サルビアホール 第46回クァルテット・シリーズ

6月は演奏会の遣り繰りに苦労していて、特に大好きなクァルテットは赤坂と鶴見が競合状態。実は前回のサルビアホールもそのために聴けなかった経緯もありました。昨日は無事にサルビアホールで豪華なクァルテットを堪能した次第。
病欠した回を除けばほぼ毎回レポートしているクァルテット・シリーズ、折角ですから前回の記録だけでも紹介しておきましょう。

ミロ・クァルテットのベートーヴェン全曲演奏第2回とバッティングした6月11日の第45回は、サルビア二度目の登場となるライプツィヒ・クァルテットのコンサートでした。私は行けませんでしたが、自席は家内の知人に譲り、無駄にはしていません。
今回のライプツィヒはファーストのシュテファン・アルツベルガーが個人的な事情により演奏に参加できない状態とのことで、元ペーターセン・クァルテットのファーストだったコンラート・ムックが第1ヴァイオリンを代演したそうです。
演奏されたのはハイドンの作品20-5、モーツァルトの「狩」、シューマンの3番で、このプログラムも当初発表から二転三転していました。メンバーの代演と関係があったのかも知れません。アンコールはバッハの「コラール」だった由ですが、どのコラールかは判りません。

演奏の具合も聴いていないので何とも言えませんが、ピンチヒッターをお願いした方がホールに惚れ込んだそうで、これからは友人を誘ってちょくちょく聴きに来たいとのこと。ホールにとってはよい宣伝効果になったようですからご安心ください。差し当たってカルメンに行きたいとのことでした。

今回の演奏には関係の無い出だしになってしまいましたが、昨日の第46回に移りましょう。前回に続いてドイツを代表する名団体、クス・クァルテットの登場です。今回は第2ヴィオラにベルリン在住の赤坂智子氏を加えた五重奏がメインでした。

ハイドン/弦楽四重奏曲第30番変ホ長調作品33-2「冗談」
ルトスワフスキ/弦楽四重奏曲
     ~休憩~
モーツァルト/弦楽五重奏曲第4番ト短調K516
 クス・クァルテット

私がクス・クァルテットを初めて聴いたのは、彼らがパオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール優勝に伴う世界ツアーの一環として来日した時で、記録を見ると2003年5月21日の第一生命ホールで、でした。
その時はハイドンの20-4、アドルノの2小品にブラームスの2番という真に聴きごたえのある選曲で、背筋をピンと伸ばして颯爽と登場するクス嬢と、如何にもコチコチのドイツ音楽の演奏に感心したものです。
その後彼等は2006年2月にも晴海に登場し、モーツァルトの1番とベルクの作品3、モーツァルトのアダージョとフーガにベートーヴェン「ラズモフスキー2番」という又しても王道プログラムで勝負。いよいよ磨きのかかる正統派ドイツ音楽の具現者という印象を強くしました。

確か東日本大震災の年にも来日が予定され、私も出掛ける積りでしたが東京公演はキャンセル。それ以来クスの名前は遠ざかってしまっていました。ですから今回はほぼ10年振りに彼らのナマ演奏に接したことになります。
実はクス、今年のサントリー・チェンバーミュージック・ガーデンにも講師として参加していて、14日にはゲストとしてメンデルスゾーンの6番他を演奏、全日の昨日(15日)も公開マスタークラスで教えていたはずです。ミロの全曲演奏の客席でクス嬢などメンバーも聴いていましたし、今回の来日は赤坂と鶴見のコラボレーションの様な感じではあります。

何しろ前回聴いたのがが2006年のこと、当ブログにもサルビアホールにも初登場なので、改めてメンバーを紹介しておくと、ヴァイオリンがヤナ・クス Jana Kuss とオリファー・ヴィッレ Oliver Wille 、ヴィオラはウィリアム・コレマン William Coleman 、チェロにミカエル・アフナジャリアン Mikayel Hakuhnazaryan という面々。
前2回のメンバー表を見ると、チェロがフェリックス・ニッケル Felix Nickel とありましたから、この間にメンバーが交替したものと思われます。新参加のチェロ、名前から見るとドイツ系じゃないみたい。

久し振りに見た、聴いたクスは、10年前の如何にもとんがった、旧東どいつッ、という印象は薄れたものの、卓越した技巧はあくまでも音楽表現に奉仕させ、ドイツ伝統の室内楽を演奏するという姿勢に些かの変化もありませんでした。
聴き手に挑戦状を突きつける様な刺激は避け、何処までも作曲家のスタイルを伝統に則って踏襲する演奏スタイルには大いに好感を抱きます。

冒頭のハイドン然り。終楽章にパパ・ハイドンの茶目っ気が登場する作品ですが、真面目にやればやるほど、その可笑しみが滲み出るというタイプ。最初からリラックスして臨むウィーンの小粋で小洒落た演奏とは一線を画すものでした。

続くルトスワフスキは、アドルノを除けばクスで聴く初めての現代音楽。ルトスワフスキを現代音楽と決め付けるのはどうかとも思いますが、作曲された1960年代は、正にルトスワフスキは前衛の最前線に立っていました。
実はスコアを買おう買おうと思っていながら未だ果たしていない作曲者唯一の弦楽四重奏曲、恐らく当時最も新しい手法だったチャンス・オペレーションが使われているのでしょう。全体は予告編のような序章と、様々な部分から成る本編の二部から成る20数分の作品です。

他の奏者が未だパート譜をチェックしている間に、ファーストはもう最初の音を弾き始めます。縦線をキチンと合わせる音楽ではなく、各パートが自由に、しかし精密に演奏していくのでしょう。
4人が息を合わせ、怒髪天を衝く様な勢いでパッションをぶつける所からが主楽章。その後ピチカートを主体とする部分、全楽器が高音域で飛び交う戦闘を連想させる場面、ピアニシモに静まってコラールが鳴る個所、如何にも鎮魂歌と言った趣のページ、それまでの回想など、5つか6つのパーツが続きます。
最後にチェロが奏するピチカートは、当時取り組んでいた12音の音列か? 静寂が戻った音空間を、高音が囀るように全曲を閉じるのでした。

クスのルトスワフスキ、弦楽器のグリッサンドなど特殊奏法を駆使しながらも決して無機的にならず、これが現代を代表するクァルテットの名曲であると納得させるに相応しい名演でした。ブラヴィ!!

最後は我が今井信子の門下生でもある赤坂智子を加えてのモーツァルト。前半の2曲では一人、タブレットに取り込んだ譜面で演奏していたセカンドのヴィッレ氏も、紙ベースのパート譜を抱えて登場します。それにしても演奏譜、現代では大いに様変わりしてきましたが、今回のクスは極めて珍しい演奏風景でした。

そういう邪念が浮かんだのは演奏前のこと。ト短調が鳴り出すと、“おっ、速いな”と思わせるスピード感に富んだ悲しみの疾駆。この現代的でありながら、伝統に根差した姿勢が素晴らしい。
特に惹き込まれたのが、全員が弱音器を装着する第3楽章。第19小節と20小節に登場する第2ヴィオラのくすんだ響きが印象的で、赤坂の存在感も充分。この上向モチーフは、実は第1楽章第1主題の一種の変容であることに改めて気付かされます。

モーツァルトの4楽章制大曲の第4楽章は、ほとんどが最初からアレグロで開始されます。ハイドン・セット四重奏曲集にしても三大交響曲にしても例外はありません。
しかしK516は、前の楽章と同じアダージョで開始されるのが最大の特徴。実は原曲が木管八重奏のセレナードだったというのが理由のようですが、先立つアダージョが弱音器付きだったのに対し、第4楽章の開始は弱音器無しのナマの弦。この対比が真に鮮やかで、この五重奏曲の印象を極めて大きくしているのだと思いました。
アレグロに入ってからは天衣無縫。階段を3段、スキップして駆け上がるような浮き立つモチーフが、全て繰り返しを実行すれば全部で12回登場するのですが、その度に幸せな気持ちになる楽曲であり、演奏でもありました。

ヴィッレ氏が日本語で挨拶、アンコールは同じモーツァルトの五重奏によるカッサシオン。モーツァルトのカッサシオンと言ってもいくつかあるようですが、ヴァイオリン2本がメロディーを弾き、ヴィオラ以下がピチカートで伴奏するのは、K63のアンダンテ楽章でしょうか。今となっては確認のしようもありませんが・・・。

 

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