おとなの直球勝負/小川典子・ピアノリサイタル
敬愛するピアニスト、小川典子が本格的なリサイタルを開くと聞き、出掛けてきました。漸くこの時期らしい寒さが訪れた東京の師走、冴え渡る冬空を仰ぎ見ながら飯田橋に向かいます。
所はトッパンホール、コンサートの内容は以下のもの。
<おとなの直球勝負 10>
小川典子 ピアノ・リサイタル
モーツァルト/ピアノ・ソナタ第8番イ短調K310
モーツァルト/ピアノ・ソナタ第9番ニ長調K311
~休憩~
プロコフィエフ/ピアノ・ソナタ第2番ニ短調作品14
プロコフィエフ/ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調作品83
私は熱心なピアノ音楽のファンでもなく、トッパンホールにはアクセスの良くない地区に住んでいるので、ホールもピアノ音楽もあまり経験はありません。このホールも何かで一度来たことがあるだけ、記憶の中では二度目の体験です。
他にも事情があって、今回は車で行くことにしました。所要時間も不案内、年末の道路事情も懸念材料でしたから早めに家を出ました。
昨今はカー・ナヴィゲーション・システムが便利になり、案内音声に導かれるままスイスイとドライヴ。苦労することもなくトッパン石川ビルの駐車場に滑り込みます。なぁんだ、これならトッパンホールのコンサートにも頻繁に通えるな、と。
来場者割引のシステムもあって、駐車料金も廉いぞ・・・。
ということで最初にホールの話。
ホールの母体は、当然ながら凸版印刷株式会社。通称「トッパン」は、真に区切りの良い西暦1900年に創業したんですね。その創業100年を迎えた、これまた区切りの良い2000年にトッパンホールは開場を迎えます。
その理念は同ホールのホームページをご覧いただくとして、ホールはゆったりと設計された408席。1階のみで、クラシックの室内楽を目的とするスペースです。
この日(2010年12月9日)行われたホール主催のコンサートは、「おとなの直球勝負」と題されたシリーズ企画で、毎年1回行われる、特定の演奏家にスポットを当てたもの。今年はホール設立10周年になりますから、これまた区切り良く10回目のコンサートとなるのですね。
その記念コンサートの主役は、独自の路線を歩んで世界で活躍する小川典子。私が聴けた限りでは、デビュー20周年のサントリー・リサイタル(2008年)に続く本格的なソロ・コンサートです。
彼女のコンサート、というかリサイタルは、聴衆に語りかけるトーク・コンサートが多いのですが、今回のトッパンではマイクは一切なし。音楽だけの、正に直球勝負でした。
先月は某オーケストラで「超変化球」なるコンサートを体験してきましたが、やはりクラシック音楽の王道は「直球勝負」でしょう。納得も納得、さすがに小川典子と、改めて彼女のピアニズムに脱帽した一夜でした。
そもそも選曲が凄い。変にショパンなぞを並べない所が如何にも小川じゃないでしょうか。
一般的にはモーツァルトとプロコフィエフの組み合わせが奇異に感じられるかも知れませんが、日本フィルでラザレフの洗礼を受けている聴き手には、これこそ王道。
モーツァルトが亡くなって丁度100年後にプロコフィエフが生まれたという時系列の事実を別にしても、両者には共通点があるのです。
それは「音楽の透明さ」ということ。これこそが小川典子の最大の美質でもあり、この夜のコンサートでも一段と煌きを加えていた要素なのですね。
前半のモーツァルト。“あれ、”と思ったのは冒頭だけで、耳は直ぐにホールの響きとスタインウェイの硬質な輝きに馴染んでしまいます。
最初の310は、モーツァルトがパリで母の死に接して書かれた作品。私自身も個人的な気億と重なり、その緊迫感に胸を締め付けられる思いですが、ホッと溜息を吐くのは第3楽章の中間部。恐らく誰しも思いは同じでしょう。
この日、私の耳に一層馴染んだのは、前作の前年に書かれたとされる311。正に「コン・スピリート」が生き生きと躍動する第1楽章、歌心に満ちた「エスプレッシーヴォ」の第2楽章、そしてカデンツァ風楽句を挟む華麗なロンドと、モーツァルトの遊び心に身を任せるひと時でした。
杓子定規でないモーツァルト独特のフレージング。この柔らかさを一体何時、小川は身に付けたのだろうか。
後半のプロコフィエフは、正に圧巻でした。最初の第2ソナタをナマで聴くのは初めてだと思いますが、こんなに面白いソナタだったのか。
ノン・レガートで弾かれる第1テーマとワルツ風第2テーマが交錯する第1楽章、マルカートで駆け抜ける第2楽章、8分の7拍子という変わったエピソードを挟む悲しげな第3楽章、プロコフィエフ得意のトッカータに、第1楽章のワルツが顔を覗かせる第4楽章と、ピアノ音楽の面白さに引き込まれつつ、あっという間にフィナーレを迎えてしまうのでした。
最後の戦争ソナタ。これだけは以前、彼女の演奏を聴いたことがあります。大分以前のことですが、川崎の能楽堂での不思議な体験。
あのときコンサートの後で彼女に、“どうしてあの複雑な7拍子を暗譜して弾けるのですか” と質問したら、“練習ね。筋肉が覚えているのよ” とサクッとした答え。
彼女の筋肉は更に記憶力を高め、この豪快なソナタを一気に弾き切りました。
今回は、第1楽章に「運命」のテーマが出てくるのを発見。例の「ダダダダー」ですな。これ、暫くは耳から離れそうもありません。
プロコフィエフの興奮を冷ますのにはこれしかないでしょう。アンコールはモーツァルトのソナタK330からアンダンテ・カンタービレ。
確かこれも309と同じパリでの作品。1777年の311とは1年しか違わないのに、モーツァルトの音楽は何と深みを増したことか。“その1年が大事なのよね” と小川典子が教えてくれたような気がしました。
来年も彼女のリサイタルに通わなければ・・・。
ところで、当日のプログラムに黄色地のチラシが挟まれていて、「本日の演奏が放送されます!」 と大書されていました。(2011年2月27日放送)
Space Diva の「トッパンホール・トライアングル」という番組のようですが、私も嘗て愛聴していた旧クラシック7のことでしょうか。
放送開始当初は国内のライヴ演奏を多く放送してきたチャンネルでしたが、次第にCD中心に移行、何年か前に契約を解除してしまいました。今はアンテナが虚しく東の空を向いているだけ。
少し悔しい気持ちにはなりますがね。
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