日本フィル・第688回東京定期演奏会

9月をシーズン・スタートとカウントしている日本フィルは、3月が春季シーズンのスタートとなります。
また、このシーズンは定期演奏会の会場であるサントリーホールが改修工事中のため、7月までの5回は異なるホールで開催されるのが特徴。3月定期は池袋の東京芸術劇場が会場でした。

チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番
     ~休憩~
チャイコフスキー/マンフレッド交響曲
 指揮/小林研一郎
 ピアノ/金子三勇士
 コンサートマスター/木野雅之
 フォアシュピーラー/千葉清加
 ソロ・チェロ/辻本玲

池袋は湘南新宿ラインで乗り換え無し、20分チョッと利便性は良いのですが、運行本数が決して多くはないので、何となく足が遠のいている街。久し振りの池袋に若干戸惑いも覚えました。申し訳ないけれど、私は余り好きな駅ではありません。

芸術劇場大ホールも、サントリーホールとの比較が一つの聴き所でしょう。赤坂に比べて響きが冷たい、というのが私の印象で、テュッティでのオーケストラ像が拡散し、全体として響きにやや纏まりが欠ける嫌いがあります。
こうした感想、席によって、また聴く人によってかなり異なるというのも今回改めて感じたことで、私が聴いた席(1階7列中央)ではピアノの音が弱音を含めて細部までクッキリとスリリングに楽しめたのに対し、2階の正面で聴かれた方はピアノが汚いという意見を述べていました。これほど正反対の聴後感が持たれるホールも珍しいのじゃないでしょうか。
ピアノの音が濁る云々は演奏家への好み、取り上げられた作品にもよるでしょうから、これが結論という訳ではもちろんありません。

さて今回は桂冠名誉指揮者・小林研一郎のオール・チャイコフスキー・プログラム。メインが悲愴や第5ではなく、演奏機会の少ないマンフレッドというのが如何にも東京定期。コバケンは熱烈なファンがいる一方、苦手にしている会員も多いマエストロですが、このプログラムなら後者でも聴いてみたいと思うのじゃないでしょうか。
実は私もその一人で、出掛ける前はやや気が重かったのですが、実際に聴いてみて大いに感服、納得の一夜でした。

前半は、名曲過ぎて定期演奏会では逆に聴く機会が少ないピアノ協奏曲第1番。はてこの前は何時、誰の演奏で聴いたっけと記憶を呼び覚まそうとしましたが、思い当たりません。そこで自分のブログ内を検索すると、日フィルの九州公演(インキネン)が最も新しく、その前も日フィル横浜定期で同じコバケン。ソロは共に清水和音でした。
今回は、先月日フィル九州公演を広上淳一とリストの1番で共演して回ったばかりの金子三勇士。残念ながら今年の九州は諸々の事情で参戦できませんでしたが、伝え聞くその成功の一端をチャイコフスキーで垣間見ることが出来ました。

私はほぼ2年おきに金子と遭遇していて、初めて聴いたのは彼が未だ学生時代(東京音大)だった2010年、東フィル定期でのショパン1番でした。その時は瑞々しい感性に将来性を感じたもの。
2013年にはカンブルラン/読響定期でバルトーク3番、更に2015年にも準メルクル/読響でシューマンを聴いてきました。
従って今回のチャイコフスキーは4曲目でしたが、九州での経験を活かしてそのピアニズムは更にスケール・アップ、真に堂々としたチャイコフスキーを披露します。

何より素晴らしいのは、各小節の第1音をクッキリと浮き立たせ、音楽に強烈なリズム感を植え付けていくこと。これが何人かの聴き手には音の汚さと聴こえたようですが、メリハリの無い只流れるだけの美しいチャイコフスキーに比べれば、遥かに大きな音楽として聳え立ってくるのが実感できます。
些細なことかもしれませんが、第1楽章序奏を締め括る第103小節目の pp によるレ・ソ・ド・ファの4つの音。ここをスコアにはないスタッカートで一音一音を際立たせて主部への繋ぎとする。これが先人達から学んだことなのか、金子自身の創意なのかは知りませんが、この若きヴィルトゥオーゾが単なるピアノ弾きではなく、更に大きな音楽家に育つ可能性を秘めていることに気付かされます。
フィナーレの最後、ポコ・ピウ・モッソでの圧倒的なパッセージにしても単にテクニックを披露するのではなく、協奏曲全体の流れを良く咀嚼した上での高揚感。この辺りも金子の著しい心境に耳が踊りました。

コバケンのバックも流石。前回横浜での清水との共演でも触れましたが、冒頭ヴァイオリンとチェロのユニゾンによる雄大なテーマを、スコアでは休みの第2ヴァイオリンを総動員して合奏に参加させたり、第2楽章のチェロ・ソロを第1プルトの二人ではなく辻本ソロに変更するのは小林研一郎流。
漠然と聴いていては見落としてしまうような作品の「肝」にも、マエストロの配慮が行き届いた仕上げを満喫します。通俗名曲に堕し勝ちなピアノ協奏曲も、改めて定期演奏会の舞台で味わうことの意義を認めざるを得ません。ピアノの影で良く見えませんでしたが、コバケンは指揮台にスコアを準備してはいたものの1ページも開けることはなかったようですね。これもソリストへの配慮、心優しい小林研一郎の人柄でしょうか。

後半は久し振りにナマ演奏で聴いたマンフレッド交響曲。私はラザレフ/日フィル以来と思いますが、確かラザレフは読響でも取り上げていて、それも聴いた覚えがあります。
更に古くは小林研一郎本人も振っていたはずですし、日フィルでは渡邉暁雄の指揮も聴いた記憶がありました。

この番号の無い交響曲は、ベルリオーズが二度目、そして最後となったロシア楽旅の際に演奏した「イタリアのハロルド」がロシア音楽界に巻き起こしたセンセーションを引き金とした大曲。感激したバラキレフがベルリオーズ本人に提案したものの、既にベルリオーズは死を直近に控えた老大家。
バラキレフ自身は大曲を創作する意欲も才能も無く、白羽の矢を立てたのがチャイコフスキーだったという曰くある標題交響曲。バラキレフは作品の設計図を細かく引いてチャイコフスキーに指示、苦心の末に出来上がった顛末はオイレンブルク版スコアの解説(ジェラルド・エイブラハム)に詳しいけれど、今入手できるスコアには掲載されているのかしら。

イタリアのハロルドがベースになっているだけあって、イデー・フィクスを用いた作品の構成はベルリオーズそっくり。恋人アスタルテは亡霊として登場するので弦楽器は弱音器付きで奏される、というのはマエストロ・サロンでラザレフが解き明かしてくれた重要なポイントでしょう。
滝の飛沫を描写するようなハープとヴァイオリンの掛け合い。夕暮れを暗示させるように8回鳴らされる鐘(今回は舞台裏ではなく、ステージ上に置かれた金をソッと叩いて演奏)など、ストーリーを連想させるアイディアも豊富な交響曲で、作品自体が小林研一郎の指揮スタイルにはピタリと当て嵌まる作品なのです。

最後に登場するオルガンは、マンフレッドが潔く死を受け入れるシーン。木管、次いで弦がコラールをカデンツァ風に終止させ、低弦の歩みに乗ってマンフレッドの魂が昇天して行く。
最後が pp で静かに閉じられるのがコバケン的でないと思われるファンもいるでしょうが、ここに至る壮大な展開は如何にもマエストロ向き。定期でなければ取り上げない一品でしょうが、実際に耳にしてみれば、何故もっと頻繁に演奏しないのかと不思議に思うほどでした。

このあと日フィルの東京定期は、4月が渋谷のオーチャード・ホール、5月と6月は古巣の上野・東京文化会館と続き、7月は再び東京芸術劇場。ホール自体の聴き比べも楽しみな春季シーズンとなります。

 

 

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