サルビアホール 第52回クァルテット・シリーズ

昨日の鶴見、今年もまた来日してくれたカルミナ・クァルテットをサルビアホールで聴いてきました。彼らがサルビアに登場するのは初めてのことで、100人で聴くカルミナは正に贅沢の極致だったと言えるでしょう。
彼等は今回の来日でも第一生命ホールを中心に全国を回るようですが、他で聴かれるファンには申し訳ないながら、サルビアで聴いてしまうと他では物足りなく思うだろう、というのが私の正直な意見ですね。プログラムは、

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第4番ハ短調 作品18-4
シマノフスキ/弦楽四重奏曲第1番ハ長調 作品37
     ~休憩~
ラヴェル/弦楽四重奏曲へ長調

カルミナ・クァルテットに付いては改めて紹介する必要もないでしょう。私のような室内楽初心者でもその名前は知っていましたし、実際これまでも晴海で何度かその演奏に接しました。
今回もクラリネットとの五重奏曲があったように、他の楽器を加えた室内楽演奏が多いのも彼らの特徴で、私もピアノ五重奏、弦楽五重奏、更にはピアノ四重奏なども聴いた覚えがあります。それだけ他のジャンルのプレイヤーからの信頼も厚いとういうことで、幅広い活動が目立ちます。
常連氏に伺ったところでは、今回はレクチャー・コンサートなどもあったようですし、以前の来日の際にはアウトリーチ活動にも熱心でした。

ところで当ブログでもカルミナを何度か取り上げましたが、鶴見では「カルミナ・クァルテット」と表記されていました。これまで晴海では「カルミナ四重奏団」となっていましたから、拙ブログ内の検索でも両方が引っ掛かります。
もちろん「Carmina Quartet」ですからどちらも正解でしょうが、名前の表記の難しさ、曖昧さも痛感した次第。因みに幸松辞典でも、 DENON レーベルのCDでも「カルミナ四重奏団」が採用されています。

メンバーは設立初期にセカンドが変わっただけで、今回も不動の4人。改めて記録しておくと、ファーストはマティアス・エンデレル Matthias Enederle 、セカンドがスザンヌ・フランク Susanne Frank 、ヴィオラをウェンディ・チャンプニ― Wendy Champney 、チェロがシュテファン・ゲルナー Stephan Goerner 。結成して31年目の老舗です。
ホームページもありますが、最近は余り更新していないようで、今回のツアーに付いても特にニュースとしては上がっていませんでした。

http://www.carminaquartet.com/Carmina_Quartett/Home.html

私が初めて彼等を聴いたのは、皇帝・死と乙女・アメリカという思い出すだけでも恥ずかしくなるようなプログラムで、その後はクァルテット・プラスが主体でした。ですから今回は純粋に四重奏オンリーの王道プログラム。正にカルミナの真髄にドップリ浸かり、完全にノックアウトされたという感想です。

冒頭のベートーヴェンは、アーノンクールとの出会いに影響されたという古楽奏法の痕跡を残すもの。ヴィブラートを控え目にし、速いテンポと澄み切ったアンサンブルで古典街道を突っ走ります。
カルミナは徹底した譜読みで作品を仕上げていく姿勢で、4番も作品18を一通り音にして見ました、という安易なアプローチとは正反対。作品を独立した大曲として組み立てていました。
特に終楽章のアレグロがヴァイオリンのフェルマータで一息入れ、コーダに移る場面のドラマティックな表現には唖然。チェロのシュテファンが弓を一閃するような合図を切っ掛けに、音楽はプレスティッシモに突入するのでした。室内楽は音も小さいしCDで十分という人もいますが、特に弦楽四重奏は格闘技。4人の丁丁発止を眼前で目撃することが最大の見所・聴き所ではないか、ということを改めて実感します。

ベートーヴェンを終え、一旦舞台裏に引き上げたカルミナ、拍手が続く中を舞台に戻り、そのままシマノフスキに入ります。シマノフスキは彼らが DENON に録音した最初のCDの一つにも含まれていて、言わば十八番といって良いでしょう。
この繊細、かつ妖艶な作品は、耳だけで接していてはハ長調とは気が付かないほど。ブラインドで一部を聴かせ、調整を当てさせるクイズがあったとしたら、恐らくほとんどの人がハ長調という正解は出せないかも。
特に第3楽章のスケルツァンドは奇怪で、ファーストは♯4つ、セカンドは♯6つ!!(これって嬰へ調?)、ヴィオラは♭3ッつ、チェロだけがハ長調で書かれている多調の譜面。最後は♯も♭もナチュラルで元に戻されるため、原調ハ長調のピチカートによるドミソで何事も無かったように終わる仕掛けなのです。

この第1番、サルビアでは以前にアポロン・ミュザゲートが素晴らしい演奏を披露してくれたことがありましたが、今回のカルミナも負けず劣らず圧倒的な名演。シマノフスキの1番と「夜想曲とタランテラ」もシマノフスキQが文字通り理想的な演奏を披露してくれましたし、サルビアホールはシマノフスキ演奏のメッカになったと言っても過言ではないかもネ。

休憩を挟んで演奏されたラヴェルも、その表現の多彩さに息を呑むよう。ラヴェルはこれまでも様々な団体による優れた演奏に接してきましたが、今回のカルミナは次元を超えたアプローチでした。
それは冒頭の2小節を聴いただけでも歴然。ラヴェルは単に Tres doux としか表情記号を記していませんが、カルミナは譜面に書かれていない細かなフレージングを付け、一小節が、いや一音一音が密やかに息づいて行くのでした。

第2楽章ピチカートでの弦の弾き方、楽想に合わせて指の使い方を変えていく視覚的な楽しさ。右から二人目に位置するヴィオラが主旋律を奏でる時、そのf字穴を客席に向けて音を際立たせるように体を少し右に捻る仕草等々・・・。四重奏は見て聴く世界を、又しても実感。
この第3楽章が素晴らしかったことは当夜の白眉というべきで、客席の静寂と集中は恐ろしいほど。改めてラヴェルの弦楽四重奏曲ってこういう作品だったのかと目から鱗状態でした。そう、ラヴェルはこうやって弾くんですね。
極めて知的なアプローチでありながら、熱い血が流れていることを実感できる演奏。

もちろんアンコールもありました。モーツァルトの不協和音四重奏曲から第2楽章の「アンダンテ・カンタービレ」。ファーストのマティアスが曲名を告げましたが、人の声がホール全体に明瞭に聴き取れ、暖かいアクースティックに包まれる。この何でもない事実が、サルビアホールの環境の素晴らしさを証明していました。
繰り返しますが、鶴見でサルビアを聴ける贅沢。世界にも高名な室内楽ホールはたくさんありましょうが、演奏者の近さと団体のレヴェルの高さ、プログラムのバランスの良さといった点で、これ以上の100席は無いかも知れません。

最後に苦言も一つ。プログラムに掲載されていたヴィオラ奏者のカタカナ名と英語名がチグハグでした。Guillaume Becker となっていたのは第42回に登場したヴォーチェのヴィオリストで、この時も最初はベートーヴェンの4番でしたから、恐らく転用上の誤りでしょう。
もう一つはご愛嬌の類ですが、シマノフスキの曲目解説の文章で、ワープロの変換ミスに気が付かなかったであろう箇所がいくつかありました。自分のブログでも頻発することで人のことは言えませんが、この辺りも改善されればもっと高レヴェルのシリーズになる筈です。
関係者には申し訳ありませんが、敢えて私が悪者になって指摘させていただきました。

 

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