読売日響・第454回定期演奏会

読響の11月定期、下野竜也の正指揮者就任披露演奏会を聴いてきました。いつもの定期より華やかな印象があったのは、まるでパチンコ屋の開店祝いの如きフラワースタンドが、ずらっと並んでいたからでしょう。
聴いているこちらが恥ずかしくなるくらいです。まぁそれだけ期待されているということでしょうが、過度なプレッシャーをかけるのは良くないと思います。

最初から正指揮者就任記念として組まれたプログラムではないのですが、いかにも下野らしい良い選曲でした。
昔ハイフェッツが好んだ「誰でも少しは理解できて、少しは楽しめる」という曲目。
メインに置かれたのはジョン・コリリャーノの第1交響曲ですが、例によって読響の曲目解説は貧弱なので、少し補足する必要がありますね。

コリリャーノは1938年生まれですから、現代音楽の範疇に分類されましょう。現代音楽は世界中どこでも普通の聴衆からは嫌われますが、コリリャーノは最もよく演奏され、人気のあるアメリカ人作曲家です。
批評家連中はその保守性を随分攻撃してきましたが、聴衆は彼の味方です。

コリリャーノの父親は、同姓同名のジョン・コリリャーノといって、バーンスタイン時代のニューヨーク・フィルのコンサートマスターを務めた人です。
私は当時のニューヨーク・フィルの演奏会記録集を持っていますが、錚々たる名指揮者が次々と指揮台に立ち、古典から現代までの名曲による多彩なプログラムを組んでいました。
息子のジョンもこれらの演奏会に数多く通ったに違いありません。こういう環境が、その作風を決定したと言えるのではないでしょうか。
コリリャーノにあっては、古典は重要な規範であり、それを大切にしてきた聴衆の期待を決して蔑ろにしていません。

その一方で現代と未来を見据えた新しさがあるので、馴染み易さの中にも斬新さが聴き取れるのです。
アメリカで言えば、コープランド→バーバー→バーンスタインという路線の衣鉢を継ぐ人。アイヴスを連想させる場面も少なからずあります。

例によってオーケストラの編成を書いておきます。
フルートは4本、うち3人はピッコロに持ち替えます。オーボエ3、イングリッシュホルン1。クラリネット属は4本ですが、一人はバスクラリネットとEsクラを、もう一人はEsクラとコントラバス・クラリネットを担当します。コントラバス・クラリネットは見た目も異様ですが、音色も音というよりは振動という感じでした。ファゴットは3本、コントラファゴットが1。
金管は6-5-4-2ですが、配置が変わっていて、中央にトランペットが5本並びます。トランペットを挟むように左右にホルンが3本づつ、更に外側にトロンボーンが2本ずつ並び、両外をチューバが囲むのです。つまり左右対称に配置されています。
打楽器も左右にティンパニが置かれ、その他の各種打楽器もシンメトリックに配置されていたようでした。
あとはハープ1台とピアノ。更に舞台裏にもう1台のピアノがあって重要な役割を果たしますが、当然これは客席からは見えません。
弦楽器は普通の配置ですが、前列にマンドリンが2本置かれていましたね。コリリャーノの指定ではマンドリンは4本ですが、この日は半分で対応していたようです。

下野はプログラムの中で、秋山指揮のコリリャーノ作品に“脳天を打ち抜かれるほど感動した”と語っています。
私はこの作品をナマで聴くのは初めてでしたが、秋山和慶が東京交響楽団と演奏したテープが旧クラシック7で放送されたことがありまして、その雰囲気には接したことがあります。
DATテープに録音したのですが、機械が故障していて最早聴くことは出来ません。ご希望の方がおられましたら喜んで提供いたしましょう。
(1997年5月、秋山和慶は大阪フィルと東京交響楽団の定期でこの作品を指揮した)

演奏については、作品そのものを良く知らないのでコメントは避けます。ただ、指揮という運動そのものがかなりエネルギッシュで、指揮者としてもその若い時代にしか挑戦できないのではないか、とも感じました。
CDにはバレンボイムとスラットキンのものがありますから、下野の指揮がよほど精力的なものだったのでしょう。

冒頭に置かれたバッハのシャコンヌは、斎藤秀雄の編曲。遥か昔に斎藤自身の指揮で聴いたことがありますが、記憶では弦楽合奏だと思っていました。
改めて聴き直しましたが、チューバまで駆使した大編成アレンジです。
響きがいつもの読響と少し違っていたのは、メインプロの楽器配置の関係から、通常の並び方とは異なっていたことも影響していたと思います。

最初から声が掛かっていましたから、下野は人気がありますね。
私が一番感心したのはモーツァルトです。速目のテンポでリピートは全て実行、シンフォニックなバランスが良く取れていたと思います。
やりたいことが実にハッキリした演奏で、ホルンやヴィオラなどの内声部を特に目立たせたり、同じことの繰り返しにしても様々に変化を付ける工夫があったり、良くスコアを読み込んだ解釈です。
特に第2楽章を活き活きと、喜びに満ちて演奏していたのが印象的。ここは名演でした。
オーケストラも彼の指揮では如何にも楽しい、という表情が窺え、読響は変わったなぁ、という感慨を深くしたのでした。

 

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