インキネンの首席指揮者就任披露演奏会

9月27日の火曜日、赤坂のサントリーホールで日本フィル創立60周年の一環、ピエタリ・インキネンの首席指揮者就任披露演奏会が行われました。
日本の七十二候で言えば、丁度「蟄虫戸を坏す」という頃。虫が冬ごもりのために穴に入って戸を塞ぐ季節ですが、何のことはない、気温も湿度も高く、未だ夏の盛りという首都圏。こんなときに戸を塞いではそれこそ蒸し焼きになってしまいます。

日フィルはシーズンの開始が9月で、このシーズンからラザレフに代わってインキネンが首席指揮者に就任します。首席指揮者として最初の定期は来年1月となりますが、その前に披露演奏会を開催しようという趣旨でしょう。今回インキネンの来日はこのコンサートのみ。
記念すべき演奏会のプログラムに選ばれたのは、インキネンが日フィルに初登場したことから傾倒してきたワーグナー。マエストロにとっても感慨深いコンサートになったことでしょう。

ワーグナー/楽劇「ジークフリート」抜粋
     ~休憩~
ワーグナー/楽劇「神々の黄昏」抜粋
 日本フィルハーモニー交響楽団
 指揮/ピエタリ・インキネン
 ソプラノ/リーゼ・リンドストローム
 テノール/サイモン・オニール
 コンサートマスター/木野雅之
 フォアシュピーラー/齋藤政和
 ソロ・チェロ/辻本玲

インキネンが日フィルを初めて振ったのは確か2008年の4月の横浜定期で、私もその場に居合わせていました。コンサートが終わってホワイエに出ると、事務局のヴェテラン氏から“インキネン、どうでした?”と聞かれたので、“この人、肩書は何でも良いから日フィルの指揮者として押さえなきゃダメですよ。他のオケに取られないうちに”と答えたもんです。
その時、やや興奮気味にアップした感想があります。ラザレフ→インキネンという希望は実現しちゃいました。

日本フィル・第236回横浜定期演奏会

この時直ぐにオファーがあったのでしょう。2度目のインキネンは翌2009年9月の東京定期で、当時は未だマエストロ・サロンが開かれていました。
この時のメインはショスタコーヴィチでしたが、マエストロはサロンでもワーグナーへの情熱を語っていました。既にサイモン・オニールとのレコーディングも済ませており、話題はワーグナー。こんな若いのに指環に挑戦しているのか、と意外な感を抱いたことも覚えています。
直ぐに発売となった横浜定期のライヴCDを買ったら、特典としてインキネンのサイン入り色紙も貰いましたっけ。ミミズが這ったようなサイン(失礼!)に“インキがネェんだ”と言われ、“イイキネンだ”と、馬鹿な遣り取りをしたこともありました。

あれから8年、ずっと追いかけてきたインキネンは、このひ首席指揮者として初めての指揮台に立ちます。もちろん演奏されたのは、ワーグナーの指環の中から最もワーグナーらしい2作品。
ご存知のようにワーグナーは、先ず「ニーペルングの指環」を構想するにあたり「ジークフリートの死」から台本執筆を初め、話を徐々に遡ってラインの黄金に至ります。
作曲は逆にラインの黄金から開始し、順次筆を進めてジークフリートの第2幕を終えた所で一服。このあとトリスタンと名歌手を完成させ、再びジークフリートの3幕から作曲を再開したのでした。

従って指環四部作とは言え、ジークフリートの第2幕までと第3幕以降との間には作曲法上相当な違いが生まれています。今回インキネンが取り上げたのは、後期スタイルで書かれた音楽の抜粋。有名なジークフリートの「森の囁き」は含まれていません。
ワーグナーのスコアを読み込んでいるインキネン、流石に重く、威圧するような従来型のワーグナー演奏は巧みに避けていました。もちろんスコアは膨大な楽器群を駆使しますから、普通に演奏するだけでもパワーは相当なもの。これを突き抜ける二人の主役の「声の力」にも圧倒されます。

この辺りの機微は、日フィルのホームページに紹介されている渡辺和氏のプラハ潜入インキネン直撃インタヴューに細大漏らさず掲載されていますから、それを読まれるのが一番でしょう。

http://web.japanphil.or.jp/sites/default/files/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%B3%E7%9B%B4%E5%89%8D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC2%20%281%29.pdf

ブリュンヒルデを歌うリンドストロームは米国カリフォルニア州生まれで、メトロポリタン歌劇場など世界中で引っ張り凧のドラマティック・ソプラノ。今シーズンはオーストラリアで、今回も一部披露してくれたブリュンヒルデを歌うことになっているそうです。
ジークフリートのオニールは、インキネントは切っても切れない中。既にワルキューレ第1幕で圧倒的な存在感を示してくれたヘルデン・テノール。前回はジークムント役でしたが、今回は息子のジークフリート役。歌唱が素晴らしいのはもちろんですが、自らが歌わない部分でも音楽に深く聴き入り、時に恍惚とした表情を見せていたのが真に印象的でした。

この日は演奏会の前、隣のブルー・ローズでレセプションが開かれていたとのことで、そこから大ホールに場を移してこられた名士たちも多数。いつもの定期とはかなり違った雰囲気が漂っていました。
当初はインキネン自らがプレトークを行うと告知されていましたが、マエストロは演奏に集中したいとのことで、当日はプログラム・ノートも担当した広瀬大介氏によるプレトーク。

演奏された抜粋は、ジークフリートは第1幕の前奏曲から始まり、第3幕でジークフリートがヴォータンを退けて岩山に登り、ブリュンヒルデを発見するところから最後まで通して。
また神々の黄昏も冒頭の和音から開始し、有名な夜明けとジークフリートのラインへの旅に繋がります。「夜明け」と「ラインへの旅」の間に位置する「と」に相当する二人の二重唱もたっぷりと歌われ、自然にジークフリート暗殺の場面に流れ込み、オケ単独でも聴かれる葬送行進曲。最後はブリュンヒルデの自己犠牲から感動的な終結までが通して演奏され、サントリーホールがバイロイトと化していくのでした。
日フィルのツィッターで紹介されていたベース・ドラムに野球のボールという小道具(打楽器)は雷の音を再現するためのアイディアで、実際にメトロポリタン歌劇場で使われているものだそうです。舞台裏で鳴らされたようですが、場所はジークフリートがヴォータンを退けた直後でしょう。席によっては聴き取り難かったかも。

最後の拍手喝采も相当なもので、あちこちでスタンディング・オヴェーションが見られました。
2017年5月、首席指揮者インキネンは東京定期で「ラインの黄金」全曲を演奏会形式で演奏予定。先にワルキューレも取り上げていましたから、この日の首席指揮者就任披露演奏会と併せて、ニーペルングの指環全体から部分的なれど全てを紹介することになります。
この後、今シーズンはブルックナー、ブラームス・ツィクルス、リストとドイツ音楽が続きますが、レパートリーの広いインキネンのこと、日フィルから新しい響きを引き出して行ってくれることでしょう。

 

 

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