読売日響・第136回芸劇名曲
池袋の芸術劇場で読売日響の芸劇名曲シリーズを聴いてきました。昨日のサントリー、名曲シリーズと同じ曲目です。
期待通り、素晴らしい演奏会でした。このオケは今乗りに乗っている状態ですが、こういう時は何もかも良い方向に進んでいくようです。
会場に入って“オヤッ”と思ったのは、既にピアノがセッティングされていること。最初はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」のはずなのに。
ピアノは蓋を閉じた状態でしたから、序曲が終わってからセッティングする時間を節約することと、舞台配置転換の煩わしさを聴衆に感じさせないためかもしれません。
アッ、そうかぁ。
今日のメイン、スコットランド交響曲は全体をアタッカで繋いでいる作品。いつもの休憩を置かない曲ですね。
コンサートそのものも、出来るだけ曲間を空けないという、これは演目に合わせた舞台係の配慮なんであ~る。
さすが読響。ここで一本取られましたな。
さてさてその序曲。これは素晴らしい演奏でした。こんなに見事なフィンガルは滅多に聴けるものではないでしょう。オーケストラの繊細さとパワーが完璧に両立しており、グシュルバウアーの推進力に満ちた指揮が面白いように決まっていく。
特に副次主題がクラリネットに再現するときのピアニシモの美しかったこと! 全身の毛穴が開いてしまうほどにゾクゾクしました。
続いてアタッカで2曲目。アンスネスを迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲ト長調。
今どきのモーツァルトには珍しく、というか有難いことに12型という比較的大きな編成の弦楽5部。私のような古い世代がワルター、ベーム、カラヤンなどで育ってきた世代のモーツァルトです。
批評家や学者は馬鹿にするかもしれないけれど、モーツァルトはこうでなければいけません。ベーレンライター版だの、古楽器奏法などは一時の流行に過ぎない、と思いたいですねぇ。
それが証拠に、グシュルバウアーはオイレンブルク版のポケット・スコアを使って指揮していました。それでこんなにブリオに富み、聴くものを幸せな気持ちにしてくれるト長調が可能なのです。
アンスネスもモーツァルトに相応しい、軽快かつ滋味に溢れたピアノを聴かせてくれました。初めて聴いた人ですが、素晴らしいモーツァルティアンですね。
そうそう、カデンツァはモーツァルトのもの。これはオイレンブルク版に印刷されており、グシュルバウアーもスコアをひっくり返して見ていましたから間違いありません。(微笑ましい光景)
いや、モーツァルトばかりではありません。アンコールでメンデルスゾーンの無言歌を一つ弾いてくれましたが(作品67の2)、オーケストラと聴衆の耳をメンデルスゾーンに戻すという洒落た計らい、憎いじゃありませんか。ヴァイオリンの後ろでグシュルバウアー氏も聴き惚れていたのが印象的。
メインはメンデルスゾーンの第3交響曲。今日のプログラムでは最も重心の低い演奏。とはいっても決して重いものではなく、メンデルスゾーンの普通に持たれているイメージを大きく超えた、大スケールの交響曲として演奏されました。
第2楽章と第3楽章の間に少し休みを取りましたが、音楽の流れは全体を一気に貫くもので、最初の一音から最後の和音まで、些かの揺るぎもないメンデルスゾーン像が描かれていました。
アンコールはイタリア交響曲の第3楽章。フィナーレも聴きたくなっちゃうじゃありませんか。
今日は日中は暖かかったのですが、夜はかなり冷え込みました。帰路、今聴いたばかりのスコットランド、フィナーレを反芻しながら寒風の中を歩きましたね。
グシュルバウアーの“怒れる獅子”の如きメンデルスゾーン、好きだなぁ。
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