フェスタサマーミューザ「東京交響楽団フィナーレコンサート」
8月12日、今年のフェスタサマーミューザも無事にフィナーレを迎えました。川崎のフランチャイズ・オケである東響がオープニングとフィナーレを務めるのが毎年の恒例、もしかすると私がフィナーレを聴いたのは今年が初めてかもしれません。
祝バーンスタイン生誕100年と副題が付いたフィナーレコンサート、この日は同じアメリカのジョン・ウイリアムズを前半に置いてオール・アメリカ・プログラムという以下の構成です。
ジョン・ウイリアムズ/オリンピック・ファンファーレ(1984)
ジョン・ウイリアムズ/テューバ協奏曲
~休憩~
バーンスタイン/「キャンディード」序曲
バーンスタイン/「キャンディード」からクネゴンデの歌「着飾って浮かれましょ Glitter and be Gay」(第1幕第7場)
バーンスタイン/「キャンディード」からキャンディードの歌「キャンディードの哀歌 Candide’s Lament」(第1幕第3場)
バーンスタイン/「キャンディード」からデュエット「なんて幸せな二人 Oh, Happy We」(第1幕第1場)
バーンスタイン(チャーリー・ハーモン編)/組曲「キャンディード」
バーンスタイン/ディヴェルティメント
指揮/秋山和慶
テューバ/田村優弥
ヴォーカル/幸田浩子(クネゴンデ、ソプラノ)、中川晃教(キャンディード、シンガーソングライター)
コンサートマスター/水谷晃
選曲にはチョッとした仕掛けがありました。ウイリアムズの協奏曲作品は、ボストン・ポップスの首席指揮者だった作曲者が、同オケの創立100年のために書いたもの。また、バーンスタインのディヴェルティメントはボストン交響楽団の創立100年を記念して書かれた音楽、という共通点があります。ボストン交響楽団は1881年創立、ボストン・ポップスはこれに遅れること4年の1885年創設なんですね。
バーンスタインはボストンで学び、初めて本格的なオーケストラを聴いたのがボストン交響楽団のコンサートで、その時バーンスタインは「興奮に椅子から転げ落ちんばかりだった」と述懐しています。バーンスタイン生誕100年を祝うと同時に、ボストン讃歌という意味も含まれたコンサートでしょうか。
冒頭のファンファーレ、私はオリンピックには殆ど興味がないので、これは初めて耳にしました。ファンファーレにしては結構長い作品で、競技の度にこんな長いファンファーレが流れたのでしょうか? 私には前回の東京オリンピックのファンファーレ、黛敏郎氏の作品により親しみを覚えています。
続いては、独奏楽器としては珍しいテューバのための協奏曲。普通、協奏曲のソリストはファースト・ヴァイオリンの前、指揮者の左手に位置しますが、今回は逆、指揮者の右手、ヴィオラの前で演奏していました。やや珍しい光景を2階席から見下ろします。
作品はアレグロ・モデラート、アンダンテ、アレグロ・モルトの3楽章から成り、全曲は通して演奏されます。全体は20分弱で、第2楽章にはフルートのソロも活躍し、高音楽器のフルートと低音楽器のテューバの対比も聴き所になっているようです。特別に刺激的な音楽ではなく、私の印象ではやや単調。客席でも気持ち良く舟を漕いでいる人を何人も見かけました。
ソロの田村氏は2016年にミューザ・ソリスト・オーディションに合格された方だそうで、この楽器を吹く方が概ねそうであるように、大柄。しかしながら軽快にテューバの魅力を聴かせてくれました。客席からも大きな歓声が贈られます。
後半は今年のミューザの目玉、バーンスタインのキャンディードを中心にしたプログラム。最初から好評だった序曲、何度も手直しして漸く評価が定まったオペレッタ本体から歌曲を3曲、ハーモンが作品全体から9曲を選んだレアものの組曲、という3つのパターンでキャンディードを味わいました。なおバーンスタインがこの作品を自分で指揮したのは70歳を過ぎてからで、その時に編纂・出版されたスコアには2幕のコミック・オペレッタ、歌劇場ヴァージョンのスコティッシュ・オペラ・エディションと書かれています。
当初の発表では、キャンディード役は第2幕第9場の「人生とはこんなもの Nothing More Than This」を歌う予定でしたが、上記のナンバーに変更。これに伴って演奏順も上のように変わりました。
最後の組曲はもちろんバーンスタインのオリジナルではありませんが、今年1月に日本フィルの横浜定期で山田和樹が紹介してくれましたから、詳しくはそちらのレポートも参照してください。私にとっては今年二度目のレアもの。
序曲、アリア、組曲は1曲毎に舞台係が出てきてマイクや椅子のセッティングを換えるというやや煩わしいもの。折角のキャンディードも連続性が損なわれたのは残念です。
何よりガッカリなのは歌手2人がマイクを通して歌ったことで、大編成のオケではやむを得ないのでしょうが、やはりスピーカーから拡声される歌声には違和感を覚えてしまいました。2人の歌唱スタイルが全く異なるのも気になる所。
そして何とか最後の作品に辿り着きます。ディヴェルティメントは余り演奏される機会が無いもので、多分私もナマでは初体験でしょう。
短い8つの楽章から成る自伝的組曲、「愉快な作品」には様々な仕掛けが巡らされていて、私はこの日最も楽しみにしていました。先ずボストン Boston 交響楽団の100周年 Centennial ということで、音名のB(シ)とC(ド)で創られた短いモチーフが全楽章に散りばめられているという聴き所があります。何故か今回の解説(オヤマダアツシ氏)では一言も触れられていませんでしたが、これって作品のキモじゃないでしょうか。初演の指揮者が小澤征爾だったことも紹介されて良いことでしょう。
更に続ければ、第2楽章ワルツは弦楽器のみで演奏され、8分の7拍子で書かれている。これはボストン交響楽団の監督だったクーセヴィツキーが愛したチャイコフスキー「悲愴」の第2楽章に当たる5拍子のワルツと、バーンスタイン自身のチャイコフスキーへのオマージュになっているのです。
次の第3楽章マズルカはダブル・リードの管楽器(オーボエ属、ファゴット属)とハープのために書かれ、最後にはバーンスタインが聴いたボストン交響楽団のコンサートに対する賛美として、ベートーヴェン第5交響曲第1楽章のオーボエのカデンツァが挿入されています。調性もベートーヴェンと同じハ短調で音高も全く同じですが、知らされていなければ気が付かずに聴き過ごしてしまう人が殆どでしょう。
第7楽章のブルースは、少年時代のバーンスタインがボストンで訪れたナイトクラブでの経験が反映されているそうですし、何より傑作なのが最後の楽章、マーチ「ボストン交響楽団よ、永遠なれ」。冒頭、3本のフルートがB→Cのモチーフによるカノンで始まりますが、これはクーセヴィツキーやミュンシュを初め、当時の楽員など亡くなった音楽家へのオマージュ。そしてマーチが始まると、フィードラー/ボストン・ポップスの定番だったラデツキー行進曲のパロディーで始まります。
練習記号Hでは二人のピッコロ奏者に「立ち上がって」演奏するように指示があり、最後には練習記号Nでピッコロ二人と金管楽器全員に「立ち上がって」吹くように求め、コンサートを大いに盛り上げるための仕掛けが施されているのですね。
立って演奏する習慣は、正にスーザの行進曲「星条旗を永遠なれ」の伝統で、Stars and Stripes の代わりに BSO を差し替えたもの。ディヴェルティメントでの最大の見せ場、聴かせ所でもあるのです。
秋山/東響によるフェスタサマーミューザのフィナーレ、残念ながらバーンスタインの目論見は外れてしまいましたネ。秋山は最初のピッコロこそ立たせましたが、最後の金管は無視。理由は・・・、想像するしかありません。
バーンスタインの音楽に必須な切れの良いリズム、ノリノリのフィーリングも感じられず、私には残念な演奏に終始してしまいました。秋山氏にそれを求めるのは酷でしょうが・・・。
お祭りは終わりましたが、アンコールと言うことで幸田・中川コンビが再登場、マイクも改めてセッティングされて「ウエストサイド・ストーリー」から「Tonight」。この台詞には破裂音のTが二つも含まれており、マイクとスピーカーが耳障りなアンコールでした。
これで小生は夏の音楽会は終了。次回のブログ更新は9月になってからとなります。
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