パリ大賞典

ウッカリ忘れるところでした。昨日はロンシャンでパリ大賞典(GⅠ、3歳、2400メートル)が行われたのでした。何故に月曜日かは、こういうこと。
Grand Prix de Paris と言えばかつてはフランス最大の競馬でした。凱旋門賞が創設されてからは、いや出来てからも暫くは、パリジャン・パリジェンヌが夢中になったのは、パリ大賞典です。
1863年の創設。当初からフランス・ダービーから1ヶ月ほど、丁度イギリスのダービーからも同じ間隔で、英仏ダービー馬が雌雄を決するべく設定されたレースなのです。即ちフランス競馬における最初の国際レースでした。
実際、フランス・ダービーに勝ってグランプリも制した馬は23頭。最も新しい事例は1997年のパントル・セレーブル Peintre Celebre です。
一方、イギリス・ダービー馬でグランプリも制したのは6頭。1955年のフィル・ドレイク Phil Drake 以降このダブルは出ていません。
こういうことを書くと不敬だと指摘されるかも知れませんが、昭和天皇がまだ皇太子時代にロンシャン競馬場の門を潜り、観戦したのはパリ大賞典だったはず。ヨーロッパで本格的な競馬を親しく観戦した最初の日本人は、恐らく昭和天皇その人だったかもしれないのです。
そのグラン・プリ、距離も3000メートルで「フランス産馬=長距離血統」という図式を示す代表的存在でしたね。
ところが近年はアメリカ発のスピード競馬流行の煽りをモロに受け、パリ大賞典の魅力は急速に薄れてしまいます。
一時期パリ大賞典は2000メートルで行われていたこともありますが、2005年にフランス競馬システムの大幅見直しが行われ、フランス・ダービーの距離が2100メートルに短縮されたのに伴い、パリ大賞典の距離は2400メートルに決められます。その施行時期も、フランス革命の記念日である7月14日に固定されたようですね。
フランス革命記念日、要するにバスティーユ・デイ Bastille Day ですが、我々には「パリ祭」と言った方が通りがいいかな。
で、今年はその祭日が月曜日に当たっていたんです。
今年のパリ大賞典、13頭で争われました。大変な大物が出現して圧勝したというニュースが飛び込んでいます。その馬の名は、モンマルトル Montmartre 。最後の勝負所で頭だけ抜け出したところで勝負あり。あっという間に他馬をグングン引き離し、2着に4馬身差を付け、更にラストは馬なりのまま追わずにコールインしたという報告です。
2着はプロスペクト・ウェルズ Prospect Wells 、3着は半馬身遅れてマガダン Magadan 。イギリスから挑戦して1番人気に押されたドクター・フレマントル Doctor Fremantle は更に2馬身半離されて4着でした。
その他ではカーテン・コールが10着、オブライエン師が送り込んだアレッサンドロ・ヴォルタは6着に終わっています。
エプサム・ダービーでも4着だったドクター・フレマントルから計れば、モンマルトルは明らかにニュー・アプローチより上の評価。早くも凱旋門賞のオッズが4対1と提示されました。
馬主はアガ・カーン、調教師はアラン・ロワイヤー・デュプレ、騎手がクリストフ・スミオンという王道の一頭。これからのフランス競馬界の話題の中心になることは間違いないでしょう。
2歳時は未出走。3歳でデビューし、これがまだ5戦目ですね。フランス・ダービーはゴチャゴチャに巻き込まれて15着惨敗でしたが、その後GⅢに快勝して本格化してきたようです。
父はモンジュー Montjeu 、母アーティスティク Artistique という血統の芦毛馬。もう1頭の芦毛クラシック馬・ナタゴラと共に、その面でも話題になりそうですね。
パリ大賞典に勝って凱旋門賞も連覇したのはこれまで8頭。2006年のレイル・リンク Rail Link が記憶に新しいでしょう(ディープインパクトを破ったレース)。

 

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