竹澤恭子ヴァイオリン・リサイタル

昨日は、紀尾井ホールで行われた表記の演奏会を聴いてきました。竹澤のデビュー20周年を記念した、3年がかりの企画の2回目です。
今回はパートナーに小川典子を選んでいますから、実態は竹澤恭子/小川典子・デュオ・リサイタルと表記すべきもの。内容は以下です。
《デビュー20周年シリーズⅡ 竹澤恭子ヴァイオリン・リサイタル》
~フランス珠玉の名曲~
ドビュッシー/ヴァイオリン・ソナタ
イザイ/冬の歌 作品15
プーランク/ヴァイオリン・ソナタ
     ~休憩~
メシアン/ヴァイオリンとピアノのための幻想曲
フランク/ヴァイオリン・ソナタ イ長調
 ヴァイオリン/竹澤恭子
 ピアノ/小川典子
世の中にありそうでないもの、というのは結構あるもので、今回のデュオである竹澤と小川の組み合わせというのもその代表格。
ですから彼女たち二人の名前を同時に見つけたとき、何としても聴かなければならないと心躍らせたものです。
最初に私の目に留まったのは名古屋のしらかわホールの案内でしたから、当初は名古屋に遠征する積りでした。
ところがその後、東京でもリサイタルがあるという情報を得て、紀尾井ホールを選択したのです。
竹澤と小川といえば、国内よりもむしろ海外での演奏活動で忙しい二人。スケジュールの調整も難しいでしょうし、リハーサルの時間を取るのも苦労したでしょう。
プログラムに二人からのメッセージが掲載されていましたが、竹澤はニューヨークから、小川はロンドンから発信したものであることが、何より二人の「国際性」を象徴していると思います。
しかしこうしてリサイタルが実現してみると、これからも度々競演して欲しい、いやすべきだ、という感想を持ったのは私だけではないでしょう。
(今回の各地での公演の後、来年3月にも競演が実現するようです)
竹澤恭子のデビューは2007年。去年デビュー20周年に当たったのを契機に、3年計画で三種のリサイタルが企画されました。
第1回の去年は、7月にトッパンホールで江口玲との競演。夫々の作曲家の愛国的な作品をテーマに、メンデルスゾーン、ヤナーチェク、グリーグ、スメタナ、バルトークが取り上げられいました。(私は残念ながら聴けず。)
この日は同シリーズの2回目。3回目は来年の12月5日、サントリーホール(彼女のデビューの地)でブラームスのソナタ3曲の全曲演奏会が予定されています(競演はイタマール・ゴラン)。
全3回には共通したコンセプトがあって、それは「ソナタ」。彼女はデビュー当初から現代の作品への適正から、様々な「協奏曲」で実力を磨いてきました。
このシリーズでは改めてソナタと正面から対峙し、世界各国の大作曲家たちがヴァイオリンとピアノという二つの楽器で構築した音楽世界を聴衆に問う、という姿勢が貫かれています。
今回はプログラムの副題にもあるように、フランスがテーマ。競演する小川典子にとってもドビュッシーやラヴェルは主食のレパートリー、これ以上無いパートナーであり、選曲なのです。
大分長くなりますが、そのことに触れずにこのリサイタル・シリーズを語れません。悪しからず。
で、プログラムですが、「フランス珠玉の」という修飾は不適切ではないかと思われるほど、一筋縄ではいきませんね。ここにも竹澤+小川の拘りがあった、と私は考えています。
第一に、今回の5人の中にベルギーの作曲家が二人含まれていることに注目すべきでしょう。フランクとイザイ。二人は一括りにフランス圏に纏められることが多いのですが、エルキュール・ポアロを引き合いに出すまでも無く、フランスとベルギーは別の国です。
フランクとイザイ、単に同じベルギーの作曲家というに止まらず、二人共同じリエージュの生まれなのですよね。
フランクの方が36歳年上ですが、そもそもヴァイオリン・ソナタは当のイザイに献呈された作品。ソナタはイザイの名演奏によってヴァイオリンのレパートリーに定着したのです。
イザイは、意外に知られていませんが、ベルリン・フィルの前身であるビルゼ管弦楽団のリーダーだった人。ベルリン・フィルの基礎となっている弦楽の響きは、実はイザイに源流があるのです。
ベルギー=フランスという単純な図式ではなく、ベルギー→ドイツという流れもある。
イザイはまた、ドビュッシーとの親交も深かった人で、ドビュッシーの弦楽四重奏曲を世界初演したのもイザイ四重奏団でした。
今回演奏された冬の旅は、本来は管弦楽伴奏の作品。昔エノック社から出ていたスコアでは、2管編成とホルン2本、ティンパニと弦5部という編成です。
今回はもちろんピアノ版による演奏ですが、如何にイザイのヴァイオリン演奏が素晴らしいものであったかを髣髴とさせるもの。特に最後の弱音器を付けてから、フラジォレット奏法による終結まで、中々聴き応えのある作品だと思いました。
タイトルだけ見るとヴァイオリン・ピースと思われ勝ちですが、内容は立派なソナタ。竹澤と小川の感性が光ります。
それはメシアンでも同じ。プログラムによると、メシアンの死後、2006年にその存在が明らかになった由。その2006年にイザベル・ファウストと児玉桃によって初演されたそうで、私は初めて聴きました。
メシアンとしてはかなり運動性に富んだ曲。よく聴いてみると構成などは意外に単純なようで、メシアンらしい面も多分に含んだ曲と聴きました。
作曲された1933年は、メシアンがパリの教会のオルガニストに就任して間もない頃。当然ながらフランクの影響があり、一晩のプログラムとしての繋がりも十分に考慮されているのです。
真ん中のプーランク。プーランクは、実はヴァイオリンが嫌いだった人で、3度目の挑戦で唯一残されたヴァイオリン・ソナタです、よね。
内容はガルシア・ロルカの追憶に捧げられただけあって、極めてシリアスなもの。
プーランクはその二面性が指摘されますが、このソナタは法衣を纏ったプーランク。竹澤と小川の音楽性にもよくマッチし、この夜の演奏はプーランクの本質に光を当てた名演奏だったと思います。
冒頭のドビュッシー。未完に終わったソナタ連作6曲の一つですが、第一次世界大戦の中で、フランスの古い伝統を継承すべく書かれた「ソナタ」。改めて「ソナタ」の本来の意味を問うためにも、竹澤/小川の選択の第一声はドビュッシーでなければならなかったはず。
ダラダラと感想とも作品紹介ともつかぬ駄文を書き散らしてきましたが、演奏の素晴らしさは言葉では表現できないほどのレヴェル。
最後のフランクを聴いていて、ふと戦前の表記である「提琴奏鳴曲」という呼称こそ相応しいのではないか、と考えた次第。
作品に正面から対峙し、実に格調ある、毅然として構築力に優れ、極めてメッセージ性の高い演奏の数々であったことを報告しておきましょう。
アンコールは二つ。ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、多分ハルトマンの編曲。それにラヴェルのオリジナル作品、ハバネラ形式による小品。

 

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