木下美穂子・オペラティック・リサイタル/紀尾井ホール
10月27日、紀尾井ホールで行われた一風変わったコンサートを聴いてきました。場所は紀尾井ホール。
このホールは四谷と赤坂見附の間くらいに位置します。というより、私が自然観察のフィールドにしている上智大学に面した四谷土手の裏手。
私にとっては事務所からのアクセスが良過ぎて、反って時間を潰すのに苦労します。事務所が6時に閉じ、開場時間の6時半まで何処でどうして過ごせばよいのか・・・。コンサートの前に食事を摂る習慣はないし。
幸い昨日は5時半頃から赤坂一帯に激しい雷と豪雨。事務所の誰も大雨の中を帰るわけにもいかず、テレテレと空を眺めていたわけ。
丁度雨も収まり、みな脱兎の如く事務所を逃げ出した時間が、丁度ホール開場の時間。
ということで駆けつけたコンサートは、
オペラティック・リサイタル
木下美穂子 オテッロ-真実の愛(ほんとうのあい、と読みます)
要するにヴェルディの歌劇「オテッロ」のハイライト公演なのですが、オーケストラが入るわけではなく、イヤーゴもカッシオもエミーリアも登場しません。
木下以外では、オテッロ役がアンジェロ・シモスというアテネ生まれのテノール、ピアノ伴奏に河原忠之、そしてこの公演のために台本を作成し、ナレーションを務めたのが池田直樹というメンバー。
池田はもちろん現役のバス・バリトンですから、ナレーションもイヤーゴ役として登場し、所々でオテロの相手として僅かながら歌も披露。
3人はそのまま舞台公演にも出演できるほどに衣装もつけ、メイクも施しています。
舞台に設定されているのは簡単な舞台装置、かなり大掛かりに裏方さんたちが立ち働いていました。
コンサートそのものは、第1幕から第3幕までの主役二人の二重唱を中心に前半、休憩後の後半は、第4幕のデズデーモナのアリアをたっぷりと聴かせ、最後はオテッロの死、という構成です。
冒頭の序曲の後、ナレーションに続いて第4幕のデズデーモナのアリア「あなたの前にひれ伏し、あがめる者のために祈りたまえ」が歌われたのは、池田の意図が、全体をデズデーモナが死に際して見た回想、または夢という扱いだったようにも受取れました。この点はイマイチ明確ではなかったようですがね。
このコンサートは、タイトルにも謳われていた通り、木下美穂子を聴くのがメイン。聴いた結果も、名実共に木下を聴いた、という感想に落ち着きました。
オテロ役が如何に難しいか、何故これが頻繁に舞台に掛からないか、それを改めて確認する結果にもなりました。シモスは声量充分、体格も正にオテッロそのもののように見えましたが、歌は必ずしも充分ではなかったようです。技術的な面、心理描写などに不満も残ります。
対して木下/デズデーモナ、これはもう立派なもので、間違いなくワールド・クラスでしょう。特に柳の歌からアヴェ・マリアにかけてのアリアは、絶唱と呼ぶのが相応しくないほど、声のコントロールといい繊細な表現といい、実に気品あるデズデーモナ像を描き出します。
彼女の同役、私は2年程前にフィリア・ホールでも聴きました。その時はカラヤンに聴かせたかったなぁ、という思いでしたが、彼女は当時より更にスケールを増し、世界のプリマドンナに成長してきている、というのが実感。
マダム・バタフライは木下美穂子の運命を切り拓いた役柄ですが、デズデーモナは彼女を更なる大舞台に引き揚げる大役になるのではないでしょうか。
オーケストラ部分を一人で見事にこなした河原忠之、前半ではオーケストラでないもどかしさを感じたのも事実ですが、後半の大アリアではピアノ伴奏であることを忘れさせる表現豊かなバック。感謝の一言です。
こうなれば本格的な舞台で木下/デズデーモナに接してみたいもの。その思いは当の本人も同じでしょう。いつ実現するか、気長に待ちたいと思います。
彼女が来月に舞台を踏むデトロイト歌劇場の「蝶々夫人」、これが大成功を収め、オテロへの道が啓けることを切に願わずにはおれません。
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