サルビアホール 第47回クァルテット・シリーズ

7月最初の演奏会は、サルビアホールのクァルテットを選びました。実はこの日、読響の7月定期とバッティングしていてどちらにするか迷いましたが、比較的すんなりと鶴見に決定。
サントリーは知人に行って貰うことにして、私共は100人で聴く贅沢な室内楽を堪能してきました。

今回は第14シーズンの最終回でしたが、最初のライプチヒをパスしましたから、これを逃せば出席率は3割に落ちてしまいます。それこそ「もったいない」ですからね、やや久し振りのモルゴーアを聴きましょう

ハイドン/弦楽四重奏曲第39番ハ長調作品33-3「鳥」
プログレッシヴ・ロック・アルバム「原子心母の危機」から
~休憩~
ショスタコーヴィチ/現家具四重奏曲第2番イ長調作品68
モルゴーア・クァルテット

改めてメンバーを紹介するまでも無いでしょうが、ファースト/荒井英治、セカンド/戸澤哲夫、ヴィオラ/小野富士、チェロ/藤森亮一の面々。人気クァルテット登場と言うことで、チケットは完売していました。(尤もパスされた方もあったようで、満席だったわけではありませんでしたが・・・)
モルゴーアのサルビア出演は今回が2回目。記録をひっくり返すと前回は2012年5月7日のことで、その時はハイドンの「皇帝」、シェーンベルクの声楽が入る第2番、メインがシューベルトの「死と乙女」というものでした。アンコールも声楽を加えてシューベルトの歌曲でしたね。この時の感想もしっかりブログに書いてあります。

前回のレポートにも書きましたが、私にとってモルゴーアと言えばショスタコーヴィチ。前回はオール・ドイツ物で?という印象もありましたが、今回はモルゴーアの真骨頂でしょう。第2番はモールゴーアにとっても10年振りの演奏なのだそうな。
しかしその前に、私のようなコチコチ・クラシック音楽オタクには??の曲目が並んでいます。プログレッシヴ・ロックって何だ???

兎に角聴きましょう、先ずはハイドン。前回も感じましたが、最高のテクニシャンによる如何にもオーケストラ的なハイドン。全員が黒一色で統一した中年メンバー(おっと失礼!)による男臭いハイドンではあります。
それにしてもハイドンは面白い。モルゴーアは「実験的」な作曲家が大好きなようで、古典の典型の様に言われている(こんな誤った表現はありませんよ、ね)ハイドンの真の姿を明らかにしてくれます。

例を挙げましょうか。第1楽章は一聴普通のソナタ形式ですが、再現部の順番が逆ですね。尤も第1主題と第2主題が良く似ていて、漫然と聴いていると聴き逃してしまいますが。
第2楽章は4人共が低い音域で奏でるスケルツォ。何とも字余り感があるテーマ(4+6という小節構造から来るのでしょう)が不思議ですが、トリオはヴァイオリン2本だけが高音で囀り交わすという対照感。
第3楽章も変わっていて、ソナタ形式のような変奏曲のような・・・。全体が90小節ほどで、30小節余りの長い歌を3回変奏するスタイル。こんな形式、ハイドン以外には思い付かないでしょう。
フィナーレはロンドと書いてありますが、所謂「B」に相当するのがハンガリー風のメロディー。ロンド・ア・ラ・チンガレーゼとも言うべき音楽で、ヴァイオリン2本とヴィオラ・チェロ・チームの素早いパス回しが聴きどころ。

ということで、現代的ハイドンを普通に大人の演奏で味わいます。

ここからがモルゴーアの本領。先ずロックですが、最近モルゴーアはこの種の音楽に凝っているようで、今回取り上げたのはロック・アルバム第3弾としてリリースしたCDに収められている「作品」だそうです。
ロック音楽には全く知識も経験も無いのでプログラムの曲目解説を孫引きすると、演奏されたのは2曲。共にファーストの荒井氏が編曲した四重奏版で、最初はキング・クリムゾンという人の「平和~堕落天使」。不良同士の喧嘩で落命した弟への哀歌が元になっている由。
2曲目はピンク・フロイドという人の「原子心母」。何と読むのかは判りませんが、その世界では一世を風靡した名曲だとのこと。オリジナルLPの片面すべてを使う大曲だそうですが、荒井編では10分弱に纏められています。

最初ロックと聞いて、私は4人が立ったまま演奏したり、床に横になって奇声を上げたりするのかと想像しましたが、真に普通の四重奏演奏でした。即興らしい箇所は無く、譜面に書かれた音符を見て演奏していました。(少なくとも私にはそう見えました)
音楽もロックらしいリズミックな部分もありますが、リズムは一定だし、余程ハイドンの方が斬新という印象。確かに同じパターンを繰り返しながら、奏者が乗っていく所がロックなんでしょうね。
同時代の音楽と言うことで特殊奏法なども期待して見ていましたが、2曲目にフラジォレット(特にセカンド)が出てくる位のもので、真に大人しいスタイル。ピチカート、コルレーニョ、楽器を擦るなどという楽器にとっては有難くない奏法など一つも登場しないのは、流石に弦楽器奏者の編曲だからでしょうか。

ということでロックはお終い。なおモルゴーアの第3弾アルバムは、福島・原発事故を背景に着想された、とのことでした。

後半は楽しみにしていた第2番。流石に過去3回も全曲演奏を達成してきたモルゴーアのショスタコーヴィチだけあって、壮絶と言っても良い程の名演でした。
今回改めて感じたのは、第2弦楽四重奏曲は同時期に作曲していた第8交響曲の姉妹篇だ、ということ。第8交響曲は先日ラザレフ/日フィルで舐めつくしたばかりということもあるでしょうが、様々な共通点があると思います。

思い付いたことを箇条書きに挙げると、
第1楽章がアーチ形のソナタ形式であること。お、これはハイドンとの共通点でもあるゾ。
展開部に入るとチェロ、更にヴァイオリンのピチカートに受け継がれていく上向3音の動機が、第8交響曲にも頻りに鳴らされていたこと。この動機は四重奏全体で用いられ、言わばモットーのように扱われているのも第8シンフォニーと同じ。
第3楽章は弱音器を付けた不気味なワルツですが、クライマックスでは「死の舞踏」になってしまうこと。
第4楽章の狂乱が一段落すると、音楽は突然明るさを取り戻して「パストラール」に昇華して行くこと(練習番号116から)。

こういう指摘は読んだことがありませんが、今回モルゴーアの熱演を聴いて初めて気が付いたことでもあります。やはり聴いて良かった、モルゴーアのショスタコーヴィチ!!
更に言えば、フィナーレの圧倒的なクライマックス、ここはもうほとんどロックでしょ。今回のプログラムにロックとショスタコーヴィチを並べたのは、このジャンルの全く異なる世界にも共通点があり、音楽は一つの根から生まれたもの、というメッセージがあったのかも知れません。

これで本編は終わりましたが、ここからがモルゴーアの聴き所でもあります。当然アンコールがありますが、その前の荒井氏の挨拶が実に面白い。恐らく毎回のことだと思いますが、アンコールに至るまでの話が長く、色々とこじ付けを披露する。何時だかは数字遊びなんかしてましたね。
で、今回はショスタコーヴィチの話。具体的に演奏家の名前を挙げていましたが、ショスタコーヴィチが嫌いな人は徹底して大嫌い、という一種の落語でした。
後半はモルゴーアの宣伝となり、今年の大晦日に、一晩で!ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲演奏会をやりますから、好きな人は是非来てください。生涯一度の貴重な年越し体験になりますよ、というスピーチ。今年はショスタコーヴィチの没後40年、来年は生誕110年に当たるということで、ショスタコにどっぷり浸かりながら新年を迎える企画、恐らく二度と実現しない全曲演奏会になるでしょう。

気になる人はこちらをご覧あれ。

http://www.yaf.or.jp/mmh/recommend/2015/12/15-1.php

やっと辿り着いたアンコールは、同じくショスタコーヴィチの第10弦楽四重奏曲の第2楽章。氏も紹介されたように、へヴィメタ・ロックもぶっ飛んでしまう「ロック」楽章が演奏されました。年末の予告編でもあります。
この猛烈なスケルツォを全身全霊で演奏するモルゴーア、何かに憑かれたような顔付で格闘するファースト荒井、足を踏み鳴らしながら恍惚状態の藤森チェロ、これは正にロックの世界でしょ。

 

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