2015オークス(優駿牝馬)馬のプロフィール

僭越ながら日本のクラシック馬に付いても血統プロフィール、やってます。ということで今回は先週の日曜日に優駿牝馬を鮮やかに差し切ったミッキークイーンを取り上げましょう。血統に入る前に同馬の英名に付いて。
私はテッキリ「Mickey Queen」と表記するのかと思っていましたが、血統サイトでは「Mikki Queen」となっています。英名で検索される方は注意してください。日本の情報誌は全く読まないので不明を恥じることになりますが、恐らく「Mikki」はオーナーの名前から来ているのでしょう。
日本では馬名にオーナーの名前の一部や、屋号などを付けて統一するのが古くからの伝統。良し悪しは別にして、これもまた日本の競馬文化には違いありません。若い頃にこの事を某競馬誌に投稿したことがありますが、ほとんど話題にもなりませんでしたっけ。

さてミッキークイーンは父ディープインパクト、母ミュージカル・ウェイ Musical Way 、母の父ゴールド・アウェイ Gold Away という血統。父に付いては今更でもありませんが、ディープのオークス馬は2012年のジェンティルドンナに続いて2頭目と言うことになります。

母ミュージカル・ウェイ(2002年 栗毛)は、配合したディープインパクトと同期の馬で、フランスを本拠地に39戦8勝、ディープが凱旋門賞に遠征した時にはフランスで走っており、同じ空気を吸った戦友でもありますね。先ずその辺りから始めましょうか。
ミュージカル・ウェイはフィリップ・ヴァン・デ・プーレという方が調教した馬で、主にフランスのローカル競馬を舞台にしていました。2歳のデビュー戦もヴィール競馬場と言う余程のフランス通でなければ知らない地方のコースで、1800メートルの新馬戦に勝っています。2歳でいきなり千八というところが、彼女のスタミナ脚質を象徴しているように思われます。

2歳時は3戦1勝、3歳になってもクラシック路線は全く無縁で、主に2000メートルの距離を中心に11戦し、ドーヴィル競馬場のポリトラック・コースで行われた2400メートルの一般戦に勝ったのが2勝目。つまり日本オークスと同じ距離です。
ここまでは極く平凡な競走馬という印象でしたが、4歳になって大きく成長。この年も11戦し、ロンシャンのハンデ戦、ドーヴィルのハンデ戦、そして遂にメゾン=ラフィット競馬場のラ・クープ・ド・メゾン=ラフィットというGⅢ戦に勝ってしまいます。距離は全て2000メートルでした。目出度くGホースとなったミュージカル・ウェイ、続いてイタリアに遠征してリディア・テシオ賞(GⅠ)で3着、12月には香港にまで遠征して香港カップ(GⅠ)に挑戦して10着でシーズンを終えます。
この年の香港は日本からも大挙してGⅠフェスティヴァルに参戦した年で、香港カップにはアドマイヤムーン(武豊、2着)、ディアデラノビア(福永祐一、7着)も出走していましたから、武・福永の二人はミュージカル・ウェイを間近に観察していたはずです。

5歳になったミュージカル・ウェイは更に充実。この年は9戦し、シャンティーのリステッド戦、2連覇となったラ・クープ・ド・メゾン=ラフィット、そして遂に凱旋門賞開催でドラー賞(GⅡ)まで一気に3連勝してキャリアのピークを迎えます。このハットトリックも全て2000メートル。奥手のスタミナ馬という彼女の特質が開花することになります。
GⅡを制した後は、前年と全く同じローテーション。イタリアのリディア・テシオ賞(フランスの牝馬チャンピオン決定戦であるヴェルメイユ賞のイタリア版とでも言うべきもの)は前年と同じ3着、そして香港カップは順位を大きく上げて3着に食い込みます。この年は日本からシャドウゲイト(田中勝春)が遠征、ミュージカル・ウェイからは1馬身遅れの5着に終わりました。
今年のオークス馬の母は、現役時代には日本人騎手3人が共にレースを経験していましたが、皮肉にも先の本番では別のジョッキーがミッキークイーンを勝利に導きましたね。

ミュージカル・ウェイは6歳も現役を続けましたが、流石にピークは過ぎ、最後のシーズンは5戦して一度も入着することなく現役を引退、翌年(2009年)1月に繁殖牝馬として日本に輸出されました。これまでの繁殖成績は、
2010年 インナーアージ 鹿毛 牝 父ディープインパクト 中央競馬で14戦2勝 現役
2011年 トーセンマタコイヤ 青鹿毛 牡 父ディープインパクト 中央競馬で5戦3勝 山吹賞(中山2200メートル)、精進湖特別(東京2000メートル) 現役
2012年 ミッキークイーン
2013年 ルールブリタニア 鹿毛 牝 父ディープインパクト
2014年 鹿毛 牡 父ディープインパクト

今年は5年続いたディープに代わり、エンパイア・メーカー Empire Maker を配合したと聞いています。

大分長くなりましたので、2代母ムリカ Mulika (1987年 鹿毛 父プロシーダ Procida)に移りましょう。実はこの牝系は大生産牧場の出ではなく、アメリカからフランス、そして日本へと牧場が移り、主に産駒は競売に掛けられてオーナーも一定しないというスタイルが主体のようです。
ムリカはフランス産馬でフランスで走りましたが、8戦して未勝利。競走馬としては何の実績もありません。繁殖牝馬としても目立ったモノは無く、ミュージカル・ウェイの他ではノアイユ賞(GⅢ)で3着したマレー・リヴァー Murray River (1996年 鹿毛 せん 父エスプリ・デュ・ノール Esprit du Nord)がある程度。この馬もG戦は偶々走ったという程度で、主にローカルのハンデ戦が舞台でした。

足早に3代母ガゼリア Gazelia (1981年 鹿毛 父アイスカペイド Icecapade)。この馬もフランス産のフランス育ちで、26戦3勝。フランソワ・アンドレ賞というリステッド戦で3着というのが唯一の記録です。その産駒も残念ながら特記するような馬は出ていません。

4代母ドルス・ヤミンケ Dols Jaminque (1975年 栗毛 父ケネディー・ロード Kennedy Road)に至ると舞台はアメリカに移りますが、彼女も3戦して未勝利のまま繁殖に入り、フランスに転出することになります。彼女の産駒は10頭が記録として見出すことが出来ますが、主な活躍馬は、
フランスとアメリカで走り、フランスのダフニス賞(GⅢ)で2着したルデリック Luderic (1980年 牡)。南アフリカに輸出され、現地のGⅡ戦で2・3着したことのあるヤーマニック Jaamanique (1986年 牝)を挙げるに留めましょう。

最後は5代母のジャンボ Jambo (1959年 栗毛 父クラフティー・アドミラル Crafty Admiral)。アメリカ産で5戦1勝。勝鞍は2歳の時のものだそうです。競走成績は平凡でしたが、繁殖牝馬としてはドルス・ヤミンケの他にセクシミー Seximee とプラウド・パッティー Proud Pattie が重要。
セクシミーは何と言っても1974年の2000ギニー馬ノノアルコ Nonoalco の母として重要ですが、その娘バラカラ Baracala はアスタルテ賞のナヴラチロヴナ Navratilovna を産みましたし、現在は廃止されたGⅠ戦のサラマンドル賞に勝ったマクシモヴァ Maximova の母ともなりました。
このマクシモヴァからは直仔のセプティエーム・シエル Septieme Ciel がフォレ賞に、マクーンバ Macoumba がマルセル・ブーサック賞に勝った他、去年の仏ダービーと愛チャンピオン・ステークスを制して今季も現役のザ・グレイ・ギャッツビー The Grey Gatsby の3代母になっていることは去年のクラシック馬のプロフィールにも書いた通り。
更に、バラカラの娘で愛1000ギニー2着、英1000ギニー4着、アベイも2着でフランスのチャンピオン3歳牝馬に選出されたヴァリカイア Valikaia からは、2代を経てBCターフ・スプリントを制したリーガリー・レディー Regally Ready が出、短距離ファミリーとして枝葉を広げつつあります。

またジャンボの娘プラウド・パッティーは、コーチング・クラブ・アメリカン・オークスとマザー・グース・ステークスを制したフィエスタ・ギャル Fiesta Gal の母であり、フィエスタ・ギャルの孫に当たるイン・サメーション In Summation もビング・クロスビー・ハンデに勝ってGⅠ馬のタイトルを獲得しています。
プラウド・パッティーの別の娘ガイヤ Ghaiya は、アイルランドのメイトロン・ステークスを制したチャンジイ Chanzi を出しましたが、同馬が勝った当時はGⅢだったメイトロン・ステークス(1マイル)も、現在はGⅠ戦へと成長しています。

ファミリー・ナンバーは2-s。オーヴィル・メアを基礎牝馬とする牝系です。

 

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