日本フィル・第682回東京定期演奏会

ドイツから帰国して最初のコンサート通いは、日本フィルの2015-2016シーズンの締め括りとなる東京定期。未だ時差ボケが完全には解消していない状態で赤坂のサントリーホールに出掛けます。
これに先立って日フィルは先週土曜日に横浜定期を開催しましたが、その時間には私共は飛行機の中。これは知人に譲って聴いて貰いました。ドヴォルザークのチェロ協奏曲と交響曲第8番というプログラム、ラザレフとしては珍しい部類のレパートリーだったので聴きたかったのですが、止むを得ません。
(聴かれた知人によると大変に素晴らしかった、とのこと。ソロの辻本もオケもアンコールがあったそうで、会場も大いに沸いた由でした。)

さてラザレフ、と先に紹介してしまいましたが、7月はラザレフの首席指揮者としての最後の定期。と言っても暫くマエストロの音楽が聴けなくなるワケではなく、9月以降は桂冠指揮者兼芸術顧問として引き続き日フィルの指揮台に立ちますから、ご心配なく。
実際11月には東京で新たにグラズノフ・シリーズをスタートさせる一方で、横浜では東京で圧倒的な名演を披露したラフマニノフの第2を再演することになっています。更に来年6月には東京でグラズノフ第2弾、横浜でもショスタコーヴィチの続編たる第5交響曲が並びますから、これからも巨匠と日フィルの活動から目が離せません。

そして昨日の東京定期。同オケの創立60周年記念と銘打たれ、ラザレフが刻むロシアの魂SeasonⅢ・ショスタコーヴィチの第6回が以下のプログラムで行われました。
ショスタコーヴィチはシリーズとしては最終回に当たり、グラズノフは次回からスタートするシリーズの予告編でもあります。これを聴かずに何としょう。

グラズノフ/バレエ音楽「四季」
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第15番
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/千葉清加
 ソロ・チェロ/辻本玲

相変わらず見事な演奏会でしたが、ラザレフ御大の集大成とあってか、これまで以上に磨き上げられた圧倒的な名演だったと思います。
実はラザレフ、今定期の前に杉並公会堂で報道陣を集めた懇談会を開催していました。この内容は日フィルのホームページにも記載されていますし、演奏会当日にもチラシとして挟まれ、一般ファンの目にも触れています。

内容を読んで懐かしく感じたのは、これこそかつて日フィルが定期公演の前に開催してきたマエストロ・サロンの姿。現在でもプレトークの形で引き継がれていますが、サロンは指揮者本人が定期の聴き所を熱く語ったもので、いわゆる音楽評論家の解説とは一味二味どころか、全く違った興味深い内容がギッシリ詰まったものでした。
今回の懇談会では専らグラズノフがテーマだったようで、一目瞭然、これまでのグラズノフ感は180度変わってしまいます。
グラズノフと言えば達者な作曲家ではあるものの、インパクトが薄く、特にラフマニノフの第1交響曲を酩酊状態で初演してラフマニノフを極端な鬱状態に陥れたという悪い印象ばかり。しかし評論家の語る定説が偏見に過ぎないことを今回のラザレフ・トークによって思い知らされた次第。改めてグラズノフ・ルネサンスを起こさねばなるまい。思うにグラズノフは晩年、共産主義を嫌って亡命してしまいましたから、祖国ロシアからも、亡命先のフランスからも冷遇されているのが現状ではないでしょうか。

バレエ「四季」は以前のグラズノフ・イメージがあったとしても素晴らしい作品で、私も主にCDとスコアで楽しんできました。何でこの作品が余り演奏されないのか、と。
昨夜サントリーホールに響き渡ったのは、これまでの定評を覆すようなグラズノフの見事な音楽。例によってやや速目のテンポで、マエストロの指揮はグラズノフ愛に満ちたもの。客席を向いて“どうだ、素晴らしいだろ。ここを聴いてくれ!”と言わんばかりのポーズがいつもより多かったみたい。

ラザレフの解説を転用すれば、「ロシアの作曲家にとって、四季は冬から始まる。最後の楽章は豊かな実りの秋。その後には、また寒い冬が来る。冬から始めて、また秋の終わりにちょっと冬を予感させて、グラズノフは1年を締め括る。」
これって実に重要な示唆で、ロシア音楽を聴くとき、グラズノフの「四季」を聴くときには先ず意識しなければならないポイントなのです。

更にラザレフは続けます。
「グラズノフの作品の特徴として、弦を必ず他の楽器でサポートする。弦だけではなく、弦と木管、弦と金管など、必ず支えてくれる楽器がいるということ。」
この点を四季から一点だけ指摘すると、第3部「夏」の冒頭。ここは作品の中でも最も美しい個所で、コントラバスを除いた弦が美しいメロディーを歌います。しかしスコアを良く見ると、これをピッコロとファゴットが支えている。結果として音が重い層を成すのですが、これこそがグラズノフのオーケストレーションなのですね。
私はここ、チャイコフスキーなどに比べると音が濁っているように感じたのですが、それは欠点では無く、グラズノフ独特の美感なのであるということを初めて認識させられました。ラザレフや恐るべし。私にとってグラズノフの世界が一変した瞬間でもありました。

マエストロが、これからも知られざるグラズノフの世界を一つ一つ解き明かして行ってくれることに大いに期待しましょう。何しろ8つの交響曲があり、未完成の第9! もあるのですから。
個人的には、余勢を駆って弦楽四重奏曲の世界にも挑戦したいもの。5つのノヴェレッテという小品集は知っていますが、本格的な四重奏曲7曲は私にとって未知の世界。何処かのクァルテットが集中して取り上げてくれれば、何を置いても出掛けたいところです。

グラズノフに圧倒され過ぎましたが、後半のショスタコーヴィチも相変わらずスリルに満ちた名演でした。
細部には触れませんが、どの音、どの楽章にもラザレフの知識と経験が充満し、謎多き交響曲に説得力ある解釈を加えたもの。それが一層謎を深める、という矛盾すら孕んでいるように感じられます。

作品の最後、摩訶不思議な打楽器群のチャカポコから、トライアングルが突然飛び出すように、且つ意味あり気に一音を響かせると、音楽は弱音の世界に消えて行きます。この後の静寂。ラザレフは無音のリズムを刻みながら、何処までも続く虚空を指揮し続けて行くのでした。
これは聴衆をも完璧に指揮してしまうマエストロの指揮スタイル。どの位の時間、サントリーホールは静寂に包まれたのだろうか。そのあとの爆発的な拍手と歓声は想像を絶していました。

 

 

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