日本フィル・第694回東京定期演奏会

先週横浜と東京で猛威を振るったラザレフ台風、昨日と今日は赤坂サントリーホールに再上陸です。真にコンパクトながら中身が溢れんばかりに詰まったロシア交響曲の2本立て。絶妙な組み合わせのプログラムでした。

≪ラザレフが刻むロシアの魂SeasonⅣ≫グラズノフ3
グラズノフ/交響曲第4番変ホ長調作品48
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第1番へ短調作品10
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 コンサートマスター/木野雅之
 フォアシュピーラー/九鬼明子
 ソロ・チェロ/辻本玲

単に世代を40年ほど隔てたロシア人作曲家の交響曲二つ、という単純な選曲じゃありません。グラズノフとショスタコーヴィチはサンクト・ペテルブルグでの師弟関係と言うだけでなく、共に学生時代から世界に認められた天才作曲家と言う共通点もあるのですね。ラザレフは得意とする二人の巨匠の作品を並べ、個性の違いを際立たせながらも、ロシア愛を文字通り身体ごとぶつけて見せたコンサート、と言っても過言じゃないでしょう。それもあってか、客席にはロシア系と思われる聴き手の姿が数多く見られました。

前半は、シリーズとして取り上げているグラズノフ作品。今回は滅多に演奏されない交響曲第4番で、早くも「グラズノフ・ルネサンス」の噂も出始めた演奏で聴き手を魅了してくれます。
最近でこそ余り聴かれないグラズノフですが、戦前はもっと頻繁に取り上げられていました。第4交響曲が最初にプロ・オケの定期に登場したのは、現N響の前身である新交響楽団の定期で昭和5年、エマヌエル・メッテルが指揮した時。多分、これが日本初演なのでしょう。(日露交歓演奏会や東京音楽学校の記録は見ていないので断言は出来ませんが)
その他でも朝比奈隆氏がグラズノフを得意にしていて、第4交響曲も関西で演奏した記録が残っています。

第4番は他と違って3楽章構成なのが特徴で、真の意味でグラズノフの個性が確立されたのはこの交響曲から、と言えそうです。当時のロシアは5人組の国民楽派と、チャイコフスキーに代表される西洋楽派とが対立?していた頃。尤も小宮正安氏によれば、どちらもロマン派と一括りに呼ばれるのが海外の常識だそうですが・・・。グラズノフはその二つの流れの中間に位置する人で、右派・左派に対する中道路線と言えば判り易いかも。その分どっちつかずの面もあって、現在では忘れられがちになる憾みがあると言えなくもありません。そこに新たな光を当てよう、というのがラザレフのグラズノフ・ルネサンス。

実際に聴かれて誰もが納得したと思われるのが、作品の抒情的な美しさ。この交響曲、確か以前は「抒情交響曲」と綽名して呼ばれることがあったのじゃないかしら?
ソナタ形式の第1楽章と第3楽章、スケルツォの第2楽章とで構成されているため、いわゆる緩徐楽章が無いのですが、その緩徐部分が第1楽章と第3楽章に序奏のような形で現れるのが特徴で、これはグラズノフ独自の形式と見ても良いと思いました。
演奏機会が少ない作品、折角の機会ですから少し立ち入りましょう。専門家のアナリーゼを読んだことが無いので、これは独断流の聴き所です、悪しからず。

交響曲の主調は変ホ長調、つまり♭三つなのですが、第1楽章は♭6っつという特殊な調で始まるのが珍しい所。難しいことを言えば変ホ短調、同名短調ということになるのでしょうか。
先ず大きくため息を二度。そのあと以外にもイングリッシュ・ホルンに美しいテーマが登場するのですが、これが言わば全曲の「キモ主題」。形の上では序奏主題に当たるのでしょうが、これが第1楽章の最後に、そして全曲の最後にも登場して交響曲を統一する機能を担っているのですね。このキモが余りにも美しいため、「抒情交響曲」という呼称になったのでしょう。それにしても、これほど美しメロディーが長年人知れず眠っていたとは信じ難い・・・。

第2楽章はスケルツォ・トリオ・スケルツォの三部形式。スケルツォはタランテラというかコサック・ダンス風で、スコアを良く見るとヘミオラ(2拍子のなかに3拍子を紛れ込ませる)が隠れている。
トリオはグラズノフが得意とする典型的なロシア・ワルツで、クラリネットのソロ。ここでラザレフは半身を客席に向け、“どうだ、素敵な音楽だろ”と言わんばかり。スケルツォに戻ると、トリオ主題が同時に重なる箇所もあって、先のヘミオラが生きてきます。この辺りはグラズノフの天才ぶりが如実に判る所でしょう。

第3楽章も緩徐楽章の代わり、「霧のようなアンダンテ」(片桐卓也氏のプログラム・ノート)で始まります。ここは後に終楽章のテーマへと発展するモチーフが pp で歌われますが、オーケストレーションは何とヴィオラと第3クラリネットのユニゾン。ラザレフはグラズノフをオーケストレーションの天才と評し、それはマーラー以上と断言していましたが、メロディーを一つの楽器でナマに奏でるのではなく、常に様々な楽器をブレンドする由。ここもその代表的な一例でしょう。トランペットとホルンのファンファーレを経て主部へ。
そして練習番号22の5小節目から、冒頭の「キモ主題」が登場。ここはフルート、オーボエ、ホルンのユニゾンですが、極めつけは最後の練習番後38から。キモ主題はファゴット2、4番ホルン、チューバ、低弦のユニゾンで、高音部の細かい音にマスクされ勝ちですが、ラザレフはしっかりとテーマを響かせて、聴き手の涙腺をこれでもか、と刺激します。

練習番号44からピウ・モッソ、更に48からはプレストと三段ギアでテンポをアップし、最後の和音でラザレフは跳躍しつつ客席に向いての着地。ウルトラC「ラザレフⅡ」は定期会員が楽しみに待っている瞬間でもあります。
ギアを上げながら客席の興奮を高めていく手法は、チャイコフスキーからグラズノフ、グラズノフからラフマニノフへと継承されている伝統のテクニックでもありましょう。

例によってラザレフは「抒情的」という通例を覆し、極めて速いテンポで緊張感を維持し、普通ならリタルダンドする箇所も高速通過。甘いセンチメンタリズムには一顧もせず、作品の構造を明らかにしていく姿勢に徹していました。ロマンティスト・グラズノフではなく、獅子の如きグラズノフでしたね。

大満足、大興奮のグラズノフに続いては、ショスタコーヴィチここにあり、と世界に名を轟かせた交響曲第1番。グラズノフに時間を割き過ぎましたので、ショスタコーヴィチは出来るだけ短く。
そもそも私がこの交響曲を初めてナマ体験したのも日本フィル。始めて定期会員になった最初のシーズンで、マルケヴィッチの指揮で聴いた時でした。それは盛り沢山なプログラム(グリンカのルスラン序曲、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキーのフランチェスカ・ダ・リミニ、ムソルグスキー展覧会の絵)でしたが、強烈な印象が残っているのがショスタコーヴィチ。翌日銀座のヤマハに駆け込み、早速スコアを買って繰り返し勉強したものでした。

余りにも古いことでマルケヴィッチがどんな演奏だったかは記憶していませんが、今回のラザレフも負けず劣らず衝撃の強い体験でした。改めてスコアを見直したほど。
特に圧巻だったのは第3楽章で、練習番号8からラザレフは弦楽器の弱音を極端に落とし、オーボエ(杉原由希子)の葬送行進曲を遥か彼方から響かせる。同じことを、今度は練習番号20から弱音器付きトランペット(オッタビアーノ・クリストフォリ)が繰り返す。一体に管楽器が再弱音でソロを吹くことほど難しいことはないそうですが、杉原にしてもオットーにしても何たる名人芸。聴こえるか聴こえない彼かのギリギリまで音量を落とす解釈は、やはりラザレフ・スペシャル。ウルトラC「ラザレフⅠ」とでも名付けましょうか。

終楽章、あのティンパニ・ソロ(エリック・パケラ)に続いてチェロのソロ(辻本玲)が歌う哀歌の切々たること。トリスタンやワルキューレの残響が聴こえてくるメロディーが、これほど深々と歌われたのを聴いたのは初めででした。
ショスタコーヴィチの第1交響曲は、全体に楽器をソロ的に扱っている箇所が多く、言い換えれば管弦楽のための協奏曲と呼んでも良いほど。弦楽器にしても時にはファースト、セカンド、ヴィオラが4人のソロ、チェロとコントラバスも一人づつのソロと、合計14人がソロ楽器として合奏する場面がある位です。
管も弦も、現在の日本フィルはヴィルトゥオーゾ・オーケストラと呼んで良いほどの名手たちが揃い、シェフ・ラザレフが隅々まで解釈を磨き上げ、リハーサルで完璧に仕上げる。この夜のショスタコーヴィチは歴史に残る、あるいは新たな1ページを加える名演だったと断言して憚りません。

ということで、次なるラザレフは来年5月。特に東京定期は節目の700回を迎えるということで、ストラヴィンスキーのペルセフォネが日本初演される予定です。この来日中も蒲田のアプリコで特別懇談会が開かれたとのこと。プログラムにはその祭の速記速報版が挟まれていました。詳しくは日本フィルの特設ホームページに掲載されるそうですから、そちらを読んでシッカリ予習、来年5月に備えましょう。

 

 

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