2017桜花賞馬のプロフィール
遂に今年もクラシック・シーズンに突入してしまいました。例年通りクラシック勝馬の血統紹介は続けていきたいと思います。何しろブログの標題が「クラシカル・ウォッチ」ですからね。
当初は英国のクラシック馬だけを扱っていましたが、現在はヨーロッパ3国に加えて日本も。そこでシリーズ第一弾は桜花賞ということになります。
今年の桜花賞勝馬はレーヌミノル。チョッと聞くと牡馬だか牝馬だか迷うような命名ですが、レーヌはフランス語で女王のことですから、「実女王様」というような意味でしょうか。私にはレーヌミノルが強かったというより、人気になった馬が評判ほどではなかったという印象を受けましたがどうでしょうか。
ということで、レーヌミノルは父ダイワメジャー、母ダイワエンジェル、母の父タイキシャトルという血統。
牝系に入る前に先ずは父から。ダイワメジャーはご存知の通り皐月賞を制したクラシック馬で、他に天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ2回、安田記念のGⅠ勝ちがあります。1600メートルから2000メートルを得意とした馬と言ってよいでしょう。
種牡馬としてもGⅠホースを出していますが、クラシックに勝ったのはレーヌミノルが初めて。6年目の産駒での達成でした。
ダイワメジャーのクラシック候補と言えば、先ず去年の桜花賞で1番人気になりながら4着に敗れたメジャーエンブレムを思い出します。このとき騎乗していたクリストフ・ルメール騎手は今年も大本命に騎乗しながらダイワメジャーの娘に敗れたのですから、因縁というか皮肉に思えてしまいました。
父についてはこれだけにして、早速牝系を見ていきましょう。いつもは母から順に遡って考察していきますが、今回は逆に源流から下りながら探っていくことにしました。
というのも、レーヌミノルが属する2号族Cというファミリーは、近年ではGⅠ級の活躍馬に恵まれていません。この牝系のGⅠホースは、今世紀に入ってからレーヌミノルが未だ5頭目という状況。オルタンシア Ortensia がナンソープ・ステークスを制したのが直近の事例で、それも2012年のことなのです。
日本のGⅠ勝馬に絞ってみても、レーヌミノル以前にGⅠ戦に勝ったのは1991年の有馬記念に勝ったダイユウサクのみ。今年の桜花賞が2頭目という寂しさなのですね。
そもそもブルース・ロウが牝系を分類した時は、バートン・バーブ・メア Burton Barb Mare と呼ばれる基礎牝馬を起点とする2号族。2というナンバーが振られたのですから1号族の次にクラシックでの活躍馬が多かったのは事実。
その後ボビンスキーが各号を細分化し、2号族Cはバートン・バルブ・メアの娘アタランタ Atalanta (1769年生)を出発点にして分岐させたのです。
しかしこのファミリーからは続々と名馬が誕生し、ボビンスキーは更に2-CからD・E・F・G・H・I・J・K・L・Wを分けました。QとVは最初から存在しないので、アルファベット無しからWまで全部で21の支部に分けた内、何と半部の11もの支部が2-Cから出発していることになります。
つまり優れた母は直ぐに独立してしまうため、年代を経る毎に大元のファミリーから活躍馬が減っていくのは道理。こうした理由もあって、最近は2-Cからの名馬が減っているのでしょう。
次にダイユウサクとレーヌミノルの関係を見ると、2頭に共通する祖先は1839年生まれのトゥワイライト Twilight という牝馬。トゥワイライト自身は基礎牝馬アタランタからは5代を経ています。
ダイユウサクから見れば12代母、レーヌミノルからは14代遡るのがトゥワイライトで、これだけ離れれば近親関係にあるとは言えません。
またレーヌミノルと最も近い関係にあるGⅠ級の勝馬を探すと、こちらも7代母ヤンキー・メイド(1919年生まれ)にまで遡る必要があります。ヤンキー・メイドにはボストニアン Bostonian とビーコン・ヒル Beacon Hill という全兄弟の産駒があり、ボストニアンはプリークネス・ステークスを、ビーコン・ヒルは真夏のダービーとして知られるトラヴァース・ステークスを制しました。もちろんG戦システムなど存在しない時代です。
更にヤンキー・メイドの娘たち、ブラック・シープ Black Sheep から5代経たゼロ・マイナス Zero Minus という牝馬が1986年のアルシバイアデーズ・ステークスに優勝。尤も当時このレースはGⅡの格付でしたから、厳密な意味ではGⅠ馬とは言えませんが・・・。
そしてもう1頭の娘リマ Lima が、レーヌミノルの6代母に当たるのです。GⅠ級の活躍馬という点だけに絞れば以上でお仕舞ですが、それではプロフィールにはなりませんので、もう少し細かい記録を繙きながら時代を下っていくことにしましょう。
リマが登場した所で、レーヌミノルの5代母プリンセス・リタ Princess Rita (1949年 鹿毛 父カウント・スピード Count Speed)を紹介しましょう。
アメリカ産のプリンセス・リタは、2歳時6戦2勝。ハリウッド・ラッシー・ステークス(6ハロン)という重賞で3着に入りました。このレース、ランダルーシー・ステークスと改称されて今日まで継続されていますが、一時期はGⅡやGⅢに格付けされていたものの、現在はグレード・レースからは除外されてしまいました。もちろんプリンセス・リタの時代はGシステムではありません。
彼女は3歳になって直ぐ、日本に繁殖牝馬として輸出されます。この辺りの経緯は当時の資料を探す必要があり、私は詳しいことを知りません。
いずれにしても3歳から繁殖入りしたプリンセス・リタは20年以上に亘って産駒を出し続け、日本における2-Cファミリーの枝葉を広げていきます。
ほぼ毎年のように仔だしに恵まれた同馬、単調になるのを覚悟で1頭づつ見て行くことにしましょう。
初産駒(1953年)はミスゴショノソオという牝馬で10勝。京都の3歳特別(6ハロン)に勝ち、阪神3歳ステークスで3着、後に中京記念でも3着に入って繁殖に上がります。
彼女の仔、孫では特別に3勝してシンザン記念で3着したタニノタマナー、特別2勝で京都記念・秋3着のタニノアポロ、長距離の特別に3勝し、中でも嵐山特別(京都の3000メートル)に勝ったタニノルーラーが出ました。タニノタマナーのせん馬タニノキャスターは粟島特別(新潟1400メートル)を2連覇。
1955年のコクホーは牡馬。4勝して阪神の短距離ハンデ、京都の特ハン(1600メートル)が主な勝鞍。
1956年チカラリュウは特別勝ちこそありませんが、直子では5頭、孫では4頭が特別に優勝。中では萩特別(京都1400メートル)に勝ったキームスクインが桜花賞でシーエースの4着に入り、この牝鶏で最初のクラシック入着馬となりました。
またチカラリュウの牡駒ハジメリュウは小倉の北九州記念(2000メートル)を制し、中京のCBC賞でも2着。
更にチカラリュウの牝馬ハジメローズはアイリス賞(京都1400メートル)に勝ち、翌年の桜花賞ではアチーブスターの2着に食い込んでクラシック馬券に絡みます。残念ながらハジメローズは繁殖牝馬としては失敗でした。
1957年生まれのララミイも牝馬で、特別に2勝して神戸杯で3着したウェルスワールド、特別3勝のタマモニシキ、天ヶ瀬特別(京都2000メートル)に勝ったシャダイアローがいます。
シャダイアローからは「グリーン」と名の付く4頭の牡馬たちが何れも特別に優勝。中でもグリーンサンダーは福島・中山・阪神・京都でダートの特別に合わせて6勝し、地方競馬に転出してからも佐賀記念を制するなどダート巧者として名を残しました。
続く1958年生まれも牝馬で、アリゾナホープ。アリゾナホープは桜花賞でも浦和の桜花賞を制した馬で、その産駒からもSTV杯を2度勝ったミスコマツなど特別勝馬が2頭、ミスコマツの仔ライジングレディーも短距離の特別に3勝しました。
アリゾナホープの孫では、阪神の猪名川特別(2200メートル)など特別に4勝したタマパレードもいます。
そして1959年に生まれたのがレーヌミノルの4代母ヤマトタチバナ(鹿毛、父フランクリー Frankly)ですが、彼女については後述しましょう。
プリンセス・リタの子供は未だ続き、1960年には牡馬ヤマブロンコが生まれます。この馬は尾張ステークス(中京1700メートル)、中距離ハンデ(中京1800メートル)、特ハン(京都2000メートル)、平安ステークス(京都2000メートル)と特別に4勝。
この後は特別レースに無関係だった3頭を挟み、1964年生まれのカロリーヌ。彼女の娘チェリージョオーは尾花特別(京都1400メートル)と卯の花賞(阪神1600メートル)に勝ち、その牡駒チェリータイガーもライラック賞(札幌ダート1200メートル)に勝っています。
更に間が空いて1968年生まれのセビリアは、直仔フェリプリンセスが羊ケ丘特別(札幌ダート1500メートル)に勝った他、孫の世代から特別勝馬3頭が出ました。
中でもユウトウセイは真に優等生で、京都のトパーズ・ステークス(2000メートル)連覇を含め特別に7勝したほか、7歳時には京都記念(GⅡ、京都2200メートル)を制してファミリー久々の重賞勝馬となりました。
プリンセス・リタの最後の娘となった1970年生まれのヒラルダからは、鹿野山特別(中山1600メートル)に勝ったブロークンヒルが出ています。
そして、最後の産駒ローヤルムーンは牡馬。同馬が生まれた時、プリンセス・リタは24歳の長寿に達していたことになります。ローヤルムーンはガーベラ賞(東京1800メートル)、米山特別(新潟1400メートル)、苗場特別(新潟1600メートル)と特別に3勝し、関屋記念の3着で有終の美を飾りました。
ここで書き残したヤマトタチバナに移りましょう。彼女も平場と障害を合わせて12勝もした堅実な馬で、3歳特別(阪神1400メートル)、はまなす賞(札幌2000メートル)、そしてCBC賞(中京1800メートル)にも優勝。
繁殖に上がってからは3頭の特別競走勝馬の母となりました。即ち、端午賞(京都1900メートル)のパナヤマト、嵐山特別(京都3000メートル)と中距離特別(阪神2000メートル)に勝って京阪杯で3着したフジタチバナ、ジャスミン賞(中京1700メートル)と摂津特別(阪神ダート1900メートル)のカミノロウゼンです。
カミノロウゼンには白百合賞(福島1000メートル)と欅特別(東京1400メートル)に勝ってBSN坏で3着したエフテーエリザベスという娘がおり、金華山特別(福島ダート1000メートル)に勝ったウエストメリーという孫がいます。
ヤマトタチバナの娘でレーヌミノルの3代母に当たるのが、ギフトプリンセス(1976年 鹿毛 父テスコ・ボーイ Tesco Boy)。彼女は未出走でしたが、ラジオたんぱ3歳牝馬ステークス(GⅢ、阪神1600メートル)を制したプリンセススキー(1985年 鹿毛 父ロイヤル・スキー Royal Ski)と、下北半島特別(函館1200メートル)に勝ったマキシムプリンスという2頭の特別・重賞勝馬がいます。
このプリンセススキーこそがレーヌミノルの2代母で、彼女には稲荷特別(京都1800メートル)に勝ったジャパンスキーと、別府特別(小倉1200メートル)・仲秋ステークス(阪神1200メートル)・大原ステークス(京都ダート1400メートル)に勝ってシリウス・ステークス(GⅢ、阪神ダート1400メートル)で3着したフサイチヒロシの他に、レーヌミノルの母ダイワエンジェル(2000年 栗毛 父タイキシャトル)がいます。
ダイワエンジェルは現役時代、増沢末夫が管理、3歳の中山でデビューして3着。そのあと4戦して未勝利、2着1回3着1回でしたが、4戦目の未勝利戦で骨折して競走を中止。そのまま繁殖に上がりました。母としての成績は以下の通り。
2006年 ダイワグロリア 牝 栗毛 父ダイワテキサス 中央と地方で7戦未勝利
2007年 ダイワアセット 牡 黒鹿毛 父スペシャルウィーク 中央で9戦2勝
2008年 ダイワジョンクック 牡 栗毛 父スペシャルウィーク 中央と地方で8戦未勝利
2009年 ダイワデッセー 牝 栗毛 父スペシャルウィーク 中央の平場と障害で25戦3勝 フローラ・ステークス(GⅡ)3着
2010年 ダイワストリーム 牝 栃栗毛 父ダイワメジャー 中央で20戦3勝 カーネーション・カップ(東京1800メートル)
2011年 ダイワブレス 牝 栗毛 父ダイワメジャー 中央で8戦1勝
2012年 ダイワプロパー 牝 栗毛 父ダイワメジャー 中央で18戦2勝
2013年 サトノマイヒメ 牝 栗毛 父ダイワメジャー 中央で11戦1勝
2014年 レーヌミノル 牝 栗毛 父ダイワメジャー 2017年の桜花賞馬
以上、毎年のように仔出しが良く、牝馬が多いのは5代母プリンセス・リタに似ているように思われます。
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