フェスタ2008・日本フィル

今、日本フィルのフェスタ2008を聴いてきたところ。今日は猛暑でバテバテでもあり、某所では地震が来るという予言もあったので休暇にしました。
日本フィルはこれまで専ら小林研一郎が担当、ベートーヴェンの第9、ベルリオーズの幻想、チャイコフスキーの第5が取り上げられてきたと思います。去年は入院中でパスしたんでしたっけ。
今年は気分一新、次のもの。
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
     ~休憩
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「ぺトルーシュカ」(1911年オリジナル版)
 日本フィルハーモニー交響楽団
 指揮/沼尻竜典
 ピアノ/若林顕
 コンサートマスター/江口有香
外があまりにも暑いので、今日は車で出掛けました。駐車場はガラガラ。客席もガラガラ、と言うほどでもなく、見た目6割位は入っていたように感じました。昨日の尾高詣での東フィル満席が異様なので、今日は至極マトモなコンサートでしょう。批評家らしき人の姿はゼロ、世間の関心をものの見事に反映した客席です。
これは実に面白いコンサートでした。特に珍しい作品を並べたわけではないプログラムにしては、実に考えられた内容と言えるでしょう。
最初に沼尻氏登場、簡単な挨拶で昨日もラフマニノフ尽くしだったことに触れていました。
前半の協奏曲、昨日のソリストとはまた違った感性とピアニズムで難曲第3をクリアー。
しかし今日の目玉は何と言ってもぺトルーシュカ、それも1911年版というところがミソです。私もこの版が聴けるのを楽しみにしていましたし、予想通りオリジナルのオーケストレーションの素晴らしさを満喫できました。
そもそも大変に難しい書法で書かれていますから、多少ギクシャクした箇所もありました。しかしそれはマイナスにはならず、むしろ作品の本質を突いたものとして感じられたのは流石。
後半はオーケストラが登場した後、オルガン下の客席に配置された場面転換の太鼓連打に乗ってマエストロ登場。実際のオーケストラを使って、ぺトルーシュカの聴き所を取り上げていきます。“フルートとピッコロが、人形の目がパチッと開く様子を描いています”、とか“ぺトルーシュカの首がポロッと落ちるのは、タンバリンを落下させて表現します”また、“お巡りさんの登場はファゴットのソロで・・・”という具合。
実はこれ、1911年版スコアに丁寧に記されたト書きを紹介してくれたんですねぇ~。こういう作品解説は、日本フィルがマエストロサロンでCDを使いながら行っているものの拡大ナマ放送版とも呼べるもの。沼尻と日本フィルのお家芸でもありましょう。
その上で沼尻、簡単に1911年と1947年の二つの版にも触れ、さりげなく上級者向け聴きどころに触れたのもブラヴォです。私が常日頃聴きたいと思っていたぺトルーシュカを存分に味あわせてくれました。
特に第1部の万華鏡の様なオーケストレーション、第4部の凝りに凝った人物(人形)表現は目から鱗もの。批評家も偉そうなことを言うけれど、こういうクリティカルな視点に満ち溢れたコンサートを聴かないでどうするんですか・・・。
アンコールがまた傑作。おやおや、昨日の冒頭で聴いたばかりのラフマニノフ「ヴォカリーズ」じゃありませんか。ところが昨日の東フィルとは全く違ったアレンジ。これには度肝を抜かれましたわ。
今改めて思い出せば、昨日尾高が取り上げたのは恐らく「ニューウィグ」版と呼ばれるモノじゃなかったでしょうか。主題をヴァイオリンの合奏が歌っていくもの。
今日のアンコールは、メロディーをオーケストラの各楽器のソロが順次受け継いで行くもの。途中にぺトルーシュカでもソロ・ピアノを担当した若林氏が弾く箇所も用意されているのです。
これ、想像ですが、ラフマニノフ自身が声とオーケストラにアレンジしたものを、声のパートを様々なソロ楽器に置き換えたものではないでしょうか。ヒョッとしたら沼尻の手が入っているかも知れませんね。今度確認しなきゃ。
(フィナーレコンサートで小川典子がピアノ版ヴォカリーズをアンコールしてくれたら、ラフマニノフ三変化が完成するんですがね)
ということで、繰り返し聴いた名曲の新しい側面を堪能した、楽しいコンサートでした。
沼尻くんも色々あるんでしょうが、こういう面での才能は間違いありません。まだまだ可能性を秘めた指揮者だと思います。

 

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