読売日響・08年2月定期聴きどころ

 名曲シリーズでマーラーを取り上げるホーネック、定期のメインはリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」です。プログラム前半はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番ですが、まずメインの曲目から始めましょう。
英雄の生涯の日本初演はこれです。
1960年6月13日 日比谷公会堂 ウィルヘルム・シュヒター指揮NHK交響楽団第416回定期
当時のN響は同じプログラムで3日間公演がありましたから、6月14日と15日にも演奏されています。私もこの演奏をラジオで聴きましたし、シュヒターの任期が満了して帰国する際には、「シュヒター名演集」という番組がFMで毎日のように放送され、その中に英雄の生涯も含まれていたと思います。尤も放送されたのは定期を収録したものではなく、事前に放送用に収録した録音だったようですね。
オーケストラの編成は極めて大きいもの。
ピッコロ、フルート3、オーボエ4(4番奏者イングリッシュホルン持替)、クラリネット2、Esクラリネット、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン8、トランペット5、トロンボーン3、テノール・チューバ、バス・チューバ、ティンパニ、打楽器4人、ハープ2、弦5部。打楽器は小太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、大太鼓、テノールドラム(中太鼓)、サスペンデッドシンバル(吊りシンバル)です。
トランペット3本が舞台裏に移動して吹く箇所もありますし、チューバがテノールとバスの2種類登場するなど、視覚的な楽しみもあります。もちろんコンサートマスターの長いソロも大切な聴きどころの一つでしょう。今回はノーランでしょうか、藤原でしょうか。
一部の解説書でトライアングルの表記が無いものがありますが、大昔の解説書で漏れていたものをそのまま踏襲していた結果。最近のものでも、例えば音楽の友社版スコア(OGT230)でも落ちています。
このトライアングル、登場するのはたった1箇所ですが、これは後で紹介しましょう。
聴きどころはいろいろありますが、今回は名曲で演奏されるマーラー(復活)との比較を挙げておきましょう。名曲聴きどころでも書いたように、当時の作曲界の潮流は「交響詩」にありました。マーラーの第2交響曲は最初、「葬礼」というタイトルの付いた表題的な作品からスタートしたのでしたね。
リヒャルト・シュトラウスも「交響詩」の作曲家として名を上げた人です。最初の交響詩「ドン・ファン」が初演されたのが1889年。偶然にもこの年、マーラーの「二部交響詩」も初演されています。後に交響曲第1番「巨人」に改作される作品です。マーラーとリヒャルト・シュトラウスという二大巨匠が、ほとんど同時に音楽界に登場した事実に注目したいですね。
「英雄の生涯」は交響詩ですが、シュトラウスは Symphonische Dichtung ではなく、Tondichtung という表記を用いていることにも注目です。シュトラウスの交響詩には変奏曲形式のもの(ドン・キホーテ)やロンド形式のもの(ティル)がありますが、英雄の生涯は極めて交響曲的、ソナタ形式的作品と言えるのではないでしょうか。「英雄の主題」を第1主題とすれば、「英雄の妻の主題」は第2主題に相当します。スケルツォに相当する部分や緩徐楽章と看做される箇所もありますし、明確に再現部と聴こえる場面もありますね。
ということで、名曲のマーラー「復活」が交響詩的な交響曲であるのに対し、「英雄の生涯」は交響曲的な交響詩。ホーネックがこの2曲をどう振り分けるか、やはりここは二つの演奏会を並べて聴いて楽しむのが筋でしょう。これこそ最大の聴きどころでしょうか。
次に見どころを一つ。第2ヴァイオリンに注目して下さい。場所は第3部「英雄の妻」の最後、練習番号40の3小節前あたりからです。そうそう、シュトラウスは楽譜には各部のタイトルは一切記していません。あれは、あくまでも聴衆の理解のために示した指針に過ぎません。
で、第2ヴァイオリンですが、ヴァイオリンの1番低い弦はGに調弦されています。この弦だけで演奏される「G線上のアリア」(げーせんじょうのありあ)を思い浮かべれば良いでしょう。
ところがシュトラウスはこの部分にGより半音低いGesの音を要求しているのですね。そこでプレイヤーたちはあわてて、かつコッソリと調弦を下げなければなりません。舞台裏でトランペットがファンファーレを吹いている間、練習番号44で元に戻すのですが、ここでも第2ヴァイオリンの「お仕事」を目撃できます。
些か意地の悪い見どころですが、解説書にはめったに紹介されないことなので、敢えて書いておきました。
しかし「英雄の生涯」で最も聴いて楽しい、面白い箇所は、「英雄の業績」ではないでしょうか。シュトラウスのこれまでの作品がたくさん引用されるところ。皆さんはいくつ気が付くでしょうか。
普通の解説書では、ドン・ファン、ティル、ドン・キホーテ、死と変容、ツァラトゥストラ、マクベス、グントラム、歌曲「たそがれの夢」から引用がある、と書かれています。
この解説の基ネタは、オイレンブルク版のスコアに載っているリヒャルト・シュペヒトのアナリーゼではないかと思われます。シュペヒトによれば、例示した引用は一部であって、詳しくは自身の「リヒャルト・シュトラウスとその作品」という書物を見るようにと注意書きがあります。

 

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この書物は手元にありませんので、楽譜に当たって見ましょう。
「英雄の業績」と呼ばれる部分は、別資料では「英雄の平和貢献」ともなっておりますね。この方が適切なように思いますが、それは後で・・・。
これが具体的に何処か、については、CDに付けられたトラック番号などから判断して、スコアの練習番号85の6小節前から94の7小節前までの約82小節と看做すのが妥当でしょう。チューバが「ダダダ・ダーーーーー」という敵の無理解を表現している呟きに挟まれている箇所です。
前作品からの引用は、実はその前の「英雄の闘い」の最後でも出てきます。ホルンに出るドン・ファン①と第1ヴァイオリンと木管による同じくドン・ファン②、それに被さる低弦などのツァラトゥストラ①です。
「英雄の業績」に出るものを順番に挙げると、87から死と変容①(低弦とハープ)、同時に死と変容②(ヴァイオリン・ソロ)、87の3小節あとにドン・キホーテ①(フルートとオーボエ)、5小節あとにドン・キホーテ②(ファゴットとホルン)と③(ヴァイオリンからフルート)。
88から同時にドン・ファン③(オーボエ)と④(ヴィオラの2番プルトとチェロの4番プルト)、それにドン・キホーテ④(いわゆるサンチョパンザの主題、バスクラリネット)。88の2からティル①(クラリネット)、5からグントラム①(クラリネット)。
89から英雄の主題に重なるようにグントラム②(フルート・オーボエ・第2ヴァイオリン)、89の2からグントラム③(第3トロンボーン)。トライアングルのチンを挟んで、89の7が凄い。グントラム④(5番ホルン)・死と変容①(チューバとチェロ)・ツァラトゥストラ②(トランペット)が同時に鳴る。
90からマクベス①(バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、チェロとコントラバスの1・2番プルト)、引き続きマクベス②(クラリネット、バスクラリネット、ファゴット、ヴィオラ、チェロ)。チョッと聴き取り難いけれど、歌曲「解き放たれて」(オーボエと第1ヴァイオリン)も鳴っている。90の4でマクベス③(イングリッシュホルンとホルン)。90の7には「たそがれの夢」(バスクラリネットとテノールチューバ)、これに上から降りてくるのがグントラム⑤(ピッコロ、フルート、クラリネット)。
91はドン・キホーテ⑤(イングリッシュホルン、ホルン、チェロ)が朗々と響くけれど、グントラム⑥(フルートと両ヴァイオリン)の広々としたメロディーも重ねられています。
91の6で3番4番ホルンが吹くのはグントラム⑦。
92では死と変容③が、92の2でツァラトゥストラ①が鳴り、次の4で3本のトロンボーンが鳴らす和音はグントラム⑧という具合でしょうか。
余談ですが、例のトライアングルのチン。英雄の業績ほぼ80小節の丁度中心、40小節目に鳴るのですぞ。これって、何か意図されているのじゃなかろうか、などと考えてしまいます。
以上、錯綜して判り難くなりましたが、まとめると、
ドン・ファンから4
マクベスから3
ティルから1
死と変容から3
ツァラトゥストラから2
ドン・キホーテから5
グントラムから8
それに歌曲の「解き放たれて」作品39の4と「たそがれの夢」作品29の1
合計すると9作品28例となります。
カラヤン盤CDのブックレットに書かれたマイケル・ケネディー氏の解説によると9作品31例とあります。あと3つ。そんなにあるかなぁ。まぁ、気長に探して見ますか。
気が付くのは、歌劇「グントラム」からの引用がダントツに多いこと。スコアを丹念に調べればもっと出てくるかもしれません。
グントラムはシュトラウス最初のオペラで、台本も自分で書いた意欲作。これは完全な失敗に終わったのですが、シュトラウスにはこの失敗が相当堪えたようです。
グントラムの初演でヒロイン(フライヒルド)を歌ったパウリーネ・ド・アーナこそ、後のシュトラウス夫人。そう、英雄の生涯でヴァイオリン・ソロが描く肖像画のモデルです。シュトラウスとパウリーネは手を携えるようにグントラムを世に問うた。その結果の酷評。
「英雄の生涯」で描かれている敵の正体は、恐らくグントラムで敵対した批評家たちのことでしょう。このオペラの失敗は、次のオペラ「フォイエルスノート」(火の災難)に取り掛かるのに6年を要しました。「英雄の生涯」はこのオペラ2作の間に書かれた作品なのです。
またグントラムは、「タンホイザー」モドキの修行者たちの話でもあります。「平和への貢献」が主題。
そしてタンホイザーこそ、リヒャルト・シュトラウスが指揮者としてオペラ・デビューを飾った作品でもあります。
こういうことをつらつら考えるに、「グントラム」に対するシュトラウスの拘りは相当なものだったのではないでしょうか。
「英雄の生涯」の作品解説にはほとんど触れられていませんが、私はここにどうしてもシュトラウスの怨念を感じてしまいます。

 

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  ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。これは簡単に触れておきます。
日本初演はハッキリしませんが、オーケストラの定期演奏会で取り上げられた最初は、何と我が読売日響でのことだったんですね。
1968年1月19日 東京文化会館 ローアン・ド・セーラム独奏、秋山和慶指揮読売日本交響楽団第43回定期。 
楽器編成は極めてシンプル。チェロ・ソロの他には、
フルート2(2番奏者ピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2(2番奏者コントラファゴット持替)、ホルン、ティンパニ、チェレスタ、弦5部です。
金管楽器はホルン1本が使われているだけですが、これが極めて重要な役割を果たします。まるでチェロとホルンのための二重協奏曲のような感じ。察しの良い人は、同じショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番がピアノとトランペットの二重協奏曲のように書かれていることに思い当たるでしょう。
 

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これはロストロポーヴィチに捧げられた作品ですね。感激したロストロ御大、たったの4日間で全作品を暗譜してしまったというエピソードが残されています。
全部で4楽章ありますが、第2楽章から第4楽章までは全てアタッカで続けて演奏されます。しかも第3楽章はチェロ・ソロのカデンツァだけ。何と言ってもチェリストの妙技こそが最大の聴きどころでしょう。
あとは出だし、冒頭の音楽をシッカリ耳に刻みつけておきましょう。ここはショスタコーヴィチお得意の諧謔的な音楽。第9交響曲や最後の交響曲、第15番にも良く似た楽想が出てきます。
このテーマが作品全体の核となっている、と言えるほど何度も登場しますし、ここから派生した音楽で全体が創られているのですね。
更に大事なのは、チェロ協奏曲の冒頭が後に弦楽四重奏曲第8番でも引用されること。オーケストラ・ファンの方はあまり弦楽四重奏には関心を持たれないかもしれませんが、ショスタコの8番は非常に有名ですし、良く演奏される作品です。チェロ協奏曲を覚えておくと、クァルテットを聴く際の「聴きどころ」になるでしょう。
何故ショスタコーヴィチがこの引用を行ったのか。それは判りませんが、ショスタコーヴィチにとってチェロ協奏曲第1番は何か特別な意味があったのかもしれません。
そこに思いを馳せながら聴くのも、聴きどころの一つではないかと思っています。

 

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