2016ダービー(東京優駿)馬のプロフィール

先週の日本ダービーは8センチ差の勝負だったそうですが、ここでは勝馬の血統を牝系を中心に見て行きましょう。その前に、
今年の東京優駿はマカヒキとサトノダイヤモンドの際どい勝負になりましたが、実は2頭共にアルゼンチンで育まれてきた牝系の出。どちらが勝ってもアルゼンチンの競馬に触れない訳にはいかなかったのでした。
アルゼンチン牝系の馬と言えば数年前にペルーサという馬がダービー候補になり、もしこの馬が勝ったら血統調査をどうしようかと思ったものでした。彼の地の競馬は日本では余り知られておらず、データも不足気味。今回も最初にそのことをお断りしておきます。

以前に某サイトでアルゼンチン競馬のことを書いた時、“アルゼンチンはサッカーだけじゃないのか? 競馬もあるのか?”と聞かれたことがありましたが、相当なスポーツ・ファンでもアルゼンチン競馬は馴染が無いようです。
私が競馬に感心を持ち始めた1970年代初頭、世界で最も優れたサラブレッドを産出するのはアメリカのケンタッキー、フランスのドーヴィル、オセアニアのニュージーランド、そして南米のアルゼンチン、これが世界の4大馬産地だと教わりました。もちろん馬産が盛んな以上は競馬も充実しています。

実際、ボビンスキーが有名なファミリー・テーブル(私の手元にあるのは1959年刊の第2版)の中で世界の28大レースを選択した中で、アルゼンチンからはグラン・プレミオ・ナショナル(通称アルゼンチン・ダービー)とグラン・プレミオ・カルロス・ペレグリニ(南半球の凱旋門賞と呼ばれるレース)の2レースが選ばれています。
その他の重要なレース、つまり勝馬の血統をファミリー・テーブルに記載したレースは更に285レースに上り、アルゼンチンからは17レースが上がりました。因みに当時の日本のレースからは5つ、ダービー、オークス、菊花賞、春と秋の天皇賞ですから、これが20世紀半ばに於ける世界の競馬水準の評価とも言えるでしょう。
1970年代から80年代にかけて多くの著作を著した血統研究家のジョン・アスカン John Aiscan 氏は、アルゼンチンが馬産に適している要素を確か3点挙げていたと記憶します。

その第一は日照時間の長さ。サラブレッドは「太陽の産物」であるため、幼時に外で過ごすサラブレッドが如何に長い時間、日光を浴びるかが重要、という主旨でしょう。
第二は、水に含まれるカルシウムの多さ。もちろん丈夫な骨を形成するのが大切ということで、アルゼンチンはカルシウム分が豊富な水に恵まれているという論拠。
そして第三が、牧場に占める馬密度の低さ。狭い牧場に多くの馬が犇めき合っていたのでは運動量が不足するのは当然で、細かい数字を挙げて馬一頭に必要な最低面積まで計算していたと思いますが、この辺りは記憶が定かではありません。

馬可愛さの余り全ての牝馬を繁殖に上げ、牧場が仔馬で溢れかえっている所もあるようですが、そういう生産者は必ず衰退します。日本にもいくつか事例がありました。
そもそもアルゼンチンの競馬もヨーロッパからサラブレッドを輸入して始まったものですが、経済的な面で高価な馬、つまり優れた血統の馬は買えなかったようです。それが比較的短期間のうちに世界で通用するサラブレッドを生産できるようになったのが上記三要素のお蔭。
これをアスカン氏は「血統が環境を変えることは出来ないが、環境が血統を変えることは出来る」と評したものでした。

そのアルゼンチン競馬界でしたが、政変によって誕生したイサベル・ペロン大統領が競馬を敵視し、カルロス・ペレグリニ大賞典の舞台だったサン・イシドロ競馬場を国有化。これらの反競馬政策のために競馬界は急速に委縮して行きました。
アスカン風に譬えれば、「競馬が政治を変えることは出来ないが、政治が競馬を変えることは出来る」、ということでしょう。
その後、現在までの流れは詳しくは知りませんが、例えば英国で長く出版されてきた「ブリーダーズ・ブラッドストック・アニュアル・レヴュー」という百科事典並みの世界競馬年鑑からもアルゼンチンの項目は消え、世界の競馬界からは孤立して行ったものと思われます。

それでもアルゼンチンでのサラブレット生産は続けられ、アメリカの競馬関係者たちが年中行事のように彼の地からサラブレッドを購入してきたのも事実。現在でもアメリカの芝コースで行われる長距離レースでは南米出身馬は欠かせない存在になっていること、当ブログのアメリカ競馬カテゴリーを読まれれば納得されるでしょう。
アルゼンチンで育ってきた牝系がアメリカを経由し、あるいは競売に出されたものが直接日本に入ってくるのは当然の流れ。アルゼンチン牝系の潜在能力がディープインパクトによって引き出された、というのが今年の日本ダービーの結果だったと思われます。

長~い前置きを終えて、ダービー馬マカヒキの血統に入りましょうか。
その前にもう一つ、マカヒキ Makahiki という不思議な馬名ですが、どうやらハワイ語で「収穫祭」とでも言う様な意味だそうで、オーナーの金子真人氏がハワイに強い関心があることから命名された由。氏の所有馬にはアルゼンチンではなく、ハワイ由来の馬名が多いようです。
さてマカヒキは父ディープインパクト、母ウィキウィキ、母の父フレンチ・デピュティー French Deputy という血統。

ディープインパクトは今年の日本ダービーで1・2・3着を独占。ダービーも2012年のディープブリランテ、2013年のキズナに次いで3頭目となります。今がディープの絶頂期と言えそうですが、未だ菊花賞制覇で五冠種牡馬という偉業も残されており、今後もクラシック馬が続々出現してくることは間違いないでしょう。

父はこれだけにして母に移ります。
ウィキウィキ(2004年 鹿毛)は早来のノーザンファーム産で、マカヒキと同じ金子真人氏の所有。馬名も恐らくハワイ語と思われますが、どういう意味かは聞いていません。
3歳の4月に阪神のダート・コース1200メートル未勝利戦でデビュー勝ち。その後2着を二度続け、5戦目に中京の沓掛特別(ダート1700メートル)で2着したのを最後に引退、繁殖に上がります。通算成績は5戦1勝2着3回、4戦目の4着が最も悪い着順でした。現在までの繁殖成績は以下の通り↓
2009年 エンドレスノット 鹿毛 牝 父ディープインパクト 中央競馬で26戦4勝。外房特別(中山1600メートル)。
2010年 ウリウリ 青毛 牝 父ディープインパクト 中央競馬で現役。現在まで27戦6勝。京都牝馬ステークス(GⅢ)、CBC賞(GⅢ)とG戦に2勝し、特別競走も2勝、G戦入着多数。
2011年 スウィートレイラニ 鹿毛 牝 父ディープインパクト 中央と地方で8戦未勝利
2012年 レレマーマ 栗毛 牡 父カネヒキリ 中央競馬で現役。現在まで3戦1勝。勝鞍は東京ダートの1600メートル新馬戦。
2013年 マカヒキ

2代母はリアル・ナンバー Real Number (1997年 黒鹿毛 父レインボウ・コーナー Rainbow Corner)。この馬が2003年に日本に輸入されてダービー馬の母系となるのですが、彼女から5代母までは全てアルゼンチン産。ここから先はアルゼンチン競馬の話になるため、些か精度を欠くことになることをご容赦ください。
さてリアル・ナンバーは競馬サイト「Pedigree On Line」によるとアルゼンチンで10戦5勝した馬だそうで、現地GⅠ戦のヒルベルト・レレナ賞に優勝している由。このレースは現在でこそ2200メートルの長距離戦ですが、リアル・ナンバーが勝った当時は1600メートルでした。この他にもアブリル賞(GⅡ、1800メートル)、ボリヴィア賞(リステッド、1400メートル)に勝っているそうです。
日本の血統サイト「JBISサーチ」によれば、リアル・ナンバーはアルゼンチンでの産駒は無く、日本で産んだ2004年生まれのウィキウィキが初産駒のようですね。

ウィキウィキ以降では、
2005年 ポンテディリアルト 青毛 牝 父アグネスタキオン 中央と地方で24戦3勝。勝馬の母
2006年 トパンガ 青鹿毛 せん 父キングカメハメハ 中央の平場・障害、地方で31戦6勝。八甲田山特別(函館2600メートル)、北海ハンデ(函館2600メートル)、松籟ステークス(京都2400メートル)に勝ったステイヤー。
2008年 スクエアナンバー 黒鹿毛 牝 父ファルブラヴ Falbrav 中央と地方で51戦未勝利。
2009年 ハギノタイクーン 鹿毛 牡 父キングカメハメハ 中央競馬で現役。27戦4勝。
2012年 カンデラ 黒鹿毛 牝 父ダイワメジャー 中央競馬で現役。14戦2勝。
2013年 ジュントップヒトミ 鹿毛 牝 父ゼンノロブロイ 中央競馬で現役。3戦未勝利。

3代母ヌメラリア Numeraria (1989年 鹿毛 父サザン・ヘイロー Southern Halo)は5戦4勝。この馬自身はクラシック馬で、アルゼンチン1000ギニーに相当するグラン・プレミオ・ポージャ・ド・ポトランカス(1600メートル)に優勝。この他にもカルロス・トムキンソン賞(GⅡ、1600メートル)、ボリヴィア賞(リステッド、1400メートル)に勝っており、娘のリアル・ナンバーと良く似た競走成績を残しています。
彼女の産駒では何と言ってもリアル・ナンバーが出世頭でしょうが、同じ南米でもチリで活躍、彼の地のGⅠ戦であるアルベルト・ソラリ・マグナコス賞(GⅡ、2000メートル)に勝ったヌメラドラ Numeradora という牝馬もいるようです。将来、この馬からも活躍馬が輩出されることでしょう。

駆け足で4代母ヌミスマティカ Numismatica (1983年 鹿毛 父ソルト・マーシュ Salt Marsh)に行きましょう。この馬もアルゼンチンのGⅡ戦(カルロス・カサレス賞)で3着したことがあり、ヌメラリアの他にレコンキスタ賞(リステッド、距離不明)に勝ったヌガー Nugger という馬も出ています。
そして5代母がナット Nut (1974年 芦毛 父ダンシング・モス Dancing Moss)で、彼女の母ノッチ・ダンス Nautch Dance (1960年 鹿毛 父ネアルーラ Nearula)が1969年に英国からアルゼンチンに輸入され、遠く6代を経てマカヒキの祖になったのでした。

このナット、自身は未出走でしたが、ヌミスマティカの3年前に産んだ娘ピーナッツ Peanut が、ブラジリアン・ナッツ Brazilian Nut 、バイレーサ Bailesa と世代を重ね、2005年のアルゼンチン・ダービー(グラン・プレミオ・ナショナル)馬フォーティー・リックス Forty Licks を出します。
フォーティー・リックスはアルゼンチン三冠の一つであるグラン・プレミオ・ジョッキー・クラブ賞(GⅠ)にも勝ち、凱旋門賞の南半球半と言われるカルロス・ペレグリニでも2着。言ってみればアルゼンチン版マカヒキの活躍を見せたのでした。

このファミリーを更に7代まで遡ると、豪州のダービーであるヴィクトリア・ダービー馬コッペリウス Coppelius 、天皇賞2回・安田記念2回のヤマニンゼファー、そして今年の凱旋門賞の有力1頭に数えられるファウンド Found なども登場してきます。

ファミリー・ナンバーは1-m 。1876年生まれのフットライト Footlight を基礎とする牝系です。

 

 

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