日本フィル・第699回東京定期演奏会
700回記念目前、日本フィルの東京定期が4月27日、赤坂のサントリーホールで行われました。もちろん翌土曜日にも同じプログラムでの公演があります。金曜は夜7時開演、土曜は午後2時ですから、17時間後には次のプログラムを繰り返すことになりますが、これってオーケストラにとっては(もちろん指揮者にとっても)相当にヘヴィーなスケジュールじゃないでしょうか。
ワーグナー/歌劇「タンホイザー」序曲
ワーグナー/歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
ワーグナー/歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲
~休憩~
ワーグナー(マゼール編)/言葉のない「指環」
指揮/ピエタリ・インキネン
コンサートマスター/木野雅之
ソロ・チェロ/辻本玲
先週はオール・ドビュッシーで作曲家の没後100年を横浜で偲んだ同コンビ、東京ではオール・ワーグナー。首席インキネン拘りのプログラムです。選曲に付いては特に触れることもありませんが、聴きモノはやはり後半、マゼールがアレンジした指環ハイライトでしょうか。
その前に前半、二つの歌劇から有名なオーケストラのみによる3曲が演奏されました。ローエングリンの2曲は間に拍手を挟まず、続けて一気に演奏されます。
インキネンはことドイツ音楽に関しては弦に対向配置を求めるのが常で、今回もこの並び。一言で対向配置といっても色々な種類がありますが、インキネン/ドイツ・プロではヴァイオリンを両翼に分けるだけではなく、チェロをファースト・ヴァイオリンの隣に、コントラバスもチェロの後、舞台下手に並べる完全な旧ヨーロッパ・スタイルになっているのが特徴でしょう。コントラバスの頭は、横浜と同じ星秀樹氏がゲストで参加していました。
タンホイザー序曲は、途中からヴェヌスブルクのバレエに繋がるパリ版ではなく、壮大に巡礼の合唱テーマが回帰する通称ドレスデン版での演奏。コンサートの幕開けとしては、こちらの方が相応しいかと思慮します。
ローエングリンは日本フィルの透明な弦楽器の響きが聴き所で、ヴァイオリンが左右に分かれていることによる効果を改めて噛み締めます。舞台上演でピットに入ったオケでは、今回のように視覚を伴った空間効果はどうしても薄れてしまいますからね。
後半のリングはもちろんですが、改めてワーグナーの弦楽器群の扱いが実に凝っているということを実感しました。タンホイザーでもローエングリンでも、ヴァイオリンは共に4声部にディヴィジ(分奏)されることはザラですから、各プルトも表と裏では別の音符を弾き分ける。それに伴う弓の動きが多様で賑やかに見えるのも、オーケストラをライヴで体験する楽しみでしょう。タンホイザーのヴェヌスブルクの場では、木野コンマスと九鬼パートナーがソロで掛け合うのも楽しい光景でした。
後半は故ロリン・マゼールが「ニーベルングの指環」四部作(正確には序夜と三部作)からオーケストラの聴き所を抜粋した「言葉のない指環」。この企画は確かアメリカのレコード会社(テラーク)が新しいメディアのCDの利点を生かし、得意のダイナミック・レンジの広い高音質を武器に製作すべくマゼールに提案したのじゃなかったかしら。私のような古いレコード・ファンは、同じような趣旨で「歌のないトスカ」「歌のないトゥーランドット」というLPが店頭に並んでいたことを思い出したものです。
しかしマゼール盤は音質の良さはもちろん、作曲家でもあったマゼールの素晴らしいアレンジ術によって大成功、コンサートの演目としても定着したのでした。実際、日本フィルがこのスコアを取り上げるのも二度目で、前回はネーメ・ヤルヴィが横浜定期で紹介したのを聴いた記憶があります。そのときはテンポが速目、表現も如何にもヤルヴィらしい淡白なものでしたっけ。はて今回のインキネンや如何に・・・。
マゼールの編曲は、ラインの黄金の最初の一音から開始し、神々の黄昏の最後の音符で全体を閉じるというコンセプト。4作品から万遍なく聴き所をチョイスし、幕で言えば使われないのはジークフリートの第3幕だけでしょう。単独で演奏される有名な音楽、「ワルキューレの騎行」も「森の囁き」も「夜明けとジークフリートのラインへの旅」も「ジークフリートの葬送行進曲」も登場。通して聴けば「ニーベルングの指環」全曲を聴き通した様な錯覚に陥るから不思議です。
単に名曲・名場面の継ぎ接ぎでないことは、マゼールが全曲の進行に忠実に場面を選んでいること、楽劇から楽劇への繋ぎが調性的、音楽的に整合が取れるように考えられていることからも明らかでしょう。例を一つだけ挙げれば、ドンナーが雷を呼び寄せる頂点で、音楽は一気にワルキューレ第1幕の嵐の描写に流れ込む。見事なアレンジじゃありませんか。ワーグナーが書いた音符に一切の加減乗除が無いのはもちろんです(ドンナーやジークリンデの歌を極く一部楽器で代奏する個所はありますが・・・)。
ジークフリートのホルン(ゲスト奏者の見事だったこと!)は時に応じて舞台と舞台裏とを往復し、空間的な効果も演出。ドンナーの呼びかけや、ニーベルハイムの金槌も左右の舞台裏を効果的に使って臨場感を創り出していました。
演奏時間70分は息を詰めて聴く限界でもあり、CDというメディアの収録時間とも合致します。座っていてお尻が痛くなり出した頃に、神々の黄昏の感動的なライト・モチーフが鳴り渡って、大団円を迎える。心憎いマゼールの演出と言うべきか。
マゼールのワーグナーと言えば、ベルリン・ドイツ・オペラの数度に渉る来日公演でトリスタン(ヴィーラントのシンプル極まる舞台)、オランダ人(衝撃的なオランダ船の出現)、ローエングリン(マゼール版指環の原点かも)を次々と上演してくれましたし、「指環」も確か一度だけ(?)バイロイトで指揮し、そのライヴ音源をNHK・FMで楽しんだ記憶が蘇ります。私にとっては欠かせないワーグナー指揮者でもありました。
そのワーグナーを継承した若きインキネン、既にオーストラリアで指環サイクルを振って実績を積み重ね、日本フィルとも一連のシリーズでそのワーグナー愛を披露してきました。今回も指揮台の手すりを取り払っての大熱演で、現時点の日フィルから最大限のドイツ・サウンドを導き出すことに成功していたと思います。
大変なのはオーケストラ。冒頭に書いたとおり、弾きっ放し、吹きっ放しのマゼール編曲版を24時間以内に二度も演奏するのですから(前回は横浜の1回だけ)、これは特別手当モノじやないでしょうか。
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