サルビアホール 第98回クァルテット・シリーズ
7月最初のコンサート行は鶴見サルビアホールのクァルテット・シリーズ、全4回で完結したはずのシーズン29に「+1」として追加されたクァルテット・ディ・クレモナの初来日公演です。
プラス・ワンということは、急遽公演が決まったということで、最初に出回ったチラシでは「日本音楽財団所有の銘器ストラディヴァリ≪パガニーニ・クァルテット≫を使用」とのこと。これだけを見ると楽器の魅力で聴かせる団体、と取れなくもありませんでしたが、どうしてこれは楽器そのものの素晴らしさも然ることながら、彼等の奏でる音楽の奔流に圧倒された一夜でもありました。何ともイタリア! それが強烈な第一印象です。
関東地方は観測史上初、6月中に梅雨が明けてしまって真夏日が続いていますが、この日は日本海側を進む台風の影響もあって蒸し暑さの極み。恐らく楽器には最悪のコンディションの中で果たして名器が本来の響きを奏でられるのか、という不安もありました。プログラムは弦楽四重奏の旅、的な多彩なもので、前後半共に食前酒とメイン・ディッシュを組み合わせたような以下のもの。
ウェーベルン/弦楽四重奏のための緩徐楽章
モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調K465「不協和音」
~休憩~
プッチーニ/弦楽四重奏のための「菊」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2」
クァルテット・ディ・クレモナ Quartetto di Cremona
当日のプログラムによれば、2000年にクレモナで結成されたアンサンブルで、2002年からは現在のメンバーで活躍中とのこと(初期にメンバーが交替したということか?)。初来日ですからメンバーの紹介から行きましょう。
4人とも黒の衣裳で統一、年齢不詳ですが同年代の男性4人で、各人各様の髭を生やしているのが目に付きます。ファーストはクリスティアーノ・グアルコ Cristiano Gualco 、セカンドがパオロ・アンドレオーリ Paolo Andreoli 、ヴィオラをシモーネ・グラマッリャ Simone Gramaglia 、チェロはジョヴァンニ・スカリオーネ Giovanni Scaglione の面々。全員がジェノヴァ出身だそうです。個々のメンバーの経歴等は判りませんが、ホームページはこちら。
http://www.quartettodicremona.com/
クレモナ四重奏団と言う団名は、恐らく4人がクレモナの音楽院で勉強していたことによるものでしょうが、クレモナの楽器製作に関するネットワークを推進する国際プロジェクト「フレンズ・オブ・ストラディヴァリ」のアンバサダーを務めていることから、正に団名と活動内容がピタリと一致していると言えましょうか。今回の初来日も、その活動が切っ掛けとなって去年9月に日本音楽財団がストラディヴァリウスの4挺セットを貸与することになり、その記念コンサートという意味合いもあるそうです。
その記念コンサートは2日に浜離宮朝日ホールで(密かに)行われたようで、その時は小菅優を迎えてシューマンの五重奏曲も演奏されたやに聞いています。その1回だけではもったいないという配慮から、昨夜のサルビアと今日(5日)の宗次が決まり、あともう1回は6日に九段下のイタリア文化会館でも彼等を聴ける(レスピーギの3番!!)ようです。従って鶴見はクレモナQを聴けるレアな機会と言うこともあり、チケットは完売していました。
チラシにはクァルテット・イタリアーノの真の後継クァルテット」と宣伝されていましたが、まさかそれは大袈裟でしょ、と余り期待もせずに出掛けました。しかしイタリアQの後継というのには根拠があって、元イタリアQのチェリストだったピエロ・ファルーリが彼等に弦楽四重奏の秘伝を徹底的に教え込み、更にはアルバン・ベルクQのハット・バイエルレにクァルテットの奥義、特にハイドンを通じてクラシックの形式を会得することの重要性を叩き込まれたのだそうです。
今回、実際に彼等の演奏に接し、イタリアQの後継者と言うキャッチ・フレーズが決して誇張ではなく、正に弦楽器王国イタリアを代表するトップクラスのクァルテットと断言したい、と思いましたね。
彼等はチェロを除いて立って演奏しましたが、ホームページで見ることが出来るビデオでは座って演奏する映像もあり、ケースバイケースで臨機応変に対処する、ということでしょうか。並びは左からファースト→セカンド→ヴィオラ→チェロの順。ヴィオラのシモーネだけがタブレットを使い、残り3人は紙ベースのパート譜を使っていました。
冒頭のウェーベルンからして独特の音世界。この湿気にも拘らず(もちろんホールは空調が効いていますが)ストラディヴァリウスが唸り、乾燥季だったらどれほどか、と空恐ろしくなるばかり。もちろんサルビアホールが第5のストラディヴァリウスとして圧倒的な響きを提供していたのも当然ですが・・・。
ウェーベルンは頻繁に弱音器を脱着しますが、その音色の対比が見事で、ウェーベルンの濃厚な音楽を適度に中和していたのも印象的でした。
ウェーベルンからモーツァルト、しかも不協和音の序奏部への繋がりは見事に腑に落ちるもの。彼らはウェーベルンに続けて舞台裏に戻らずにモーツァルトに入りましたが、この連携が実に良く考えられていることと感服します。モーツァルトではフィナーレの途中でファーストの弦が切れるというアクシデントがありましたが、一旦戻って切れた個所からの再開も全くぶれることなく、その流麗な推進力に微塵の乱れも生じませんでした。何と言っても音楽の流れが強く、如何にもイタリア人らしく朗々と歌う。明るい音色と爽やかな歌は、ヴィルトゥオージ・ディ・ローマやイ・ムジチを初めて聴いた時の青々とした驚きを思い出させてくれました。
後半、文句のつけようのないプッチーニで舌を湿らせ、最近全集を完成させたばかりのベートーヴェンからラズモの第2へ。イタリアQがベートーヴェンを得意にしていたように、クレモナQの主食はやはりベートーヴェンなのでしょう。特にイタリア人のベートーヴェンということで身構える必要はありません。
いやむしろ、この夜のクレモナはベートーヴェンの内部にもあるイタリア的な要素に光を当て、彼等の歌い尽くす付点リズムに耳を奪われます。第2楽章で鳴り続けるリズムが、実はフィナーレの推進力の源ともなるリズムに発展していくことに彼らが気付かせてくれた、と言っても良いかも。あのリズムは正に「テレーズ」の音型で、カロルス・クライバーが第4交響曲の緩徐楽章で拘ったのも、このリズム感だったのでしょう。
このベートーヴェン、私はトスカニーニの歌うベートーヴェンを連想してしまいました。プッチーニからベートーヴェン、一見すると何の関連もないようですが、ここに彼等のメッセージが隠され、同じホ調という調性マジックが仕掛けられていたのかもしれません。(ベートーヴェンの第2楽章とプッチーニは、同じ♯4つで書かれている!)
特に素晴らしかった第2楽章モルト・アダージョ、ベートーヴェンは「深い感情をもって」とイタリア語で表記しています(Si tratta questo pezzo con molto di sentimento)。
予定されたプログラムを終え、ファーストクリスティアーノが英語で挨拶。デザートはボッケリーニの有名なメヌエット、舌の上であっという間に解けてしまうようなアンコールでした。卓越したテクニックと誰もが納得する歌心。先人のノウハウを受け継ぎ、弦楽四重奏の頂点を目指す彼らにストラディヴァリウスという強力な武器が。これを日本では昔から“鬼に金棒”と譬えます。
演奏後は完成したばかり、特別に日本語解説仕様のベートーヴェン全集が並べられ、サイン会にも長い列が出来ていました。クレモナQ、次はプラス・ワンではなく、最初からシリーズに組み込まれた形でのサルビア再登場を熱望します。個人的な希望では、ベートーヴェン・サイクルがあっても不思議じゃないかも。
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