第363回・鵠沼サロンコンサート

5月は会員になっているオーケストラの定期演奏会以外には行きたいコンサートが少なく、演奏会ジャンルの記事は余り書けそうもありません。本当の音楽ファンは連休中も連日のようにフォーラムの祭典に出掛けたのでしょうが、私は最初から戦意も湧かず、昨日の鵠沼が今月最初の演奏会でした。
出来るだけ通うように心がけている鵠沼サロンコンサート、先月のバイロイト祝祭ヴァイオリン・クァルテットは都合でお休みしましたが、3月以来2回ぶりのサロンです。

フランシスク/クーラント、パヴァーヌとブランル(J.B.ワイデンソール/M.グランジャニー編)
J.S.バッハ/シャコンヌ(D.オーウェンズ/吉野直子編)
ブラームス/間奏曲変ホ長調作品117-1
ブラームス/ラプソディ変ホ長調作品119-4
     ~休憩~
ブリテン/ハープのための組曲作品83
グランジャニー/「子供の時間」組曲作品25
ルニエ/黙想
トゥルニエ/朝に 作品39
 吉野直子

この回、当初はチェコのハープ奏者ヤナ・ポウシュコヴァが出演する予定でしたが、都合により来日そのものが中止。平井プロデューサーによれば、ダメ元で吉野氏に声を掛けたところ、快く引き受けて頂いての開催となった由。
いずれにしてもハープ・ソロのリサイタルというのは余り聴く機会も無く、ましてや日本を代表する第一人者の演奏を間近で聴ける(もちろん見られる)絶好のチャンスと思って迷わずチケットを予約したものです。

かなり早めに会場(レスプリ・フランセ)に着いたのですが、既に最前列などは席が埋まっている状態。彼女の人気と期待の大きさが実感として伝わってきました。
今回のプログラムは一瞥して分かるように、前半はアレンジもの、後半がハープ・ソロのオリジナル作品で構成されています。私は特別なハープ・ファンでもないので、特に後半は初めて聴く作品ばかり。NMLなどで摘まみ聴きして出掛けたのですが・・・。

鵠沼サロンコンサートはプログラムに曲目解説などは無く、平井氏の簡潔な作品紹介で始まります。プロの音楽評論家などの視点とは違って、アマチュア的談話である所が私には気持ち良く耳に入ってくるのでしょう。
最初に演奏されたフランシスク Antoine Francisque (1575-1605) についてはほとんど情報が無く、豊臣秀吉の頃の人、というのが歴史家平井氏の面白い所。プログラムに書かれた生没年を計算すると、30歳で亡くなった作曲家ということになりますね。
今回演奏された作品は、もちろんハープのオリジナルではなく、恐らくリュートか何かのための書かれたものを先ずワイデンソールという人が、更に後半て演奏されるハーピスト兼作曲家のグランジャニーが手を入れた小品。時代的に見てルネサンス期、バロック初期の舞曲と見て良さそうです。

個人的に調べたところでは、フランシスクの代表作に「オルフェオの宝」というリュートのための舞曲集の如き出版譜があって、この中にクーラント、パヴァーヌ、ブランル Bransle と題されたピースが何十曲も含まれており、恐らくこの中から選ばれているのではないかと想像します。
楽譜(ピアノ編曲版)はペトルッチでダウンロードできますし、ハープによる編曲もNMLで配信中。いずれは譜面をチェックしながら音源で確かめてみたいと思っていますが、実現するかどうか・・・。

先ずは眼前で聴くハープの響きの豊かさに感服し、続いてバッハ。シャコンヌとは勿論無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番の最終楽章の、あのシャコンヌのこと。吉野氏が更に手を加えた版で演奏されました。
このハープ版、何とも素晴らしいもので、黙って聴いていると最初からハープのために書かれたのではないかと錯覚してしまうほど。吉野の演奏もテンポやリズムを一切崩すことなく、地震でもビクともしない構造物の如くに堂々と描かれました。ヴァイオリン演奏よりも端正で、バロック的だったのではないか。

この名演の後あと吉野は一旦舞台を下がり、直ぐに再登場してブラームスへ。ブラームスとハープという関係は即座には思い浮かびませんが、確か女声合唱の作品にホルンとハープが伴奏するものがあったような。
ブラームスの主要なオーケストラ作品でもハープは使われませんが、比較的初期のドイツ・レクイエムではハープが効果的に使われていることを、聴いていて思い出しました。
今回の2曲、編曲者名は書かれていませんでしたが、別のコンサートのチラシにラプソディーはマーヴィヒルという人の編曲と記されていました。多分それで正しいのでしょうが、バッハ同様に吉野氏の手が加わっていたのかも。

オリジナルはピアノですが、どちらも変ホ長調なのがミソなのかもしれません。3部形式の間奏曲は、中間部での左手(ピアノの場合)に出るアルペジオは如何にもハープ的だし、5小節単位で構成されているラプソディーも最後に向けての情熱の高まり方が素晴らしく、最後の和音を高音部のグリッサンドで締める辺りは、ハープの特質を良く活かしたアレンジだと思いました。

ここで15分の休憩。見ると楽器の周りには直ぐに人だかりが出来、聴き手の楽器への関心の高さが伺われます。
未だ休憩中であるにも拘わらず吉野氏は楽器のチューニングを開始し、一段落した所で一旦舞台(と言っても聴き手と同じ床面)を降り、司会の案内で再登場という段取り。

この光景を見ていたこともあったのでしょう。後半の演奏に入る前に、吉野氏自らが楽器についてのミニ講座となりました。もちろん舞台の高いホールでも可能でしょうが、サロンならではの演奏者と聴き手の近さが、より講座を興味深く盛り上げます。
レクチャーは弦が47本、ペダルが7本という基礎的な話題から始まって、7つのペダルがドレミファソラシに通じていること、更にペダルは3段階で止められるような構造になっており、3つの段階が♭・ナチュラル、♯を支配していること。装飾が施されている前面の支柱は中が空洞で、これとペダルが直結したワイヤーが詰まっていることなど、かなり本格的な構造にまで及びました。
ハーブの場合、弦はコーティングされているとはいえ未だにガット弦で、湿度や照明の熱によって直ぐに音程が狂うもの。従って小まめにチューニングが必要で、この日も弦を締めるための小道具を欠かさず手元に置いての演奏となりました。
ハープが使われるオーケストラの演奏会でも、ハープ奏者は演奏前も休憩中も独り舞台に出て楽器のチューニングに余念がない光景を目にすることが多いでしょ。あれはそのためで、吉野解説によって様々なことが腑に落ちた演奏会でもありました。吉野さんからのアドヴァイス、“ペダルが大事だからと言って、余り足元ばかり見ないように”(爆)

後半は飛び入りレクチャーで大いに沸きましたが、ハープのためのオリジナル作品が4曲続けて演奏されました。
最初はイギリスのブリテン。私はブリテンのハープと言えば「キャロルの祭典」を思い出してしまうオールド・ファンですが、今回の5曲から成る組曲は正にブリテンは天才だ、と思いましたね。吉野氏によれば通常のハープの概念とは一味違った作品なのだとか。

グランジャニーからの3曲は、何れもフランス人作曲家の作品。やはりハープと言えばフランスが主流なのでしょうか。
グランジャニー Marcel Grandjany (1891-1975) は、既に触れたようにハーピスト兼作曲家であり、多くの作品をハープ用にアレンジもした人。自身のオリジナル「子供の時間」組曲は、タイトルの付いた短い6曲から成る組曲で、吉野は各曲毎に休みを置かず、全体を一つの作品として演奏しました。

続くルニエ Henrietta Renie (1875-1956) はグランジャニーの先生だったハープ奏者兼作曲家。同年代のトゥルニエ Marcel Tournier (1879-1951) もルニエ共々、ハープ界では必ず演奏される定番だそうです。因みにこの2曲、ペトルッチで楽譜を見ることも可能。
ハープは楽器自体が良く響くため、残響の多いホールでは却って響き過ぎる結果となり、演奏の細かい部分はボヤケ勝ちになるもの。こうした小さい空間での鑑賞こそ理想ではないかと感じました。

こういう会ですから、アンコールも自然な流れ。吉野氏が“原曲以上にハープにピッタリな作品”ドビュッシーの「月の光」が幻想的に演奏され、素晴らしいハープの夕べの幕もおりました。
いうまでも無く第一級のテクニック、楽器自体の豊かな響き、それでていサロンならではの繊細で細やかな8本の指(小指は使いません)の奏でるハーモニーは、大きな空間では決して味わえない醍醐味。
いつまでも響く弦を両手でソッと抑える消音テクニックも忘れてはならないところで、音が完全に消えてから徐に拍手が始まる鵠沼の聴き手たちの良質な感性にも感謝すべきでしょう。

最後に、吉野直子のホームページには様々な情報があって、いろいろ勉強にもなるリサイタルに一度は出掛けることをお勧めします。

http://www.naokoyoshino.com/j/naoko.html

 

 

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