日本フィル・第303回横浜定期演奏会

昨日は冬晴れの土曜日、何処もかしこもイリュミネーションで飾られた横浜で、個人的には今年最後の演奏会を聴いてきました。
日フィルの横浜定期ですが、プログラムにも「横浜定期」の文字より「第9交響曲 特別演奏会」という活字の方が大きく躍っているほど。定期にも拘らず、普段は演奏会とは無縁と思われる人々も足を運ぶのは毎年の光景でもあります。
第9と言えば何を組み合わせるかも指揮者の嗜好が反映されるポイント、今年の人高関が選んだのはこれでした。

シベリウス/交響詩「タピオラ」
~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
指揮/高関健
ソプラノ/半田美和子
アルト/坂本朱
テノール錦織健
バリトン/堀内康雄
合唱/東京音楽大学
コンサートマスター/扇谷泰朋
フォアシュピーラー/九鬼明子
ソロ・チェロ/菊地知也

エッ、シベリウス? よりによって何でタピオラよ、というのが普通の感覚でしょ。シベリウスと言えば来年が生誕150年、その先取なんでしょうか。そう言えば先日発表された京都市響のスケジュールでは、2015年の京響第9はやはり高関の指揮で、組み合わせも同じシベリウス(2回あって1回はタピオラ、もう1回がフィンランディア)。こちらは生誕150年の年ですが、日フィルの場合は当て嵌まりません。単純にこの曲が振りたかったから、と考えるべきなんでしょう。

そのシベリウス、得意にしている日フィルでもいつも取り上げている作品ではなく、ここまで仕上げるには個々にもかなりの準備を経たと思われます。難しいアンサンブルですが、そこは同オケのDNA。ヒンヤリというよりは温かみの感じられるタピオラでした。
例によって高関は対抗配置を採用しますから、下手のコントラバス、上手のセカンド・ヴァイオリンがいつもの定期とは少し異なる響きを奏でていました。私の席ではセカンドの音が反対側の壁に反射、耳に届くときには妙なエコー効果を伴うのが気になりましたが・・・。

もっと短い作品であればそのまま第9という流れでしょうが、今回は休憩をシッカリ挟んで本番ということになります。
高関の第9は初体験だと思いますが、これまでの氏のベートーヴェン演奏から凡そのことは想像が付きますね。上記の様に対抗配置、ベーレンライター版使用、繰り返し(第2楽章のみですが)は全て実行、古楽器奏法の採用、速目のテンポ等々。
こうした事前予測は全て当たりでしたよ。

予想できなかったことを付け加えれば、ソリストを第3楽章が終わった時点で入場させたこと。もちろんここで拍手が入りますが、百も承知のことだったみたい。従ってコバケン氏のように第3楽章から間髪を入れずフィナーレへ、という流れにはなりません。
弦の編成は14型。冒頭のタタン、という動機も短く切り、所によってはノン・ビブラートで即音量を落とすスタイルで、一瞬ながら室内楽を連想させる響き。

高関は誰もが認める楽譜拘り派で、先ず頭の中でベートーヴェンが思い描いた第9の形を再構成する。その際には自筆スコアを筆頭に様々なエディションを比較検討する。
その上でリハーサルでは創り上げた第9像に可能な限り近付ける努力を惜しまない。徹底的に練り上げられた高関版第9は、指揮者がどこでどの様に振るかまでも計算され尽くされている様子。

旋律を歌わせるときは指揮棒を左手に持ち替える。第3楽章の歌の楽章では指揮棒は使わない。繰り返しの箇所は間違わないように左の人差し指で“1番カッコ!!”と指示する。
スフォルツァンドを強調する個所では拳を突き上げる等々、こうしたタカセキズムの最も良く出ていたのが第2楽章。トレ・バットゥーテ(3小節くくり)からクァトロ・バットゥーテ(4小節くくり)に代わる個所で、各パートの出を細かく指示して行く様子はチョッとした見ものでしたね。
楽章が進むにつれて音楽が軽くなっていく印象を持ったのは、オケも歌も次第に高関ペースに馴染んでいったためでしょうか。テンポが速いと言っても、例えば二重フーガの場面ではリーゾナブルなテンポに戻していましたし、この辺りは高関の徹底した譜読みが活きていると思いました。

毎年聴いている第9とはチョッと違うな、という感想を抱いた横浜の聴き手たち。それでも“やっぱり第9は良いじゃん”と拍手を続けてしまうのがベートーヴェンの偉大な所でしょう。
ということで今年の演奏会通いはこれで終了、皆様も良い年をお迎えください。

 

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