サルビアホール 第67回クァルテット・シリーズ

サルビアホール開館5周年、名物企画となったSQS5周年記念フェストの第3弾となるシーズン20、26日はその最後となるクァルテット・モディリアーニ Quatuor Modigliani の公演を聴いてきました。
実はこの日、私が会員である読売日響の9月定期とバッティングしており、熟慮の末サントリーホールは知人にピンチヒッターをお願いし、鶴見に出掛けた次第。私がそれとなく知っている読響会員の中にもサルビア常連氏が少なからずおられ、その方々も殆ど全てがこの選択だった様子。ロジェヴェン氏のショスタコーヴィチをふってでもクァルテットというのは、それだけサルビアのシリーズが支持されているということでもありましょう。

昨日登場したモディリアーニは、鶴見は初めてのお目見え。毎年5月の連休に東京国際フォーラムで開催されているお祭りには何度も出演しているようですから、既にお馴染みの聴き手も多かったと思われます。が、私はお祭りは苦手なので、恥ずかしながら初めて聴いたクァルテットでした。以下のプログラム。

シューベルト/弦楽四重奏曲第12番ハ短調D703「四重奏断章」
シューマン/弦楽四重奏曲第3番イ長調作品41-3
     ~休憩~
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96「アメリカ」

ところが事前に各所で案内があったように、今回は第1ヴァイオリンのベルナール・フィリップ Philippe Bernhard が肩および右上腕部の筋肉を傷めたため、4か月の間演奏活動を休止せざるを得なくなったとのこと。
代わってクァルテット・イザイ(現在は解散)で第1ヴァイオリン奏者を15年間務めた、ギョーム・シュートル Guillaume Sutre が演奏することになりました。団からは次のようなメッセージが寄せられていましたが、ソックリ転載しちゃいましょう。

日本の聴衆の皆様へ

このように、私たちの第1ヴァイオリン奏者であるフィリップ・ベルナールは肩の健康状態の問題から、数か月の間ヴァイオリンを演奏することを避けなくてはいけない事態となりました。しかしながら日本の大事なコンサートに、ギョーム・シュートルという素晴らしいヴァイオリン奏者を迎えて共に演奏できることを光栄に思います。彼は偉大なイザイ弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を15年にわたって務め、今回のプログラムでも数多い経験を持っています。イザイ弦楽四重奏団は私たちの最初の師であり、その第一ヴァイオリン奏者と共に日本ツアーをお届けできることは大きな喜びです。

フィリップの一日も早い回復を祈るとともに、皆様が私たちのコンサートを楽しんでくださることを願ってやみません。

深い親愛を込めて。

モディリアーニ弦楽四重奏団

私はこれを横浜楽友会のホームページで見たのですが、その下に第65回でディオティマが演奏したブーレーズの「書」は、プログラム掲載の 1a と 1b ではなく「Ⅱ」だったそうな。聴いて判るような作品でもないので“そうだったんですか”とコメントするしかありませんが、ここで訂正しておきます。

話をモディリアーニに戻します。
ご存知のように第1ヴァイオリンは弦楽四重奏の性格を決定付けるほど重要なパート。私が聴いた2016年秋版のモディリアーニは従って本来の状態ではありません。彼らを聴いたのも初めてでしたから、感想はあくまでもこの夜限りのものになります。あるいは的外れな指摘になるかもしれません。

ということで本来のモディリアーニはファーストが上記フィリップ、セカンドはロイック・リョー Loic Rio 、ヴィオラをローラン・マルフェング Laurent Marfaing 、チェロはフランソワ・キエフェル Francois Kieffer という面々。何せフランス人なので読み方は安定していないようで、例えば幸松辞典ではこれとは違った表記になっています。ここでのカタカナ表記は当日のプログラムによるもの。
詳しくは彼らのホームページで確認してください。

http://www.modiglianiquartet.com/

2003年に画家モディリアーニが好きな4人によってフランスで結成され、世界の名だたるホールで活躍を重ねてきた団体。もちろん様々なコンクールでの優勝歴もあり、師はイザイ四重奏団、レヴィン、クルターク、アルテミス弦楽四重奏団といったところ。
今回ピンチヒッターを務めたシュートルは、正に師匠のイザイQを率いていた名匠ですから、これ以上の「代役」はないでしょう。セカンド以下の3人にしても、師匠との共演は特別な感慨があったかも。本来のモディリアーニに極めて近い演奏だったと考えてよさそうですね。
彼らが何とも楽しそうに、時折ヒソヒソ話でもするように合図を送り合っていたのが印象的。その中でシュートル翁だけが憮然としているように見えたのは、世代の違い、かな。

鶴見のプログラムはドイツ物とドヴォルザーク。本来ならフランス作品を先ず聴いてみたいと思いましたが、これはこれでモディリアーニの特質が十二分に発揮されたコンサートと聴きました。
別の会場ではドビュッシー、ラヴェル、サン=サーンスというプログラムも取り上げたようで、同じ選曲による音源がNMLでも配信中ですから、これも予習して本番に臨んだという具合。

冒頭のシューベルトは小手調べ、とでも言いましょうか。ホールの、そして初めての鶴見の聴き手の反応を確かめるような趣。続いて演奏されたシューマン。これが実に素晴らしいものでした。フランスの団体のドイツ物と言えば、前々回のディオティマとも共通するのですが、ドイツの団体とは味わいが異なります。かつて指揮者ピエール・モントゥーがクァルテットでヴィオラを弾いていた頃、ブラームスの面前で演奏した際にブラームス本人から、“フランス人のブラームスは実に良い。ドイツ人の弾くドイツ音楽は重くっていけねぇ~”と言われたという話を思い出しました。
しかしシューマンの場合は形式の堅牢さというより、溢れ出るロマン的な情感が勝った音楽。全体にアウフ・タクトが支配しているような流れで、これが彼らの気品、高貴な表現にピタリとマッチしているのです。それでいてダイナミズムも充分。例えば第2楽章最後の変奏、4分の3拍子の激しい音楽では、セカンドとチェロが符点リズムを叩きつけるのに乗ってファーストとヴィオラが時間差のヅレを伴いながらテーマを弾き交わす。この辺りの迫力は手に汗を握るようで、4人の表情も真に豊か。
4人は左から順にファースト→セカンド→ヴィオラ→チェロの順に位置しますが、同2楽章の4分の2拍子による変奏などはチェロから順にフォルテで入る。それが恰も一つの楽器で演奏されているように感じられる響きの同質性も、また作品に見事な統一感を与えているのでした。

後半のドヴォルザーク、耳に胼胝ができるほど聴いてきたアメリカですが、こんなドヴォルザークらしくないドヴォルザークは初体験でした。スラヴ民族の土臭さは微塵も感じられず、むしろ上質な滑らかさと得も言われぬ芳香とでも言おうか、仄かに色香さえ漂うような芳醇な表現。
終楽章の出だしは誰しも、てっちゃんでもあったドヴォルザークがSLの疾駆を描いたのではないかと思えるほどですが、モディリアーニは速さも速し、まるで「テー・ジェー・ヴェー」に搭乗しているよう。こんなアメリカもありなんだ、それが正直な感想でした。これが違和感とはならないところが彼らの凄さでしょう。

ヴィオラの濃い目・ローランが告げたアンコールは、何とウェーベルンの「ラングザマー・ザッツ」(緩徐楽章)。1961年に遺稿から発見された初期作品で、これが何とも美しく艶めかしい逸品。モディリアーニの真骨頂を見た思いで、最高のプレゼントになりました。
手元に譜面が無いのでペトルッチのサイトで検索すると、残念ながらスコアは未だダウンロードできません。それでも当ページを順に見ていくと、非商業録音として、何とモディリアーニ自身のライヴ音源を聴くことが出来ました。↓

http://imslp.org/wiki/Langsamer_Satz_(Webern,_Anton)

ガーデナー・ミュージアムでの演奏記録のようで、最後には拍手も入っています。この遺作、CDもいろいろ出ていて、先のディオティマ盤もNMLで聴くことが出来ました。
両者を聴き比べてみましたが、ディオティマが10分チョッと掛かっていたのに対し、モディリアーニは8分台。確かにディオティマが大人しく淡々と弾くのに対し、モディリアーニはもっと情熱的に、激しい表現も。同じフランスの団体ながら、かくも違うというのがこの秋の楽しい体験となりました。

最後に、アンコールのウェーベルンが置かれることで、同じような長さでやはり単一楽章のシューベルト作品と額縁のような役目を果たし、音楽的にはシューマンにも通ずるところがあって、演奏会そのものが極めてバランス良く聴かれた、ということも付け加えておきましょう。

 

 

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