英国競馬1966(5)

50年前の英国競馬、1966年のクラシック回顧最後は9月7日にドンカスター競馬場で行われたセントレジャー。

英国・大陸間の馬の移動禁止は11月1日まで続いたため、この年のセントレジャーから国際色は完全に失われていました。ダービー前は話題の多かったアイルランド勢もダービーでは6着が最高だったこともあり、セントレジャーはレース前からイギリス馬独占の雰囲気となっていました。
ダービー出走組からは1着から5着までの5頭に加え、13着のエルメス Hermes を加えた何れも英国馬6頭がセントレジャーに参戦することになります。

ダービーに続いて7月2日にはカラー競馬場で愛ダービーが行われました。既にダービー回顧で紹介したように、結果はダービー4着だったソディウム Sodium がシャーロットタウン Charlottown を1馬身差で破り、エプサム・ダービーの雪辱を果たします。
そもそもソディウムはダービーで4着に終わった際、騎乗したフランシス・ドゥア Durr 騎手がドーピング試験を要求したほどに本来のレース振りではありませんでした。結果は陰性だったものの、陣営はあくまでもダービー4着は不本意な結果だとしており、愛ダービー優勝は当然の帰結という見解。
一方シャーロットタウンに付いては、騎乗したブリズリー騎手に、余りにも後方から行き過ぎたのでは、という批判が集中しましたが、直線に入った時にはシャーロットタウンはソディウムの半馬身前に位置しており、ブリズリーの判断が誤っていたとするならばドゥア騎手も同罪と言うことになるでしょう。両騎手の騎乗に違いがあるとすれば、ドゥアが馬場の中央を抜けたのに対し、ブリズリーは外を回ったということでしょうか。

ソディウムは愛ダービーに続いてキングジョージに挑戦しましたが、古馬牝馬オーント・エディス Aunt Edith との叩き合いに半馬身敗れて2着となります。今回はドゥア騎手に後ろから行き過ぎたという批判が起きましたが、ここは勝った馬に騎乗したレスター・ピゴットの好判断を讃えるべきで、ソディウムの能力の高さに疑問の余地はありませんでした。
こうして出されたセントレジャーのオッズは、アイルランドでは敗れたものの左回りで直線の長いドンカスターではシャーロットタウンが有利と言う見解が勝って2対1の1番人気。ソディウムは5対2で続きます。

一方ダービー2着のプリテンダー Pretendre は、ロイヤル・アスコットのキング・エドワード7世ステークスでクリスプ・アンド・イーヴン Crisp and Even などを一蹴して優勝しましたが、次のエクリプス・ステークスではアイルランドの2頭、ピーシズ・オブ・エイト Pieces of Eight とバリシプティック Ballyciptic に敗れて3着。力の差と言うよりもこの時点では距離不足が敗因と言う印象でした。

夏のグッドウッドではウォーレン・ステークスをクリスプ・アンド・イーヴンが勝ち、ゴードン・ステークスはアイルランド(パディー・ブレンダーガスト厩舎)のカールカン Khalekan が優勝。何れもセントレジャーのオッズに影響を与えるものではありませんでした。
伝統的なセントレジャーのトライアルとなるヨーク競馬場のグレート・ヴォルティジュール・ステークスは、エルメスとダービー3着のブラック・プリンス Black Prince との叩き合いとなり、前者が短頭差で優勝。この2頭は共にセントレジャーに向かいましたが、4着に敗れたカールカンはクラシックを断念します。

8月13日にニューバリー競馬場で行われたオックスフォードシャー・ステークス(1マイル5ハロン60ヤード)にシャーロットタウンとソディウムが出走し、両横綱の三度目の対決が実現。結果はシャーロットタウンが圧勝し、ソディウムは勝馬から13馬身も離された3着に不可解な大敗を喫します。この勝利でシャーロットタウンの1番人気は揺るがし難いものとなり、ソディウムのオッズは8対1乃至10対1に降下しました。
この日のドラマはこれだけではなく、当日の第1レースでシャーロットタウンの主戦ブリズリー騎手が落馬負傷し、結局このシーズンは騎乗出来なくなってしまいます。替って騎乗したのが、この年の2000ギニーをカシミアで制したジミー・リンドレーでした。
一方、ソディウムには又してもドーピング・テストが行われましたが、結果は陰性。敗因は何にせよ、度重なる気性の悪さでセントレジャー出走そのものも不確定になってしまいます。

ここで新たに登場してきたのがデヴィッド・ジャック David Jack 。5月にニューカッスル、7月にヨークで何れもハンデ戦に勝っただけの存在でしたが、セントレジャーでレスター・ピゴットが騎乗することが発表され、彗星の様に下馬評に上がってきました。最初に出されたオッズは6対1でしたが、最終的には10対1で落ち着きます。当時のピゴット人気の凄まじさを反映したエピソードでしょう。

最終的には9頭、アイルランドからは唯1頭プレンダーガスト厩舎のレッド・マリン Red Marine が参戦してきましたが、他は全て英国調教馬です。
最終オッズはシャーロットタウンが11対10で断然の1番人気。7月のエクリプス以来となるプリテンダーが3対1の2番人気で続き、結局出走を決意したソディウムが7対1の3番人気。シャーロットタウンにはニューバリーで乗り替わったリンドレーがそのまま騎乗し、ソディウムはドゥアで変わらず。リンドレーは本来ならブラック・プリンスとコンビを組む予定でしたが(ダービーもこのコンビで3着だった)、オーナーの配慮でブラック・プリンスにはブライアン・テイラーが騎乗することになります。

そのブラック・プリンスがペースを作り、1マイル半地点まではそのままの順位で淡々たる流れ。ゴール前2ハロン、それまでガッチリ手綱を抑えていたピゴットのダヴィッド・ジャックがスパートして先頭に立つと、直ぐにシャーロットタウンも仕掛けて勝負に出ます。ゴール前1ハロンでダヴィッド・ジャックを交わし、ここでシャーロットタウンが先頭。
前半は後方で控えていたソディウムがバテたブラック・プリンスの外から仕掛けると、反応は瞬時で且つ決定的。ゴール前100ヤードで本命馬に並び掛けると2頭のマッチレースに持ち込みます。シャーロットタウンも懸命に差し返しましたが、デヴィッド・ジャックを競り落とすのにエネルギーを費やしたした分だけ余力は少なく、最後は写真判定の結果、ソディウムが頭差でシャーロットタウンの2冠を阻んでいました。1馬身半差でデヴィッド・ジャックが3着に入り、クリスプ・アンド・イーヴンが4着、エルメス5着。プリテンダーは終始見せ場を作ることが出来ず、6着敗退に終わります。

レースのあと、ソディウムに付いて二つの項目で審議が行われました。一つは最後の叩き合いでインターフェアが無かったか、ということ。もう一点は同馬の前走とクラシックでの差が余りにも大きかったこと。何れもジョージ・トッド調教師の説明によって問題無しと判定され、入線通りで確定します。

ソディウムはアイルランドのキルカーン牧場が生産した鹿毛馬で、イヤリング・セールでジョージ・トッド調教師がパトロンのラーダ・シグティア氏のために3500ギニーで購入したもの。
父はサイディウム Psidium で、ソディウムはその初産駒に当たります。また母ガンベイド Gambade はオークス馬アンビグィティー Ambiguity の一つ下の全妹で、現役を終えた直後にアリ・カーン王子が購入し、更に2年後にキルカーン牧場の基礎牝馬になりました。

ソディウムの2歳時は4戦して未勝利でしたが、ロイヤル・ロッジ・ステークスで2着、オブザーヴァー・ゴールド・カップ(現レーシング・ポスト・トロフィー)でもプリテンダーの4着に入ってステイヤーとしての片鱗を窺わせます。
3歳になると1マイル半のホワイト・ローズ・ステークスで3着、ブライトンのダービー・トライアルに勝って初勝利を挙げ、ダービーは13対1で4着。それ以後のムラのある成績は既に紹介した通りです。

4歳になったソディウムは本来の走りを取り戻すことなく6戦して勝てず、噂では10万ポンドの価格でフランスに売却され、種牡馬となりました。
種牡馬としては仏オークス3着のヴィルンガ Virunga 、パリ大賞典2着のスカワ Sukawa が出た程度でほぼ失敗し、1972年からは日本で供用。その産駒では小倉の足立山特別(2000メートル)に勝ったプロミネト、阪神でなにわ特別(2000メートル)に勝ったエリモソディアム、中山で里見特別(1800メートル)と冬至特別(2500メートル)を制したイシノソディの3頭がステークス・ウイナーとなり、何れも長距離馬という父譲りの産駒が多かったようです。

 

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