英国競馬1959(1)

新年度に入りましたが、ヨーロッパの平場競馬がスタートするには未だ間があります。それまでの間は回顧ネタということで、50年前のイギリスを中心にした回顧をやろうと思います。
実は100年前を考えたのですが、馬の世界は回転が速く、ほとんど現在の競馬には繋がりません。ましてや日本ではまだ競馬そのものが行われておらず、資料そのものも充分に揃いません。
さて1959年。最初はクラシック・レースの回顧からスタートします。
前年の2歳王者テューダー・メロディー Tudor Melody はアメリカに輸出されてしまったため、1959年の2000ギニーは混戦の感を呈していました。
こんな中で1番人気に支持されたのは、フランスから遠征してきたタブーン Taboun でした。2歳の時にメゾン=ラフィット競馬場のロベール・パパン賞に勝ち、ドーヴィル競馬場のモルニー賞でも2着に健闘していた馬です。
タブーンは冬場に大きく成長し、シーズン初戦に選んだメゾン=ラフィット競馬場のジェベル賞もジャヴロー Javelot に3馬身差を付ける圧勝で、ニューマーケットに送り込まれてきました。
レース本番ではゲイリー・ムーア騎手が騎乗、見事に5対2の一番人気に応えています。最初から好位に付け、藪の辺りで先頭のファイアストリーク Firestreak を交わすと、後は他馬をスピードで圧倒。追い込んだメイシャム Masham に3馬身差を付けて楽勝したのです。
タブーンはアガ・カーン、アリ・カーン親子の生産馬で、父のアガ・カーンは2年前に亡くなっていましたから、オーナーは息子のアリ・カーンです。
フランスでこの馬を調教したのはアレック・ヘッド師。現在のフランスを代表する調教師フレッディー・ヘッドさんの父親です。
そもそもヘッド家はイギリス出身。アレック師の父・ウイリアムは、第一次世界大戦中は英国軍で参加していた人なのです。アガ・カーンはフランスで調教師を開業して間もないアレックに目を付け、1951年のシーズンが終わると同時に、これまでのイギリスから本拠地をフランスに移したという経緯がありました。
アガ・カーンは1956年にヘッド調教のラヴァンダン Lavandin で英ダービーに勝ち、1957年にもローズ・ロイヤルⅡ世 Rose Royale Ⅱ で1000ギニーを制していましたから、タブーンはアガ・カーン家/ヘッド師による3頭目の英国クラシック制覇になったわけです。
またタブーンの母はクイーン・オブ・バスラ Queen of Basrah と言い、タブーンを産んだ直後に亡くなってしまったのです。従ってタブーンはミルクで育った馬、というエピソードもありました。
フランスに戻ったタブーンはロンシャン競馬場のフランス2000ギニーにも出走して一番人気に支持されましたが、直線で前を塞がれる不利が何度もあり、結局すんなり走ったタイマス Thymus に1馬身及ばず2着に終わってしまいます。
このあとタブーンは5月のリュパン賞が9頭立て6着、ロイヤル・アスコットのセント・ジェイムス・パレス・ステークスでも1番人気を集めましたが5頭立てシンガリ。秋のチャンピオン・ステークスに出走するという噂もありましたが、最後はイタリアのキウズラ賞で9頭立て8着。これがタブーンの生涯最後のレースになってしまいました。

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