読売日響・第566回定期演奏会

1月の読響定期は月末の31日、感想レポートは2月に入ってしまいました。この定期は同オケの2016-17シーズン最後となり、次回は4月と大分先のことになります。というのも、会場のサントリーホールが2月第1週から改修工事に入るためで、次にサントリーが使用できるのは9月に入ってから。
ということで、読響では2・3月の定期を前倒しして開催し、1月がシーズン最終回となった次第。2月に入ってからサントリーホールではプロ・オケの定期は予定されておらず、この会は改修前のサントリーで行われる最後の在京オケによる定期公演でもありました。

その意味では現ホールの見納め、聴き納めコンサート、演目もそれに相応しく大編成の1曲が選ばれました。

メシアン/彼方の閃光
 指揮/シルヴァン・カンブルラン
 コンサートマスター/長原幸太

「彼方の閃光」は Eclairs sur l’au-dela というタイトルで、メシアン最後の大作。ニューヨーク・フィルの委嘱から4年がかりで完成しましたが、メシアンは世界初演を聴く前に他界。正にメシアンの白鳥の歌と言えるでしょう
日本初演は世界初演から3年後に故・若杉弘指揮の都響で行われましたが、私はこの演奏は聴いていないので、今回が初めてのナマ体験です。

折角の機会なのでスコアを取り寄せて予習しようかとも考えましたが、アルフォンス・リュデュック社から市販されているスコアは2分冊から成る大著で、アカデミアを通せば各部共に31,450円+消費税也。何と6万8千円もする代物で、とても素人が手を出せる世界じゃありません。因みに第1曲から第6曲までが第1分冊、残りが第2分冊なのだそうです。
全11楽章のタイトルは以下の通り、「11」という数字にも意味がありそうですが、それは後程。

第1楽章 栄光あるキリストの出現
第2楽章 射手座
第3楽章 コトドリと神と婚姻した都
第4楽章 刻印された選ばれし人々
第5楽章 愛の中に棲む
第6楽章 トランペットを持った7人の天使
第7楽章 神は人々の目から涙をあまさず拭いたもう
第8楽章 星たちと栄光
第9楽章 生命の樹に棲む多くの鳥たち
第10楽章 見えざる道
第11楽章 キリスト、天国の栄光

私としても改修前最後となるサントリーホールに入ると、舞台上には乗り切らないほど多数の椅子が並べられています。更に客席には収録用のテレビ・カメラも。それもそのはず、メシアンとしても最も大きな編成で書かれており、特に異様と思えるのがフルート属10本(フルート6、ピッコロ3、アルト・フルート)、クラリネット属10本(クラリネット6、Esクラリネット2、バス・クラリネット、コントラバス・クラリネット)という壮観でしょう。
管楽器の尋常でない多さ故か、あるいはスコアに指示でもあるのか、定位置からはみ出したファゴット属(ファゴット3、コントラファゴット)が舞台下手、いつもならホルンが占める位置に、ホルン手前に並んでいるのに驚かされます。もちろん打楽器はウインドマシーンからムチまで多種多様、恐らく打楽器奏者は13人か14人が待機していたと思います。何ともコストの掛かる作品で、余程のオーケストラでないと取り上げるのは無理でしょうね。
幸いこの日はチケット完売だったそうで、事務局としては一安心だったかも、余計なお世話かな。

しかしこの大編成、フル稼働するのはほんの僅かで、例えばコントラバスは第8楽章で初めて登場し、あとは第10楽章に短時間参加するだけ。ほとんどが待ち時間という気の毒な、あるいはラッキーな状況。
弦の使い方も変わっていて、全く出番のない楽章もいくつかありますし、最終楽章の聴かせ所でも全プルトが演奏するのはファースト・ヴァイオリンだけで、セカンドもヴィオラもプルトの裏は完全に休みの様に見えました。

記録のために各楽章の特徴をプログラム誌の解説(佐野光司氏)から引用しておくと、第1楽章は管楽器のみで演奏される長大なグレゴリオ聖歌風のコラール。第2楽章もコラールで始まり、初めて参加する弦はグリッサンド。メシアン特有の鳥が登場し、同じパターンの繰り返し。
第3楽章は、タイトルの様にコトドリの独壇場。第4楽章も主役は鳥で、個人的には支離滅裂な印象。第5楽章は作品の中核を成す音楽で、僅かに響く打楽器に乗って全編弦楽器によるゆったりとした音楽。
第6楽章はタイトルとは矛盾してトランペットは一切登場せず、大太鼓の強打3発がフレーズの節目。第7楽章では中間部で吹かれるフルート・ソロ(ヒバリ?)が印象的で、倉田優の妙技! 第8楽章でやっとコントラバスが登場し、低音楽器と甲高い高音管楽器の対立が長々と展開。
第9楽章は全体でも際立って特徴的で、10本づつのフルートとクラリネットが25種類もの鳥の歌を競演。スコアを見ていないので判りませんが、恐らく統一された拍子は無く、指揮者は指で数字を指示するだけ。第10楽章はトゥーランガリラ交響曲を連想させる楽章で、動的な短い音楽。最後の第11楽章は第5楽章と同じく弦楽器のみの静謐な世界で、トライアングルが微かに加わるのみ。

以上、全体的には「息を殺して」聴くような音楽が多く、解説によれば、メシアンの目には「彼岸」が映っていたそうな。作曲者は日本の音楽を引き合いに出し、「静的」で「彼岸を、永遠を信じているから」と、作品の東洋的な性格を語っていた由。
しかし、恐らく全曲の核心的な部分はキリスト教世界でしょう。該当するのは第1・5・6・11楽章で、この4つの楽章には鳥が出てきません。第5楽章と第11楽章が相似形を成し、この二つの弦楽器楽章に対峙するように第1楽章は管楽器のみという編成も、全体の構図を配慮したからに他なりますまい。
従って作品のタイトルである「閃光」とは「神」のこと、と理解しても良いのじゃないでしょうか。

メシアンにはアメリカのオーケストラから委嘱されて作曲した大作が3曲あります。即ちボストン響のための「トゥーランガリラ交響曲」、ニューヨーク・フィルのための「峡谷から星たちへ・・・」、そして閃光。
トゥーランガリラが10楽章、峡谷からが12楽章であるため、閃光は敢えて11楽章にした、というのもメシアンならありそうなこと。これでアメリカ繋がり三部作の筋が通るし、奇数、特に素数が好きだったというメシアン趣味も説明することが出来ます。

そもそもメシアンには数字に拘る癖があって、3楽章(神の降臨のための3つの小典礼、3つの歌)、5楽章(5つのルシャン、聖霊降臨祭のミサ)、7楽章(クロノクロミー、7つの俳諧、アーメンの幻想、栄光の御体、オルガンの書)、9楽章(主の降誕、ミのための詩)、13楽章(鳥のカタログ)など奇数楽章作品には代表作がズラリ。最後に唯一つ無かった11楽章作品を残すことで、自身が納得したのじゃないでしょうか。
もちろん偶数楽章にも傑作が多く、トゥーランガリラ交響曲(10楽章)、峡谷から星たちへ(12楽章)、世の終わりのための四重奏曲(8楽章)、ピアノのための前奏曲集(8楽章)、嬰児イエスにそそぐ20の眼差し(20楽章)、イエス・キリストの変容(14楽章)などが挙げられます。いずれにしても多楽章というのが共通点。

これまで私は閃光をいくつかの音盤で聴いてきましたが、この日のカンブルランは極めて遅いテンポを採用し、例えばラトル盤はほぼ60分で演奏しているのに対し、今回は80分以上要していました。
特に第1・5・11楽章の遅さは天国的。それでも聴き手の耳をシッカリ捉えて離さなかったのは、メシアン指揮者カンブルランの面目躍如でしょう。彼のブルックナーが快速調なのとは対照的。
流石にカンブルランの薫陶を受けた読響も良くメシアン流を咀嚼して名演。何より出番の少ない時間をジッと絶える姿は感動的ですらありました。

 

 

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