残念凱旋門賞
凱旋門賞から中1週、シャンティー競馬場ではコンセイユ・ド・パリ賞 Prix du Conseil de Paris (GⅡ、3歳上、2400メートル)が行われました。以前はコンセイユ・ミュニシパル賞として知られてきましたが、その設立は凱旋門賞より遥かに古く1893年のこと。
フランスが未だ鎖国競馬を行っていた時代、パリ大賞典に続く第2の国際レースとして名声を確立していたのがこのレースで、言わば凱旋門賞の元祖でもありました。1920年に第1次世界大戦の終結を祝して凱旋門賞(当時はレース名をヴィクトワール賞にするという案もありましたが)が誕生すると、ミュニシパルは1週間後に移動。更に現在の2週後に設定されて今日に至っています。
凱旋門賞から中1週での同じ条件とあって、俗に残念凱旋門賞、あるいは断念凱旋門賞として知られているのはご承知の通り。
以上歴史にも触れちゃいましたが、今年は soft の馬場に6頭が出走し、凱旋門賞に参戦した馬が1頭出走してきたので、長々とレースの由来を紹介してきたわけであります。
その1頭が、凱旋門賞で6着と健闘した4歳馬のワン・フット・イン・ヘヴン One Foot in Heaven 。えっ、そんな馬出ていたっけ、なんて言っちゃいけませんヨ。確かにオッズは100対1でしたが、ハーザンド Harzand やマカヒキよりずっと前でゴールしていたのですから、ここは9対10の2倍を切る1番人気。既にGⅡ戦(シャンティー大賞典)に勝っているので4ポンドのペナルティーを背負ってはいましたが、他馬とは実績が違います。
英国から挑戦した3番人気(43対10)のバークシャー Berkshire が思い切った逃げを打ち、一時は後続に15馬身差の大逃げ。しかしさすがに力尽き、2番手を追走していた5番人気(18対1)のサクリファイス・マイ・ソウル Sacrifice My Soul が残り2ハロンで先頭。それも束の間、今度は2番人気(16対5)のティベリアン Tiberian があと300メートルの地点で先頭に躍り出ましたが、中団で待機していた本命ワン・フット・イン・ヘヴンが本領を発揮、ティベリアンを短首差ながら捉えて凱旋門賞6着が伊達ではないことを証明して見せました。
5馬身の大差が付いて、後方2番手から追い込んだ4番人気(23対5)のナウ・ウィー・キャン Now We Can が3着。勝馬と2着馬は首差でしたが、4ポンドの斤量差を考えれば2馬身ほどの実力差はあるでしょう。
勝ったワン・フット・イン・ヘヴンは、このレース6勝目となるアラン・ド・ワイヤー=デュプレ師の管理馬で、騎乗したクリストフ・スミオンは2勝目。歴代最多調教師は8勝のアンドレ・ファーブルです。
デビューが3歳と遅く、2戦目にリヨンで勝ってその年は3戦2勝。今期4歳時は、やはり2戦目にメゾン=ラフィットのリステッド戦に勝ってからはデドーヴィル賞(GⅢ)、シャンティー大賞典と3連勝し、サン=クルー大賞典でGⅠ戦に挑戦するも6着。秋はフォア賞(GⅡ)4着(と言っても4頭立て)をステップに凱旋門賞に参戦していました。これが通算で6勝目、G戦も3勝目となります。
注目したいのは、母がプライド Pride であること。プライドは2006年の凱旋門賞でディープインパクト(3着入線、後に使用禁止薬物が検出されたため失格)に2馬身先着してレイル・リンク Rail Link とは首差の2着だった馬。そのあと中1週でチャンピオン・ステークス(当時はニューマーケット競馬場)を制したあの牝馬です。ワン・フット・イン・ヘヴンは如何にも奥手、来年の凱旋門賞ではもっと上、5着以内に来たとしても驚くことじゃないでしょう。
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