二期会公演「エフゲニー・オネーギン」
日曜日の午後、上野の東京文化会館で行われている二期会公演・チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」を観てきました。ダブル・キャストですが、A組というのか、タイトル・ロールを黒田博が歌うキャストの二日目です。
この公演は明日の与那城組の二日目が千秋楽ですから、まだこれからご覧になる方もおられるでしょう。あまり細かいことには触れません。とは言っても、そこを書かなきゃ感想になりませんので感じたままを。
とにかく素晴らしい公演です。オネーギンは去年の暮にメトロポリタンの優れた公演、カーセンの演出で楽しみましたが、今回の二期会はそれを遥かに上回る傑作です。もちろんナマとテレビという違いは大きいのですが、本公演の何処をとってもメットを凌ぐ感銘を受けたのですから、正直に告白するのです。
先ず主なキャストなど。どれも素晴らしい出来でした。もちろんロシア語による公演です。
エフゲニー・オネーギン/黒田博
ウラジーミル・レンスキー/樋口達哉
タチアーナ/津山恵
オルガ/田村由貴絵
グレーミン公爵/佐藤泰弘
ラーリナ/与田朝子
フィリピエーヴナ/村松桂子
隊長・ザレツキー/畠山茂
トリケ/五十嵐修
合唱/二期会合唱団
管弦楽/東京交響楽団
指揮/アレクサンドル・アニシモフ
演出/ペーター・コンヴィチュニー
コンヴィチュニーの演出を真っ先に取り上げるのが筋でしょう。彼なら舞台が始まる前から何かあるな、と想像出来ましたので、チケットに印刷されていた開場時間の午後1時に上野に着きました。ところが2時開演、1時半まではホールに入れないとのアナウンス。やっぱりねぇ。
で1時半になると、既に幕が上がり、舞台上では頻りに舞台を掃除しているペアがいます。他にも新聞に読み耽る人、買い物袋を提げた主婦、待ち合わせの人達、本を読むカップル、そして酔っ払い。全部で1ダースほどの人たちが舞台上でロシアの生活を送っています。
これが30分。客席もそろそろ埋まってきた頃、酔っ払いが“ギャーッ”という嬌声を張り上げる。これを合図にオーケストラのチューニング開始、という具合。
舞台には左端に書籍の山、中央右にハープ、オペラが始まって直ぐに群集が立ち上げる枯れた白樺の樹。これらは象徴として置かれているようです。
登場人物の全員がコートを着用しているのも象徴。コンヴィチュニーのコンセプトはプログラムに書かれています。ここには転載しません。
この公演は通常の3幕構成ではなく、第2幕第1場と第2場の間に休憩を入れます。ただの上演の都合ではなく、ドラマの展開に則った再構成でしょう。
この休憩、ただの休憩ではありません。オペラが始まる前の舞台上のロシアの生活が、まるでビデオテープを見ているように再現されるのです。
これは何を意味するのでしょう。同じことの繰り返し、閉鎖的な社会と元に戻ってしまう人間の行動。これらを暗示的に聴衆に提示している、と見ました。開演ギリギリに会場に駆けつける人もいますし、休憩はロビーでワインなどを嗜む人もいます。“そんなの関係ねぇ~”という人には、コンヴィチュニーの演出も猫に小判かも知れませんが・・・。
他にも見所はたくさんあります。とても全て覚え切れません。思いつくままいくつか。
オケ・ピットと客席の間に渡り廊下のような通路が設定されています。ここはタチアーナの手紙の場、グレーミン公がオネーギンにタチアーナを紹介する場、最後のオネーギンとタチアーナの再開の場で使われます。
これはタチアーナの意中の人の名が乳母に伝わらないもどかしさを表したり、オネーギンとタチアーナの間にある心の溝の象徴にもなっているのでしょう。
グレーミン公爵とタチアーナ夫妻が、客席の2階席を使って歌われるのも衝撃です。ポロネーズが終わった後、客席のライトがやや明るくなり、指揮者が客席に向かって棒を振る。左右の2階席から出演者たちが歌い出したのには驚きました。有名なグレーミン公爵のアリアも客席で歌われます。
そのポロネーズ。これも斬新な解釈で度肝を抜かれます。
ここでは通常の舞踏の場、第3幕の開始ではなく、オネーギンとレンスキーの決闘の場の続きとして演奏されます。
従って舞踏会は一切無く、親友を殺めたオネーギンが後悔し、狼狽し、懺悔し、苦悶する場面として演奏されるのです。オネーギンがレンスキーの遺体を抱き上げ、無理やりポロネーズを踊らせようとするシーン、私は「かんかんのう」を思い出して苦笑してしまいました。
他にも演出上の衝撃は数え切れないほど。しかし、これはいわゆる読み替えや深読みとは違う、と感じました。
コンヴィチュニーの意図は、オペラを美術館や博物館の展示物ではなく、オペラハウスそのものを同時進行する社会生活の一部に取り込むための舞台としているのではないでしょうか。
少なくとも私は、オペラを鑑賞するという態度は完全に忘れ、オペラが現実の世界に起きていることの同時体験である、という錯覚にすら陥りました。
津山/タチアーナの手紙のアリアに涙し、黒田/オネーギンの態度に腹を立て、合唱団の一人ひとりに至るまでの迫真の演技に釘付けになり、完全にコンヴィチュニーの魔術に掛かってしまった自分を発見したのでした。
アニシモフの素晴らしい指揮も触れなければいけません。オーケストラから室内楽的に緻密な響きを引き出し、ドラマの展開を見事にサポートする。この人は只者じゃありません。
オーケストラも、これが東京交響楽団とは俄には信じられないほど透明で美しく、ロシアのオーケストラ以上にチャイコフスキー的な音を響かせたのは驚異でした。
主役も脇役も、もちろん合唱もオーケストラも第一級のレヴェル。指揮者の素晴らしさと、天才的な演出が一体となり、世界でもめったに見られないであろう公演を実現した二期会に絶賛を送らねばなりません。
カーテンコールには満面に笑みを湛えたコンヴィチュニーも登場、盛大な「ブラヴォー」と、ただ一人の「ブー」を受けていました。でも、何でブーなの? 何処がブーなの?
間違いなく二期会の最高レヴェルの公演。出来ればもう一組の公演も聴きたい、観たい。
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