大に傾きがち。そんな中で今回の様に知られざる佳曲、忘れられつつある名品を並べる洒落た音楽会はもっとあって欲しいもの。
それが今回の様に謎解きゲームの感覚を備えてくれば、もう言うことは無いんじゃないでしょうか。またお願いします、広上さん。

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