日本フィル・第703回東京定期演奏会

久し振りのブログ更新です。特別に暑かった今年の夏もピークを過ぎ、漸くクラシック音楽をゆっくり聴こうというシーズンがやってきました。9月最初のコンサート報告は日本フィルの9月定期で、以下のプログラム。

プーランク/シンフォニエッタ
三善晃/ピアノ協奏曲
     ~休憩~
デュカス/交響詩「魔法使いの弟子」(ストコフスキー版)
デュティユー/交響曲第2番「ル・ドゥーブル」
 指揮/山田和樹
 ピアノ/萩原麻未
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 ソロ・チェロ/菊地知也

恒例になっている山田和樹本人によるプレトークでも話題になりましたが、日本フィルの定期演奏会シーズンは9月スタート。日本では官公庁や主要企業の決算年度である4月スタートが主流ですが、個人的には9月から新しいシーズンという方がシックリ来るようですがどうでしょうか。
ここ数年日フィルの東京定期は首席指揮者・山田が振り、しかもフランス音楽と日本の作品の組み合わせというスタイルでシーズンを開始することになっていますね。で、今年もかなり凝ったプログラムでしたが、4曲の関連は謎解きゲームの如き感覚。今回のプログラム・ノート(小沼純一氏)でも意味ありげに紹介されていましたが、山田のプレトークでは各作品への思い出話が中心で、その意図は今一つ見えてきませんでした。
そこで私の感想も勝手に解釈したもの。余りアテにはなりませんからその積りでお読みください。

プログラム唯一の日本人作曲家の三善晃は、直接の師では無かった筈ですがデュティユーに私淑した人。前半の最後と後半の最後はこの繋がりでしょう。プログラム誌にも暗示されていましたが、前半・後半共に親しみやすい音楽と難解な作品を組み合わせて聴き手を刺激する、という仕掛けも張り巡らされていたようにも感じます。プーランクは滅多に演奏される曲ではありませんが、耳に優しい作品。4曲の中で唯一誰でも知っているのが「魔法使いの弟子」で、デュティユーは演奏はもちろん、聴く方にとってもかなり辛口な音楽。
そのデュカス、山田は敢えてオリジナルではなくストコフスキー版というレアな楽譜を持ち込んできました。オリジナルは19世紀末の作曲・初演ですが、ストコフスキー版とはウォルト・ディズニーが実験を試みたアニメ映画「ファンタジア」で用いた短縮・編曲ヴァージョン。映画が公開された1940年の作品と見ても良いのでしょう。

ここからは私の私的な感想ですが、演奏会を聴き終えて思ったのは第二次大戦後の音楽世界。平成が終わろうとする今、昭和レトロの音楽風景を思い出そう、という意図があったのではないか、ということでした。ディズニーのアニメが日本で公開されたのは1955年でしたから、今回の曲目は正に私の青春時代の作品たち、ということでもあります。ディズニーの映画は確か小学校の映画鑑賞カリキュラムで見た記憶がありますし、三善晃の音楽は当時最先端の現代音楽。私にとっては「懐かしさの極み」でもありました。

私がプーランクを初めて知ったのはLPで聴いた「牝鹿」でしたが、シンフォニエッタもあちこちに牝鹿の響きが聴こえてきます。元は弦楽四重奏曲として構想されていた素材でしたが、出版社に請われて仕上げたのがこの「小交響曲」。初演は1948年10月24日のロンドンで、デゾルミエールが指揮したのだそうな。
山田自身はパリ室内管で初めて指揮し、その時は盗難に遭うという苦い経験があるとのことでしたが、彼の感性には最も適した音楽でしょう。最近はその指揮スタイルにも更なるしなやかさが増し、日フィルの柔らかくも芯のあるアンサンブルにもピッタリ。個人的にはこの日最大の収穫でした。

舞台にスタインウェイが引き出されて、次は山田曰く“悪魔的な”(良い意味で)ピアニスト萩原を迎えての三善作品。2010年にジュネーヴ国際コンクールで優勝して以来日本のオーケストラ定期でも引っ張りだこの萩原ですが、私は今回が初体験でした。
三善晃と言えば沼尻竜典というのが私の世代の常識ですが、ピアノ協奏曲も群響の定期を聴きに高崎に遠征したことを思い出します。(ピアノは小川典子でしたっけ)
三善と山田の接点は、プレトークによれば山田が通っていた高校(希望ヶ丘)の校歌が三善晃作曲だったことに遡るのだそうで、その体験が無ければ今日の山田はなかった由。この校歌をチェレスタで弾いて見せた山田、2分音符で書かれていて誰も歌えなかったとか。

その2分音符がピアノ協奏曲でも中心となっていて、冒頭は2分の2で始まり、やがて2分の1.5拍子や2分の0.5拍子などと言うルール破りの拍子まで出てきます。要するに2分の1.5は4分の3拍子、2分の0.5は4分の1拍子のことなのですが、敢えて「2分の」と表記するところが三善の三善たる所以なのでしょうね。
1962年の初演(10月3日、N響)当時は私も現代音楽オタクで、カデンツァが出るまでのスリリングな展開に胸躍らせた記憶があります。もちろん大編成オケに対してピアノ・ソロはかき消されてしまうのですが、ナマの演奏会では萩原の髪振り乱しての大熱演に、ピアノが敢然と立ち向かう姿を見るのは感動的。ピアノ協奏曲から3年後、あの名曲ヴァイオリン協奏曲の初演にも立ち会うことが出来ました。

後半は楽しいデュカスと複雑怪奇なデュティユーの組み合わせ。先ずデュカスは山田が大好きだというストコフスキーの編曲版ですが、彼は以前に同じ日フィル定期で「展覧会の絵」のストコフスキー版を取り上げたことがあります。ディズニーとの協力でアニメーションに合うようにアレンジしたものでしょうが、確かにオーケストレーションやテンポの変化などにオリジナルとは違う場面が出てきます。
残念ながら私には敢えてこの版を使う意義は感じられませんでしたが、やはり20世紀後半の音楽シーンを回顧する、という意識があっての版選択だったと思えて仕方ありません。この交響詩にはプロジェクトマッピングを上映して演奏するという試みもありましたが、オリジナル版そのものの構成とオーケストレーションが素晴らしいので、作品を味わうだけなら直球勝負のデュカスで充分じゃないでしょうか。

最後はオーケストラを二つに割り、指揮者の前に小オーケストラ、これを囲むように大オーケストラが配置される「ル・ドゥーブル」。即ちダブルの事で、分身、鏡、エコーの効果を味わう交響音楽でもあります。オーケストラの配置は、デュティユーがスコアに指定しているもので、小オーケストラは弦楽四重奏にフルートを欠く木管3本、ホルンを除いた金管2本、ティンパニとチェレスタ、チェンバロという特殊編成。各パートの首席メンバーたちが小オーケストラを担当していました。従って大オーケストラのコンサートマスターは千葉清加氏。

ボストン交響楽団の創立50周年を記念して書かれた作品で、1959年12月11日にシャルル・ミュンシュの指揮で初演されました。ミュンシュとデュティユーは反ナチ・レジスタンスで共に戦った戦友でもあったはずで、単に委嘱する側とされる人という関係以上の繋がりがあったと思われます。
ヨーロッパ初演は1960年1月、同じミュンシュ指揮するコンセルトヘボウが行っており、ミュンシュ以外の指揮者がこの作品を振ったのは、1962年1月にジュネーヴでスイス・ロマンド管が演奏した時(指揮者はサミュエル・ボード=ボビー)。山田和樹はそのスイス・ロマンドで首席客演指揮者を務めていましたから、その繋がりもあると言えそうです。

三善晃にも通ずる独特のデュティユー・ワールドで、全3楽章の中で最大の難関は第3楽章 Allegro fuocoso でしょう。楽章全体はアラ・ブレーヴェ(三善と同じ2分の2拍子)を主体としていますが、練習番号17から19までは小オケと大オケが異なる拍子で進行するいわゆるポリ・リズムの音楽。具体的には大オーケストラが3拍子で20小節進む間に、小オーケストラは15小節のアラ・ブレーヴェ。3×20=4×15という計算で二つの流れが合流する仕掛けですが、指揮者は3拍子で大オケを振っていました。尤も小オケは第1・第2ヴァイオリン(扇谷と神尾)のデュオをファゴット・トランペット・トロンボーンが支えるだけですから、指揮者を見なくても演奏できるんですね。

チェレスタとチェンバロという金属的響きの鍵盤楽器は、どうしても音量的に埋もれがち。指揮者にとってはバランスが難して所ですが、聴き手も様々な情報に目と耳を奪われ、中々に一度で理解するには難しい作品でしょう。出来れば金曜日と土曜日、二度聴いて明確な印象が抱けるのではないでしょうか。
山田は初演者であるミュンシュに比べれば遥かにクール。これにもう少しミュンシュのエネルギーが加われば、と感じたのは私だけでしょうか。

 

 

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