英国競馬1966(2)
昨日に続いて1966年の英国クラシック・レース、2000ギニー翌日の4月28日に同じニューマーケット競馬場で行われた1000ギニーを回顧して行きましょう。
最初に2歳時の勢力分布から見て行くと、フリー・ハンデで首位となった牝馬は、2歳の秋にロイヤル・ロッジ・ステークスで牡馬を一蹴したソフト・エンジェルス Soft Angels 。後述のように、彼女はトライアルを使うことなくギニーに直行します。
最初の重要なトライアルは2000ギニー同様フランスからで、ジェベル賞と同日に行われたアンプルーダンス賞。ここではミリザⅡ世 Miliza Ⅱ が優勝し、ジャスト・ピーピング Just Peeping が2着に入ります。レース内容に付いては見る人によって評価が割れましたが、上位2頭の他に4着だったテッサリー Thessaly もニューマーケットに遠征することになりました。
ミリザはフランソワ・マテ厩舎、イヴ・サン=マルタン騎乗、この年亡くなったフランソワ・デュプレ氏の所有というフランス競馬界の名門で、血統も良く、この勝利で5対1の1番人気に上がります。
4月11日のケンプトン1000ギニー・トライアルにフリー・ハンデ牝馬3位(9ストーン)のバークレー・スプリングス Berkeley Springs が出走して注目されましたが、何と20頭立ての19着と大敗、直ぐにドーピング・テストが行われたほどでした。しかし結果は陰性。
勝ったオラベラⅡ世 Orabella Ⅱ という馬はクラシックに登録が無いというショッキングな結果でしたが、2着のシー・ライケン Sea Lichen 、3着のアメリカ America そしてバークレー・スプリングスも1000ギニーに参戦することになります。
この結果を受け、シー・ライケンとバークレー・スプリングスとに同じ16対1のオッズが出されました。
ニューバリー競馬場で行われる予定だったフレッド・ダーリング・ステークスは、グリーナム・ステークス同様降雪のために中止となり、ここを叩き台にする筈だったソフト・エンジェルスが上記の通りギニーに直行することが決定。彼女のオッズは、相手と見做されていたバークレー・スプリングが大敗したこともあって3対1に上がり、この時点で本命に替ります。
ところがソフト・エンジェルを管理するノエル・マーレス調教師が同馬の「食いが細っている」ことを公表したためオッズは6対1に下がり、フランスのミリザが再び3対1の1番人気に戻るという曲折もありました。
4月14日に本番と同じニューマーケット競馬場で行われたネル・グィン・ステークスは、ハイディング・プレイス Hiding Place が勝ち、マーレス厩舎のパダンテ Padante が2着。この2頭も当然ながらギニーに挑むことになります。
更に、エプサム競馬場でプリンセス・エリザベス・ステークスに勝ったエヴリー・ブレッシング Every Blessing はギニーには参戦しませんでしたが、やはりマーレス師の管理馬で、これが厩舎にとっての吉兆と捉えられ、ソフト・エンジェルスのオッズは再び4対1に上昇するというレース前独特のオッズのアップダウンが錯綜してきます。
そのマーレス師の厩舎に、アイルランドからヴィンセント・オブライエン師が何頭かの有力候補を一時的に預けるために送り込んできました。アイルランドでの調教が悪天候のため思うに任せず、苦肉の策だったのですね。その中にフリー・ハンデで4位に評価(8ストーン12ポンド)されたグラッド・ラグス Glad Rags がいました。
彼女は2歳時にレールウェイ・ステークスに勝ち、イギリスに遠征してロイヤル・ロッジ・ステークスが3着。この内容が評価されて英国のフリーハンデに名を連ねたのですが、結局3歳になってからは出走する機会の無いままに本番へ直行することになります。
本番前の月曜日にフランスから4頭がニューマーケットに到着しましたが、この時は既に伝染病の噂があり、競馬関係者たちは彼等の本番前の調教に一際注目したようです。
そして当日、春の暖かい日差しに包まれて21頭が参戦し、結局フランスのミリザが体調に問題無しと認められて11対10の1番人気。ソフト・エンジェルスが7対2の2番人気となり、前走の大敗をその後の調教の良さでカヴァーしたバークレー・スプリングスと、10か月ぶりとなる3戦無敗のヴィスプ Visp が100対8に並ぶ3番人気に推されていました。
スタート前にピゴット騎乗のソフト・エンジェルスが駄々をこね、結局スタートは15分遅れとなるハプニング。最終的にソフト・エンジェルスは50ヤード後方からのスタートという決定がなされます。
スタート直前まで(時にはスタート直後でも)馬券を扱っているブックメーカーは、同馬の最終オッズを9対2に下げるという事態も発生しました。因みに当時行われていたゲート発走(日本ではバリアー発走と呼ばれた)は、この年が最後となる運命でしたが・・・。
レースは33対1の伏兵オードリー・ジョーン Audrey Joan とシー・ライケンの逃げで始まります。ゴール前2ハロンでもシー・ライケンが粘っていましたが、ここでミリザとソフト・エンジェルスが好位に上がってくるのが見えます。
しかし末脚が勝ったのはグラット・ラグスとバークレー・スプリングスの2頭で、最後の1ハロンでバテたシー・ライケンをグラッド・ラグスが捉えて先頭立ったところにバークレー・スプリングスが襲い掛かり、一旦は先頭。しかし小柄なグラッド・ラグスが差し返す根性を見せ、最後は写真判定の結果首差でバークレー・スプリングスを競り落としていました。
2馬身差でミリザが3着、更に4馬身差が開いてシー・ライケンが4着に入り、以下5着にソフト・エンジェルス、6着ハイディング・プレイスの順。
ミリザ陣営はスタートが遅れたことを敗因に挙げ、当時フランスでは導入が進んでいたスターティング・ストール(現在のゲート方式)を英国も取り入れるべきだと主張。皮肉にも翌1967年からはストールが採用されることになるのは前述の通りです。
今期の初戦でクラシックを制したグラッド・ラグスは、アイルランドでキャプテン・ティム・ロジャーズが生産した栗毛馬。父は戦時中の英国首相だったウィンストン・チャーチル氏が生産して所有もしていたハイ・ハット High Hat で、グラッド・ラグスはその初年度産駒でした。
ハイ・ハットと言えば父はあのハイペリオン Hyperion 。前日の2000ギニーを制したカシミア Kashmir の父チューダー・メロディー Tudor Melody もハイペリオンを2代父に持つ種牡馬ですから、1966年のギニーは何れもハイペリオン系が制したことになります。当時はハイペリオン系の全盛時代でしたが、このサイアー・ラインも現在は絶滅状態。昨今の競馬は父系の多様性が失われているように感じますが、どうでしょうか。
このグラッド・ラグスをイヤリング・セールで購入(価格は6800ギニー)したのが、アメリカのヒッコリー・トゥリー牧場を経営するJ.P.ミルズ夫人。夫人がヨーロッパで所有していたのはグラッド・ラグス唯1頭でしたが、同馬をアイルランドのヴィンセント・オブライエン師の元に送ります。
グラッド・ラグスは2歳時は3戦し、レパーズタウンで5ハロンのララー・ステークス、カラーで6もハロンのレイルウェイ・ステークスに優勝。英国に遠征してアスコットの1マイル戦ロイヤル・ロッジ・ステークス3着となり、フリーハンデで評価されたのは上記の通り。
1000ギニーの後グラッド・ラグスは3戦します。
愛1000ギニーは1番人気に支持されるも、苦手の重馬場というひともあって15頭立ての6着に敗退。ロイヤル・アスコットのコロネーション・ステークスは3着でしたが、サセックス・ステークスでもパヴェー Paveh の7頭立て最下位に敗退して現役を終えました。
その牝系は目立ったものでなく、5代母ソリチュード Solitude は種付け料がたったの10ギニーという種牡馬と交配したという記録もある程ですが、徐々にステイタスと実績を挙げつつクラシック馬を輩出するに至ったファミリーなのです。
彼女自身の繁殖成績は目立ったものではありませんでしたが、世代を経るごとに優秀な馬を出し、現在はアメリカでGⅠ級の馬が何頭も出ています。
勝馬の調教師ヴィンセント・オブライエンに付いては改めて紹介するまでも無いでしょう。英国のクラシックは1957年のセントレジャーをバリモス Ballymoss 、1965年のオークスをロング・ルック Long Look で制したのに続き、これが3勝目。1000ギニーは初勝利となります。
しかしこれは師にとっては未だ序の口で、60年代から70年代にかけて師のクラシック独占時代が続くのは、今後のお楽しみと言うことにしておきましょう。
一方勝利騎手のポール・クックは、1946年生まれでこの年20歳。前年とその前の年に2年連続で見習い騎手のリーディングを獲得したばかりで、この年はクラシック初制覇の他にプリテンダーでダービー2着の素晴らしい成果を上げることになります。
しかし余りに若くして栄光を手にしたためか、この後は所属していたジャック・ジャーヴィス師が引退したこともあり、急速に騎乗機会に恵まれなくなります。初クラシックから4年後の1970年には何と年間勝利が9勝というレヴェルにまで落ち込みました。
しかしクックはそこで腐らず、地道に勝ち星を重ね、遂に16年後の1982年にタッチング・ウッド Touching Wood でセントレジャーに勝ってクラシック2勝目を挙げることになりますが、16年後には当ブログも間違いなく終了しているでしょう。回顧シリーズでクック騎手を取り上げるのは、これが最後ですネ。
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