読売日響・定期聴きどころ~08年12月
12月は恒例の第9月間ですから、名曲聴きどころはお休み。定期だけを取り上げます。
12月の指揮者は広上淳一、意外にも今回が定期初登場です。曲目はオールブラームスと言ってよいでしょう。かなり捻ったプログラムですが、聴き応えのあるものです。
前半はヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲です。ブラームスの最後の協奏曲であるだけでなく、最後の管弦楽曲でもあります。
この曲の日本初演は以下のもの。
1930年4月23日 日本青年館 ヴァイオリン/ニコライ・シフェルブラット、チェロ/斎藤秀雄、近衛秀麿指揮・新交響楽団(現N響)第67回定期演奏会。
斎藤秀雄、近衛秀麿の両巨頭が絡んでいたのですね。この演奏会はオール・ブラームス・プログラムで、協奏曲の他には大学祝典序曲と交響曲第1番でした。
次に楽器編成。
ヴァイオリンとチェロのソロの他、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦5部。通常の2管編成です。
協奏曲とはいえ二人のソリストが必要ということで、古典派では普通であった協奏交響曲の風貌を備えた作品でもあります。故にブラームスの「第5交響曲」と呼ばれることもあるようです。
ブラームスの音楽は、室内楽も協奏曲も交響曲も一体になった性格が強いのが特徴。今回の定期はそうしたブラームスの特質を改めて見直そうという意図があるようにも感じられます。
協奏交響曲というジャンルは、ハイドンやモーツァルトにも作品がありますし、ベートーヴェンもピアノ、ヴァイオリンとチェロのために三重協奏曲を作曲しています。
以後はメンデルスゾーンにピアノとヴァイオリンのための二重協奏曲がある程度で、ほとんど忘れられた存在でした。ブラームスが敢えてこのジャンルに挑んだのは、新古典主義とも称される彼の創作姿勢を強調したかったためかも知れません。
一方でこの曲は、長年の友人関係にあったヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムとの「和解協奏曲」とも呼ばれてきました。ヨアヒムの離婚に際し、ブラームスが夫人の肩を持つような発言をしたことで、両者は口もきかない関係に陥っていたのですね。
ブラームスは、ヨアヒムと、ヨアヒム弦楽四重奏団のチェリストを念頭に置いて二重協奏曲を作曲、二人の仲は修復し、かつての友情を取り戻すことに成功したのです。
ついては、ブラームスはこの協奏曲に仕掛けを施しています。それも聴きどころの一つだと思いますので、それを紹介しておきましょう。
全体は3楽章。第1楽章は管弦楽のみの導入に続いて直ぐチェロがカデンツァを始め、オーケストラが出す第2主題の先取りに続いてヴァイオリンもカデンツァに加わってきます。これはブラームスが既に第2ピアノ協奏曲で試みたこと。
このカデンツァが終わり、オーケストラの全合奏で登場するのが本来の第1主題です。音で言うと、ラーソミ、ファーミラ、となります。
ここで思い出していただきたいのは、第3交響曲の聴きどころ(定期聴きどころ~08年9月)で紹介したブラームスのモットーのこと。
彼は Frei Aber Froh (自由に、しかし喜ばしく)をモットーにしていたのですが、実はこれはヨアヒムのモットー Frei Aber Einsam (自由に、しかし孤独に)を捩ったものだったのですね。従って、F・A・Eはヨアヒムを表します。
そこで二重協奏曲の第1楽章第1主題に話を戻すと、テーマの第二節、「ファーミラ」をドイツ音名に当て嵌めると、F・E・Aとなります。つまりヨアヒムのモットーのアナグラム(綴り変え)。
ここだけじゃありません。第3楽章はロンド形式ですが、そのロンド主題に注目すると、ラーミミ・ファーミミ(A-E-F-E)という音型が頻りに出てくるのに気が付かれるでしょう。
そう、これもヨアヒム讃歌に他なりません。
実際のコンサートではそのような細部に拘ることなく、ブラームス晩年のオーケストレーションの筆致を、また交響曲、協奏曲、室内楽曲が渾然一体となった男臭い音楽を楽しんでください。
後半はブラームスのピアノ四重奏曲第1番をシェーンベルクがオーケストレーションしたもの。どうかシェーンベルクという名前に虞をなしてコンサートをパスすることのないよう、切にお願いします。
これは素晴らしい聴きものになるはずですから。
日本初演はハッキリしませんが、日本のプロのオーケストラ定期での初登場はこれ。
1979年11月15日 東京文化会館 小泉和裕指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団第74回定期演奏会。
この後は、1980年3月の岩城宏之/N響、1981年9月に同じく小泉和裕/東フィルと続きます。小泉和裕は、この後も都響(1985年3月)、九響(1985年6月)と続けて取り上げており、この作品の第一紹介者と言ってよいでしょう。
管弦楽編成は、
ピッコロ(3番フルートに持替)、フルート2(1番奏者は2番ピッコロ、2番奏者も3番ピッコロに持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン(3番オーボエに持替)、ESクラリネット、クラリネット、バスクラリネット(2番クラリネットに持替)、ファゴット2、コントラファゴット(3番ファゴットに持替)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器5人、弦5部。打楽器は、シロフォン、トライアングル、グロッケンシュピール、小太鼓、シンバル、大太鼓、タンバリンです。
楽譜は1940年にシャーマー社から出版されましたが、ベルモント・ミュージック社から1988年にスコアが市販されるようになりました。スコアといっても大型の譜面、そのまま指揮者用の演奏譜として使えるものです。私は60ドルで入手しましたが、輸入楽譜店でも常時在庫はないようで、海外発注商品でしょう。
シェーンベルクが何故これを管弦楽作品に仕立てたのかは判りませんが、結果としてはブラームスの「第5交響曲」と呼んでも良いほど、堂々たるシンフォニーに仕上がっていると思います。
このコンサートは、二つのブラームス第5を聴く会でもありましょう。
原曲のピアノ四重奏曲第1番は、ブラームスが第1交響曲を完成する15年も前に作曲した4楽章構成の室内楽曲です。
しかし度々指摘しているように、ブラームスの場合は室内楽と交響曲との間に大きな差はありません。このクァルテットも体裁は室内楽ながら、内容は極めてシンフォニック。
特に第1楽章冒頭の主題の書き方に注目して下さい。最初に四つの音が示されますが、直ぐにこれが逆行したり形を変えたりして進んでいくのです。即ち極く小さいモチーフを核として全体が構成されていく。極めてシンフォニックな書法で、これにシェーンベルクが目をつけたのも当然と申せましょう。
第2楽章はブラームス特有の激しくないスケルツォ。トリオが主部より速いテンポで書かれているのも特徴です。
原曲では弦楽器が終始弱音器を付けて演奏されますが、シェーンベルクのオーケストレーションも絶妙を極めます。最初のテーマに与えた楽器は、オーボエとイングリッシュホルンのユニゾン。この響きを聴き落とすことのないように。
原曲ではスケルツォ-トリオ-スケルツォの3部分を全て音符に書き込んでいますが、シェーンベルクでは2度目のスケルツォをダ・カーポで繰り返すように書き換えています。
第3楽章はいかにもブラームスといった感じの広々とした主題が魅力です。
何と中間部は行進曲に変わるのですが、シェーンベルクの管弦楽法が俄に活気付き、ブラームスが決して使うことがなかった打楽器を登場させているのも新鮮な驚きです。
第4楽章はハンガリー風ロンド。これは圧巻です。
そもそもブラームスはヴァイオリニストのレメニーからジプシー音楽の魅力を伝授され、ハンガリー舞曲集に結実させています。その同じ精神が高度に昇華されたのがこの楽章。シェーンベルクのアレンジもやりたい放題。
原曲ではピアノ・ソロが受け持つカデンツァ風楽句はクラリネットに置き換えられ、いやが上にもジプシー的雰囲気が横溢していくのです。
全篇これ聴きどころと言っても過言でない楽しい作品。
はじめまして。
とても興味深くて、これからゆっくりさかのぼって読ませて頂きたいと思います。
外国の昔の演奏会のことを調べるには、どうしたらよいのでしょうか。
たまたまファンになってしまった演奏家が外国の昔の方だったのです。
調べることは自分でやってみようと思いますが、方法がわからないのです。
1930年代や、1940年代のカーネギーホールの演奏会のプログラムを
見てみるには、どこに行って何を調べればよいのでしょうか。
もし何かヒントやアドバイスをいただけましたらとてもうれしいです。
よろしくお願いいたします。
なす 様
コメントいただき、ありがとうございます。
お尋ねの回答にはならないかも知れませんが、いくつかコメントさせてください。
最初にお断りしておきますが、私は音楽関係者ではありません。単なる一ファンですので、自分で知り得た知識しか持ち合わせておりません。
まずカーネギーホールの演奏会のプログラムということですが、これは私も知る術を知りません。むしろ私が教えていただきたいくらいです。
ネット検索をしても、カーネギーホールのホームページはありますし、アーカイヴについてもページがありますが、具体的な内容までは閲覧できないようですね。
カーネギーホールほどの施設であれば、現地の資料室にはそれなりのアーカイヴが揃っていると思われます。
ただし、一般に公開されているか否かは専門の方にでもお尋ね下さい。
日本の例でいうと、例えば上野の東京文化会館には資料室がありまして、ここで開催された演奏会の記録やプログラムについては、簡単な手続きで閲覧することが出来ます。
一方で、日比谷公会堂には資料そのものは完備しいていますが、一般には公開されていませんので、閲覧不能です。
次に個々の演奏家の演奏記録については、個別に纏められた資料をこまめに探すしかないと思います。もちろんネット上で閲覧できる場合もあるようですから、丹念に探して見られることをお薦めします。
私がニューヨーク・フィルの演奏記録を紹介するに当たって参考にした資料は、当ブログの7月5日の記事「ニューヨーク・フィルとトスカニーニ」に書きましたので、それを参考にしてください。ただしこの書物自体、現在では入手困難と思われます。
この他に私が所有している資料類では、
①「ウィーン・フィルハーモニー」(音楽の友社・Music Gallery 1987年)
②「カラヤン全軌跡を追う」(音楽の友・1996年)
③「Furtwangler Concert Listing 1906/1954」(Productions TAHRA・1997年)
④「バイエルン放送交響楽団1975年日本ツアー・プログラム」(1975年)
などがあります。
①は1975年から1987年までのウィーン・フィルの公演記録が掲載されています。
②は1928年から1989年までのカラヤンの全公演記録。
③は1906年から1954年までのフルトヴェングラーの全公演記録。
④はバイエルン放送交響楽団の創設(1949年)からツアー当時(1975年)までの全定期演奏会の記録が掲載されています。
以上、私の経験では、資料類をこまめに探すしか手はなさそうです。古書店か図書館、音楽資料館などで探してみては如何でしょう。
尚、日本の交響楽団の定期演奏会記録については、民音音楽資料館が纏めたものがございます。私が読売日響の「聴きどころ」で紹介しているデータは、ほとんどがこれに基づくものです。
とても丁寧に教えていただき、本当にありがとうございます。
1つ1つ丹念に探していくのがよいのですね。
やってみようと思います。
調べ方を教えていただいて、いっそうこのブログが
どれほど貴重なものであるかわかりました。
ゆっくり読ませていただきます。
毎日寒いですが、お体を大切になさってください。
本当にありがとうございました。