日本フィル・第663回東京定期演奏会
日本フィルはご存知の様に9月を起点としたシーズン制を敷いているので、今月が新シーズンのスタートとなります。今期も注目のコンサートが目白押し、その一つでもある9月定期をサントリーホールで聴いてきました。
今月は正指揮者・山田和樹登場です。曲目は例によって拘りの、仕掛けに満ちた以下のもの。
R.シュトラウス/楽劇「バラの騎士」ワルツ第1番
シェーンベルク/浄められた夜
~休憩~
R.シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」
指揮/山田和樹
チェロ/菊地知也
ヴィオラ/パウリーネ・ザクセ
コンサートマスター/扇谷泰朋
フォアシュピーラー/千葉清加
ゲスト・チェロ・ソロ/辻本玲
今年35歳の若手指揮者、最近はマスコミでの露出度も高く、一般的な人気も大変なもの。今回もその点に先ず驚かされました。
日フィルは同じプログラムを2回、金曜日と土曜日に開催しているため、客足はどうしてもアクセスの便利な土曜日に集中し、金曜日は比較的空席が目立つのが毎月のことです。
しかし今回は完売ではないものの1階でも隅まで一杯、改めて山田和樹ブランドの人気が並でないことに気が付きます。
彼はどんな会でもプレトークを行うのが主義で、この日も開演前の僅かな時間でのトーク。それを舞台近くで聞こうとするファンが、“申し訳ありませんが、トークは自席で聞いていただきますので”と1階への入場をやんわりと断られる若いファンも見受けました。それほどトークを楽しみにしている人が多いのです。
プレトークは通常、音楽評論家や解説者が担当しますが、どうしても専門家の話は音楽学や音楽史に則った固い話になり勝ち。山田のトークはそれとは違って現場主義というか、自身の体験や楽屋話が中心になるので、クラシック音楽の敷居の高さを低くする効果もあると思慮します。
これは実に大事なことで、事前に予習したりスコアを確認してから演奏会に行く様なコアなファンは一握り。大多数の人はその場に行って、もっと気楽に楽しみたいものなのです。これに判り易い解説があれば、クラシックは怖くない。そうしたニッチな要求を満たしてくれるのが山田。しかも若くてハンサムとくれば、人気が出るのは当然でしょう。
確か山田は日本フィルで歴代4人目の正指揮者だと思いますが、集客力という点では抜きん出た存在じゃないでしょうか。もちろん音楽家としての実力は別の話ですが、オーケストラにとっては客席が埋まるということは極めて重要な運営上のキーポイント。他のオケ、指揮者も見習う点は多いと思います。
前置きが長くなりましたが、先ずは山田のプレトークから定期は始まります。
前に書いたように、彼のトークは音楽的な解説というより自身の体験。冒頭のワルツは、スイス・ロマンド管とのレコーディングで取り上げたのが選曲のポイントと、真に正直な「解説」。
“バラの騎士では組曲が有名ですが、ワルツ1番は滅多に演奏されません。恐らく日本初演ではないか”とのこと。これは後で触れましょう。
次のシェーンベルクはカザルス・ホールの閉館コンサートで小澤征爾が降る予定だったのをマエストロが癌のため降板、代わりに面識もない山田に白羽の矢が立ったとのこと。
“それまでこの曲は全然知らなかったのですが、2ヶ月一寸で猛勉強しました。これまでの人生でこんなに勉強した曲はこれが初めてです”という話は、評論家には出来ない解説。これにストーリーや聴き所が加わるのですから、私でも「ほうほう」と聞き入ってしまうのでした。
ここまででプレトークの時間は既にオーヴァー。ドン・キホーテについては簡単に触れただけでしたが、恐らくマエストロ・サロンのような場があれば滔々と語ってくれたでしょう。話し出した止まらない、これも彼の魅力の一つ。
ということで実際の演奏ですが、毎度書いているように聴く度に成長が窺える山田和樹。今回もフレッシュなアプローチでウィーンの音楽、ストーリー性のある作品で統一されたプログラムで客席を沸かせてくれました。
シュトラウスはもちろん今年が生誕150年記念、という意味合いもあるでしょう。バラの騎士のワルツ第1番は、果たして日本初演なのかは疑問があります。
1番という以上は2番(あるいはそれ以降も)もあるはずですが、その点は今一つ明確ではありません。ただ「First Sequence」と記されたポケット・スコアは、現在では廃刊のようですが、以前ブージー社から出ていました。私は遥か昔に手当たり次第に譜面を漁っていた時期があって、1947年発刊の版が手元にあります。
山田がスイス・ロマンドと録音したペンタトーン盤がNMLで聴けるので確認しましたが、間違いなくこのスコアが使われていました。
今回のプログラムノートによると、1944年11月にシュトラウス自身が編曲、1946年8月にロンドンで初演されたとあります。
日本では単に「ワルツ集」と記されているものを、戦前に近衛秀麿が当時の新交響楽団(現N響)と何度も取り上げています。最初の記録は1928年ですから、今回の1944年編曲版とは異なるのでしょう。でもこれは何か?
更に日本フィルでは1965年の12月定期で森正が取り上げています。記録では単に「円舞曲」と記されているだけ。私はこの回は聴いているはずですが、残念ながら全く覚えていません。近衛版、1944年版、今回のブージー1947年刊とはどういう関係にあるのか?
いずれにしても全曲や組曲版より金管の扱いが更に重く、シュトラウス自身が編曲したと素直に納得できない部分もあるように感じられるのでした。
続くシェーンベルクは、山田が告白しているように最も勉強した成果が十分に感じられる精緻な演奏。ここでは弦の配置をシュトラウスとは変え、下手から上手に向かって第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、第1ヴィオラ、第2ヴィオラ、第2チェロ、第1チェロの順に並べ、コントラバスは全体の奥に一列に配置していました。
楽屋話で聞いたところでは、最初のリハーサルではコントラバスはチェロの奥に纏められていたそうですが、リハを重ねる内に本番のスタイルに落ち着いたとのこと。
弦にとってはかなりハードな作品ですが、山田の把握で全体はスッキリと纏められ、プレトークのお蔭で聴き手にも内容がより判り易く伝わっていたと思います。
これも1899年の初稿(弦楽六重奏版)、1917年版(弦楽合奏への編曲)、更に1943年の改訂稿と何度も姿を変えてきた作品ですが、今回は1943年の最終稿での演奏でした。
作品の丁度中間地点で短調から長調に転調する。しかもニ短調からニ長調という移行は、ベートーヴェンの第9交響曲と同じ。やはりシェーンベルクもドイツ・オーストリアの伝統からスタートしたことが良く判る一品でもありましょう。
最後はドン・キホーテ。今年はシュトラウスの記念イヤーですが、これを聴いたのは今年初めて。シュトラウスの全作品の中で私が最も好きなのがドン・キホーテで、聴いていてその幸せに浸ります。
今回は特別にベルリン放響の首席ヴィオラ奏者ザクセがゲスト出演しました。山田のヨーロッパでの友人ということで、ドン・キホーテだけでなく全プログラムでその妙技を披露してくれました。
美人で背が高く、ヴィオラも流石にヨーロッパの名門でトップを務めるだけあって技量・音色・音量の3拍子揃った人。彼女を見ていると、神様は不公平だなと、つくづく思いましたね。山田によれば首席奏者は近々に卒業し、教育の道を歩むとか。山田と同世代だそうで、時々は日本でもゲストを務めて貰いたもらえたら、と考えます。
これも楽屋話ですが、今回使用した楽器は、自身のホームページや今回のプログラムに掲載されている1788年のピエトロ・マンテガッツァではなく、名前は忘れましたが1600年代の古いものの由。
楽器のサイズもやや大きく、シッカリした低音域は彼女のスタイルにピッタリ。サンチョ・パンザはドン・キホーテの補佐役ですが、今回ばかりはキホーテをリードする主役級の人物に見えて来たから不思議です。
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