読売日響・第503回名曲シリーズ

昨日のサントリー、定期に続いてラザレフの登場です。
ドヴォルザーク/交響詩「真昼の魔女」
プロコフィエフ/交響的物語「ピーターと狼」
     ~休憩~
ボロディン/交響曲第2番
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 語り/伊倉一恵
 コンサートマスター/藤原浜雄
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子
昨日は、夕方6時前から墨を流したような厚い雲が被り、雨がポツポツと降り出す悪天。遠雷も轟く不気味な空気を衝いてサントリーを目指します。“帰りは大変なことになりそうだなぁ~”
先週の定期とはガラリと変わり、ステージ上には1本のマイクも立っていません。ステージ上の吊りマイクによる記録用録音だけが行われるのでしょう。
天候の所為もあるのか、客席はかなり入っているものの、会員席では空席も目立ちます。
この日は冒頭のドヴォルザークが珍しく、私的な興味はこの1曲。ほとんど台詞をそのまま音楽にしたような個所もある作品で、何の予備知識もなく聴いた人にはスンナリ理解できたのかどうか。プログラム(室田尚子)の解説では不十分のような気がしました。
(「言葉のリズムや抑揚をオーケストラによって再現するという試みがなされているのも特徴」という表現はありましたがね)
演奏は立派なもので、一種の「交響的物語」の性格がよく出ていたと思います。
「交響的物語」というタイトルは、そのまま次のプロコフィエフに受け継がれ、文字通り語りによって進められるお馴染の作品。
語りを担当する伊倉一恵についてプログラムには何の紹介もなく、私にはどういう方なのかサッパリ判りません。ただ、ホワイエにフラワー・スタンドが複数あり、この日の出演を祝していたようですから、その方面では有名な方なのでしょう。声の高さや扱い方を聞いた限りでは、俳優というよりは声優というイメージでした。
ラザレフの「ピーターと狼」の扱いは、子供向け絵本というスタイルとは縁の遠い、正に「交響的」というところに力点を置いたもの。容赦しないプロコフィエフという感想ですね。
彼にとっては語りもオーケストラの一パートに過ぎず、話が終わるのを待って次に進むようなことはしません。各楽器にキューを出すように、語り手にも「出」の合図を送っていきます。
最後の全員の行進場面では、語りの音量(もちろんマイクを使用していましたが)が完全に覆い尽くされてしまうほどの音圧で、シンフォニックな音楽を響かせます。
オーケストラのメンバーが極めて真剣な表情で、この小さな傑作を懸命に演奏している姿が印象的でした。
弦楽器の数を減らしてはいましたが、12型+コントラバス1人、という編成だったと思います。
後半のボロディン。
思わず比較してしまったのは、数年前の定期で演奏したロジェストヴェンスキーによる同曲。あの時はボロディンの全交響曲一括演奏だったのですが、全体の印象は、ボロディンの出自でもある貴族的な雰囲気。エレガントな作曲家としてのボロディンでした。
一方ラザレフのは、野人ボロディン。冒頭のテーマからしてロシアの大地を重戦車の如く蹂躙する武人の姿。ロジェストヴェンスキーとラザレフ、これが同じロシア人の演奏家かと疑われるほどに、二人のマエストロの音楽には開きがあるようです。もちろんどちらが優れているとか、どちらが好きとかいう問題ではなく、音楽家の多様性を思っただけのことです。
この夜の演奏で格別惹かれたのは第2楽章の表現。メランコリックなメロディーの歌謡性、神秘的なノスタルジアを追うのではなく、あくまでもシンフォニックな緩徐楽章として、極めて振幅の大きい表情を湛えていたこと。
中心部の大音響が、あたかも交響曲全曲の頂点であるかの如くにホール一杯に鳴り響くのです。
最後はいつもの如く、ラザレフ・フィニッシュ。一つ左隣の老婦人、ほとんどクラシックの演奏会には縁のなかった方のようで、“うわ~、面白い。楽しい指揮者ねぇ” という感想を漏らしていました。そりゃ初めてラザレフの音楽に接すれば、度肝を抜かれること間違いなしです。
コンサートが終わって会場を出ると、雨は止んでヒンヤリした空気。後で聞いたところでは、都心は雷が凄かったのだとか。恐らくラザレフの重戦車進軍に、さすがの雷公も畏れをなして逃げ去ったのでしょう。お陰で、今日は傘は持ち歩いただけ。一度も使いませんでしたよ。

 

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