復刻版・読響聴きどころ(3)

2007年2月の名曲シリーズの聴きどころ。三回に分けて書きました。
例によって聴いた感想を最後に追加しておきます。ただし、私が聴いたのは同じプログラムによる芸劇名曲の方。

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この回はグシュルバウアーの指揮、ピアノのアンスネスを迎えて、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」序曲と第3交響曲、モーツァルトのピアノ協奏曲ト長調が演奏されます。

先ずモーツァルトのピアノ協奏曲K453について。
古典派の協奏曲を聴く楽しみの一つはカデンツァですね。カデンツァは、本来演奏家も兼ねた作曲家が即興で弾くものでしょうが、他人が「作曲」したものも含めて楽譜の形で残っているものも少なくありません。

K453は、モーツァルト自身が書いたものとして第1楽章用と第2楽章用のものが二つづつ残っています。
オイレンブルクのポケット・スコアには全てが印刷されていますが、普通は両楽章とも、印刷されたもののうち最初のものが弾かれることが多いようです。
手元にあるCDではブレンデルもぺライアもそうです。クリーンも若干の装飾を施していますが、基本はモーツァルトのものですね。

データによると、フィッシャーは第1楽章をフィッシャー自身のもの、第2楽章はモーツァルト作となっておりますし、作曲家であるドホナーニの録音はドホナーニ作となっています。私はどちらも聴いたことがないので、確認することは出来ません。
皆様お持ちのCDは如何ですか。

第3楽章のカデンツァについてはモーツァルト作がありませんので、カデンツァ抜きで演奏するのが普通のようです。それでもブレンデルはチョッとした装飾音を聴かせています。今回のアンスネスはどうでしょうか。

次に調性がト長調というのも注目してよいかと思います。
モーツァルトのピアノ協奏曲は27番までありますが、4番までは先人の作品の編曲ですから除き、更に短調作品を除外すると、長調のピアノ協奏曲は21曲となります。その内訳は、

ハ長調は4曲。
♭系では、ヘ長調3曲、変ロ長調4曲、変ホ長調4曲。
♯系では、ニ長調3曲、イ長調2曲で、ト長調は1曲しかありません。

その所為かどうか判りませんが、この曲は全楽章とも短調のエピソードが顔を出す割合が多いように感じます。早春の天気のように、晴れても直ぐに日が翳って肌寒くなる、という感じ。
ですから短調エピソードに耳を澄ませて聴くのも一興ではないでしょうか。

第1楽章の再現部直前、オーケストラにシンコペーションが現れたあとのピアノのパッセージ。私は特にここが大好きです。
第2楽章は一種の変奏曲だと思いますが、ここにもフッと哀しみが差し込みます。フェルマータで止まる箇所がいくつかあって、それがまた物思いに耽る感じを醸し出します。

パパゲーノの音楽を思い出してしまう楽しいフィナーレも同じで、一瞬翳に沈むところがありますね。
それと第3楽章はコーダが長い所も聴きどころ。モーツァルトはこの協奏曲が気に入っていたのじゃないかと思います。終わりそうで終わらない。
いや、終わらせたくなかったのかもしれません。そう思って聴くと、次から次へと楽想が湧いてくる微笑ましいフィナーレです。

ここで一旦切りまして、メンデルスゾーンは後程。

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さて聴きどころの続き。
この回の3曲に関する日本初演の記録は良く判りません。そこで最初にオーケストラの定期演奏会で取り上げられた記録を調べて見ましたところ、次の通りでした。

「フィンガルの洞窟」/1927年2月20日、日本青年館。近衛秀麿指揮新交響楽団(現N響の第1回定期)。
モーツァルトK453/1958年2月3日、松竹座。豊増昇(ピアノ)、朝比奈隆指揮関西交響楽団(現大フィル)
メンデルスゾーン第3/1930年4月30日、日本青年館。ニコライ・シフェルブラット指揮新交響楽団。

第3交響曲については、第1楽章だけが1900年(明治33年)12月8日に、アウグスト・ユンケル指揮東京音楽学校管弦楽団によって演奏されたという記録があるそうです。

メンデルスゾーンの第3交響曲は全楽章が続けて演奏されるのが特徴ですね。各楽章の終わりにアタッカという記号があって、楽章間の休みを置かないのです。
(実際は第1楽章の最後は完全終止ではなく、2本線で閉じられています。第2・3楽章は完全に終止し、アタッカで続けるよう指示があります)

全曲通しというのはメンデルスゾーンの発明だそうですが、ベートーヴェンの田園交響曲の3~5楽章、第5交響曲の3~4楽章にもヒントがありますね。
メンデルスゾーンの場合には各楽章を繋ぐ部分はありません。

このあとのシューマン第4ではブリッジが書かれていて、より徹底した感じがします。
最終的にはシベリウスの単一楽章の交響曲にまで行き着くのでしょうが、メンデルスゾーンのものはその走りで、音楽の聴かれ方の変化を先取りしたものと言えると思います。

しかしながら各楽章は夫々独立していますので、実際には休憩を入れる演奏もあるようです。グシュルバウアー氏はどのように扱うでしょうか。
録音では、収録時間の関係等から編集されたものが多く、CDで予習してもこの感じは掴み難いでしょう。

楽器編成は普通の2管編成ですが、クラリネットの音色が目立ちます。第1楽章の第2主題、第2楽章の主題、第4楽章のコーダ直前のソロなど。
クラリネットは比較的新しい楽器ですから、メンデルスゾーンの時代になって本格的に使われるようになったのでしょう。調の関係から第2楽章だけがB管で、あとはA管が使われます。

その第2楽章は、スコットランドの民俗楽器であるバグパイプを連想させますね。この主題は民謡から借用したという説もありますが、いわゆる「ヨナ抜き」の5音音階で出来ているので、日本人には特に親しみ易い感じがします。
私もこの楽章が大好きで、軽やかな部分もあり、いかにもメンデルスゾーンという感じで聴いています。

第4楽章も聴き応え充分。メンデルスゾーンが出版社(ブライトコプフ)に書いた手紙の中に、この楽章にはアレグロ・ゲリエーロ(Allegro guerriero)という指示があった、という解説をよく見かけますね。現行の楽譜には書いてありません。
ゲリエーロとは「戦闘的な」という意味。確かにフィナーレは敵に向って突進するような勢いがあります。

この雰囲気は第4楽章だけではないと思います。第1楽章のコーダにも嵐を連想させるような激しい半音階的進行が出てきますし、第3楽章でも第2主題が再現するときにトランペットが、続いてホルンがリズミックな動機を ff で吹き鳴らす所があります。

実は、私にはこの曲に関しては思い入れの強い録音があります。ミュンシュ指揮ボストン交響楽団のもの。
「戦闘的」というメンデルスゾーンの指示に最も相応しく感じられのがこれです。一般的にはサヴァリッシュ盤やアバド盤の評価が高いようですが、私にとってはミュンシュ盤がベストですね。

フィナーレではコーダも聴きどころでしょう。恰幅の良い民謡風メロディーがヴィオラ→第2ヴァイオリン→第1ヴァイオリンと受け継がれていき、ホルンが勇ましく応える箇所は実にスリリングです。ここもミュンシュは最高です。

余談ですが、クレンペラーがこのコーダを嫌って、静かに終わるように「作曲」してしまったライヴ録音が残されています。バイエルン放送交響楽団を指揮したものですが、予習する場合にはこれは避けた方がよいでしょう。念のため。

フィンガルの洞窟は「音の風景画家」と呼ばれたメンデルスゾーンの面目躍如たる傑作で、私が聴きどころを列挙する必要もないと思います。
波が崖に当たって砕け散る音、海鳥の鳴き声、海面を染めながら立ち昇る太陽などが連想されますが、ソナタ形式の中にキチンと収まっているのが凄い所。古典派の均整美とロマン派の描写力が見事に融合しています。

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公演が近づいてきました。アレグロ・ゲリエーロのことで一つ追加です。

ドーヴァーという廉価版楽譜出版社から出ている大型版を見ましたら、第3交響曲の頭のところにアレグロ・ゲリエーロって書いてありますね。
この廉価譜は、ブライトコプフ社が出していたユリウス・リーツ校訂のメンデルスゾーン全集からの写真コピー版です。真夏の夜の夢全曲、序曲二つ(航海とフィンガル)、第3・第4交響曲が全部入ったお徳用楽譜ですね。

第3の頭には、全楽章を続けて演奏するように、ということと、各楽章の内容を音楽用語で簡単に触れたものが印刷されています。その第4楽章がアレグロ・ゲリエーロというわけ。
この譜面はどこでも手に入りますから、開いて確認してみてください。

もう一つ、アレグロ・ゲリエーロを使った作品を偶然にも見つけました。マックス・ブルッフの第1交響曲の第3楽章です。ヴァイオリン協奏曲第1番で有名なブルッフです。

これは3楽章作品なのですが、第3楽章はグラーヴェの序奏があり、アタッカで続けてアレグロ・ゲリエーロに入ります。メンデルスゾーンのスコットランドを意識したのは明らかですね。

そう思ってみると、第1楽章はシューマンのラインを連想させます(調も同じ変ホ長調)し、第2楽章は「真夏の夜の夢」のスケルツォですね。
ブラームスに献呈された作品ですが、ブラームスも絶賛し、喜んでウィーン初演の様子をブルッフに書き送っています。

参考作品として、ブルッフの第1を聴いてみられるとよいでしょう。

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池袋の芸術劇場で読売日響の芸劇名曲シリーズを聴いてきました。昨日のサントリー、名曲シリーズと同じ曲目です。

期待通り、素晴らしい演奏会でした。このオケは今乗りに乗っている状態ですが、こういう時は何もかも良い方向に進んでいくようです。

会場に入って“オヤッ”と思ったのは、既にピアノがセッティングされていること。最初はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」のはずなのに。

ピアノは蓋を閉じた状態でしたから、序曲が終わってからセッティングする時間を節約することと、舞台配置転換の煩わしさを聴衆に感じさせないためかもしれません。

アッ、そうかぁ。

今日のメイン、スコットランド交響曲は全体をアタッカで繋いでいる作品。いつもの休憩を置かない曲ですね。
コンサートそのものも、出来るだけ曲間を空けないという、これは演目に合わせた舞台係の配慮なんであ~る。

さすが読響。ここで一本取られましたな。

さてさてその序曲。これは素晴らしい演奏でした。こんなに見事なフィンガルは滅多に聴けるものではないでしょう。オーケストラの繊細さとパワーが完璧に両立しており、グシュルバウアーの推進力に満ちた指揮が面白いように決まっていく。

特に副次主題がクラリネットに再現するときのピアニシモの美しかったこと! 全身の毛穴が開いてしまうほどにゾクゾクしました。

続いてアタッカで2曲目。アンスネスを迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲ト長調。
今どきのモーツァルトには珍しく、というか有難いことに12型という比較的大きな編成の弦楽5部。私のような古い世代がワルター、ベーム、カラヤンなどで育ってきた世代のモーツァルトです。
批評家や学者は馬鹿にするかもしれないけれど、モーツァルトはこうでなければいけません。ベーレンライター版だの、古楽器奏法などは一時の流行に過ぎない、と思いたいですねぇ。

それが証拠に、グシュルバウアーはオイレンブルク版のポケット・スコアを使って指揮していました。それでこんなにブリオに富み、聴くものを幸せな気持ちにしてくれるト長調が可能なのです。

アンスネスもモーツァルトに相応しい、軽快かつ滋味に溢れたピアノを聴かせてくれました。初めて聴いた人ですが、素晴らしいモーツァルティアンですね。

そうそう、カデンツァはモーツァルトのもの。これはオイレンブルク版に印刷されており、グシュルバウアーもスコアをひっくり返して見ていましたから間違いありません。(微笑ましい光景)

いや、モーツァルトばかりではありません。アンコールでメンデルスゾーンの無言歌を一つ弾いてくれましたが(作品67の2)、オーケストラと聴衆の耳をメンデルスゾーンに戻すという洒落た計らい、憎いじゃありませんか。ヴァイオリンの後ろでグシュルバウアー氏も聴き惚れていたのが印象的。

メインはメンデルスゾーンの第3交響曲。今日のプログラムでは最も重心の低い演奏。とはいっても決して重いものではなく、メンデルスゾーンの普通に持たれているイメージを大きく超えた、大スケールの交響曲として演奏されました。

第2楽章と第3楽章の間に少し休みを取りましたが、音楽の流れは全体を一気に貫くもので、最初の一音から最後の和音まで、些かの揺るぎもないメンデルスゾーン像が描かれていました。

アンコールはイタリア交響曲の第3楽章。フィナーレも聴きたくなっちゃうじゃありませんか。

今日は日中は暖かかったのですが、夜はかなり冷え込みました。帰路、今聴いたばかりのスコットランド、フィナーレを反芻しながら寒風の中を歩きましたね。
グシュルバウアーの“怒れる獅子”の如きメンデルスゾーン、好きだなぁ。

 

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