大友肇 ソロと室内楽の夕べ

「三日見ぬ間の桜かな」と世間では言うけれど、先週金曜日にアークヒルズで咲き始めの桜を見たばかりなのに、昨日の水曜日には上野で早くも雨で散り始めた桜を踏みしめながら上野学園に行ってきました。
4月最初の演奏会通いは、同学園の石橋メモリアルホールで行われた室内楽の夕べ、以下のプログラムです。

ベートーヴェン/ヘンデル≪ユダス・マカベウス≫の「見よ勇者は帰る」の主題による12の変奏曲
バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番
ラフマニノフ/チェロ・ソナタ~第1楽章
~休憩~
シューベルト/弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
チェロ/大友肇
ピアノ/野本哲雄
弦楽四重奏/クァルテット・エクセルシオ

去年の年末に大友肇氏が齊藤秀雄メモリアル基金賞を受賞されたことは既に当ブログでも紹介しましたが、昨日はその受賞者支援コンサート。折から開催中の「東京・春・音楽祭」の一環でもあります。
私は音楽に限らずお祭りごとが嫌いで、海外はもちろん国内の音楽祭もほとんどはスルーしてしまいます。毎年5月の何とかジュルネも一度も行ったことはないし、この東京・春も確か最初の年に何処かの美術館のコンサートをチラと覗いたことが一度あっただけ。会場も演目も忘れてしまいました。
4月は上野、5月は東京ということで、これが本当の上野・東京ラインかもね。

実は石橋メモリアールホールもずっと昔、未だ古い時代のホールに一度出掛けた記憶があるだけで、新しくなってからは初めての体験です。パイプ・オルガンが常設されていて、天上の高いホールでした。先ずは物珍しげに会場を見回します。
チェリスト大友肇は知る人ぞ知る、クァルテット・ファンの間ではよく知られていますが、ソリストとして聴いたことがある人は少ないと思います。私も彼のソロをこれだけ纏めて聴くのは初めてのこと。その意味でも興味津々で聴くことが出来ました。

プログラムは無伴奏からピアノ伴奏、最後は本来の立場である弦楽四重奏の要としての役割と多彩。日本語の「演奏会」とは、英語で出演者が二人までの会を言う「リサイタル」と、三人以上の会に用いられる「コンサート」とを包括した呼称で、この回などはシンプルに「演奏会」で通る内容。日本語は実に便利だと改めて思いました。
余計なことを考えている内にベートーヴェンが始まります。有名なテーマは、正に受賞者記念コンサートに相応しいものでしょう。オープニングはこれしか無い・・・。
ベートーヴェンの「う゛ぇるけ・おーね・おーぱすつぁーる」では最も有名な曲ですが、大友氏は学生時代からベートーヴェンが書いた全てのチェロ・パートを演奏した経験があるそうで(彼を知った極く初期に、何かの機会で知りました)、チェリスト・大友肇を一言で紹介すれば、「ベートーヴェンのスペシャリスト」でしょう。権威あるベートーヴェン演奏を満喫します。

次のバッハはもちろんチェリストにとって避けては通れない曲集ですが、大友のバッハは多分初体験。速目のテンポ、曲間にほとんど休止を入れず、全体を一気に一筆書きで描く流麗なバッハでした。以前のエク通信でメンバーの一人が「密かにバッハをさらっている」と書いていましたが、これで納得。大友としても期する所があったのでしょう。
ここで会場の照明が上がり、プログラムとは異なる「休憩」の表示も。流石にこの大曲の後では直ぐにラフマニノフはきついのかな? と思いましたが、何か手違いがあったようで、アナウンスでラフマニノフが続けて演奏される運びに。

チェロ・ファンとしてはラフマニノフ節満載の全曲を聴きたいところですが、演奏会全体のボリュームを考えれば、第1楽章だけで我慢しましょう。でも何でラフマニノフを選んだのかしら?
一つ思い付いた答えは、この演奏会が行われた4月1日はラフマニノフの誕生日。当時のロシアで使用されていたユリウス暦では12日前ということになりますが、現在のグレゴリオ暦では4月1日生まれに相当します。これを考慮に入れての選曲、流石に年の功ですな、ハッちゃん。
ベートーヴェンとラフマニノフでサポートした野本氏は、大友氏と同じ桐朋学園の卒業生、今年1月から大友氏とのデュオ・コンサート・シリーズを始めている由で、二人の「リサイタル」にも期待が高まります。

最後はエクの3人が加わり、得意中の得意とするシューベルト。アンコールのボロディン「夜想曲」も含め、20年の歩みをズッシリと積み重ねた常設クァルテットの凄味を披露してくれました。

アンコール前の挨拶にあったように、これまで余り機会が無かった「大友肇」という名前が大書されたコンサート、一番心配していたのは本人だったようですが、客席は大入り。各界の錚々たる顔ぶれも多く、演奏会は大成功だったと言えるでしょう。
これからもリサイタリスト大友を数多く聴きたいところですが、余りそちらに力を入れるとクァルテットの回数が減るのでは、と憂慮するのが悩ましい所。そこは持ち前のおおらかな音楽性で許容し、これからも四重奏にソナタに、そして協奏曲にも活躍の場を広げて行ってもらいたいと思います。

私見ですが、大友の歩んで来た道を振り返ると、戦後の室内楽会をリードしたチェロの巨人・黒沼俊夫氏を髣髴とさせるものがあります。クァルテット・エクセルシオでの活動は20年を超え、目標は次の20年か、海外か? 教育者、クラシック音楽啓蒙家としての側面も兼ね備え、いずれは黒沼の後継者としての役割を果たしているのではないでしょうか。
そんな姿さえ予見できる演奏会でした。

 

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