読売日響・第469回定期演奏会

昨日は読響の定期を聴きにサントリーホールへ。隣接するホテルを通り抜けた瞬間、ヴァイオリンのケースを持った外国人とすれ違いました。何処かで見たような顔? しばらくして思い出しました。ありゃ、コーリャ・ブラッハーじゃ。はて、彼は来日中なのかな。
ぶらあぼで確認したら、今週末に紀尾井シンフォニエッタを弾き振りするみたい。東京は普通に外国人音楽家と遭遇する街ではありますな。
それは余談。今日のコンサートは以下。
読売日響定期演奏会 サントリーホール
 三善晃/アン・ソワ・ロアンタン<遠き我ながらに>
 バーンスタイン/セレナーデ
     ~休憩~
 伊福部昭/倭太鼓とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク
 バーンスタイン/「ウエストサイド物語」からシンフォニック・ダンス
  指揮/下野竜也
  独奏/チョーリャン・リン
  コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
  フォアシュピーラー/小森谷巧
特に筋を通したプログラムというわけではないようですが、聴き終わった印象は「ダンス」がテーマですかね。リズミックな作品が並び、下野のタクトも冴え渡り、ひょーきんな尻振りダンスも快調でした。
プログラムに下野談が掲載されていて、それによれば“2人の偉大なアキラさん”とのこと。なるほどアキラ(昭と晃)繋がりもあったんですねぇ。気が付かなかった。 
最初の三善作品はスコアもなく、CDもなく、白紙状態で演奏に接しました。多分読響による初演(創立20周年委嘱作)以来のナマ演奏なのじゃないでしょうか。
三善は1933年1月10日生まれですから、49歳の時の作品ですね。冒頭の静かな響き(ドルチェ・ロンターノと表記されている由)が最後に回顧されるようで、主部では何度か激しいクライマックスが築かれます。この激しい部分を聴いていると、作曲家の当時の若々しい力と、瑞々しい感性が良く伝わってきます。
下野の指揮が素晴らしいのは、こうした現代のいわば難解な作品でも構成をシッカリと把握し、聴き手に解り易く提示してくれること。この日の三善作品再演は、正に下野の優れた感性が前面に出た名演だったと思います。
後半冒頭の伊福部作品は三善とは正反対。難解さとは無縁の世界です。ここでも下野は作品の隅々に目配りを利かせ、「祭儀的陶酔感」をホール一杯に醸し出しました。
バーンスタインの2作。セレナードは何と言ってもチョーリャン・リンのヴァイオリンが見事でしたね。バーンスタインとしては難解な部類の作品かもしれませんが、予習効果もあって、隅々まで楽しめました。
バーンスタイン自身の録音(クレーメルとの共演盤)に比べるとテンポも速め、その分作品の深刻さは影を潜めているように感じましたが、これはこれで新しい解釈。音楽作品は一旦世に出てしまえば作曲家の手を離れ、下野が書いているように、“同じ作品でもいろんな演奏になっている”のです。
ウエストサイドも同じ。読売日響のパワーを全開にし、素晴らしいリズムで聴衆を圧倒しました。
一つ衒学的なことを書けば、下野はブージー版のスコアで指揮していました。私が予習に使ったのはシャーマー版、CDもこれによるバーンスタイン自演盤(ニューヨークフィル)です。聴きどころにも書きましたが、シャーマー版にはマンボの叫び声は記譜されていません。この日はオケのメンバーも“恥ずかしがらずにマンボを叫んで”いましたし、下野の音楽作品に対する姿勢からして楽譜通りの演奏だったと思います。
ということは、恐らくこの作品の版権がブージーに移った再に「改訂」が施されたのでしょう。指パッチンの個所も増えていました。ブルックナー風に言えば、シャーマー版は第一稿、ブージー版は第二稿ということになります。今度楽譜屋で立ち読みして確かめてきましょうかね。
私の手元にあるシャーマー版。現在では入手不可能でしょうから、いずれ値が付くかもね。

 

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