読売日響・第467回定期演奏会

昨日、今年最初の読響定期を聴いてきました。以下のもの。

バルトーク/ピアノ協奏曲第3番
~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第11番
指揮/ヒュー・ウルフ
独奏/アンティ・シーララ
コンサートマスター/藤原浜雄
フォアシュピーラー/鈴木理恵子

読響聴きどころにも書きましたが、バルトークとショスタコーヴィチというお正月気分を吹き飛ばすプログラムです。見事に吹き飛びましたね。
先週のオール・モーツァルトと同じく、ピアノ独奏はアンティ・シーララ。モーツァルトでも感じましたが、彼がバルトークを弾くなら、まず3番でしょう。予想通り、第2楽章では美しい響きと、淡々とした演奏の中に深い想いを篭めて、見事なバルトークを聴かせてくれました。
もしアンコールがあればこれだろう、という予想も的中。モーツァルトの会に続いてショパンの前奏曲集から、今日は4番。

この定期、圧巻はやはりショスタコーヴィチでしたね。ウルフ氏、まだ足は回復しないようで、引続き松葉杖での登場。オーケストラの配置は、モーツァルトとは違って普通のスタイルです。ただしヴィオラを右翼に置くのは、読響としてはスクロヴァ・シフトに相当しましょうか。

とにかくオーケストラが凄い!! この曲の冒頭には弱音器を付けたトランペットやホルンの難しいソロがあるのですが、全く安定していて危な気は微 塵も感じられません。上手すぎて拍子抜けするほど。そのことが反って作品の緊張感を殺いでしまったようにすら感じられたほどです。
しかし第2楽章の殺戮の場面、第4楽章の民衆の抗議。この辺りのオーケストラ全奏の威力は凄まじいもので、客席の唖然としている空気が肌にピリピリと突き刺さります。
今回の「鐘」は特別なものではなく、普通のチューブラ・ベルでしたが、よほど思い切り良く叩かせたのでしょうね。最後の和音が減衰していく間、鐘の余韻だけがいつまでもホールに残り、独特な雰囲気を作り出すのに成功していました。
作品に対する好き嫌いは別として、これだけ思い切り鳴らしたオーケストラ・サウンドを全身に浴びるのは快感。それこそがオーケストを聴く醍醐味の一つであることは間違いありますまい。あ~、スッキリした!!

ブルックナーやエルガーで野蛮に反応した読響定期会員、今日はさすがにフライングもなく、しじまを破る蛮声もなく、素晴らしい拍手でウルフと読売日響の名演を称えたのでした。
今回もウルフの実力を確信しました。ショスタコーヴィチ特有の重さ、暗さには不足していたように感じましたが、それはマエストロの解釈でしょう。テンポを速めに設定し、響きを比較的明るく豪快に鳴らすことで、ともすれば陥りがちな「退屈さ」を上手く回避していました。
万人向け、ショスタコ嫌い向けのショスタコーヴィチと申せましょうか。

ウルフ、特別に内面的な音楽をやる人ではありませんし、表現に深みがあるわけではないのですが、作品そのものの持つエネルギーをストレートに音にする職人芸。これは大したものです。読響に再登場する可能性も高いのじゃないでしょうか。
レコード業界は目の付け所が早く、ウルフ好評を察知したのでしょう。こんな最新リリースも発表されています。

http://www.hmv.co.jp/news/article/801100118

 

 

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